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134-第5回「太平洋・島サミット」

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新聞記事転載

 以下の文章は、2009年5月22日(金曜日)の日本海事新聞の記事をそのまま転載したものです。

寄稿
第5回「太平洋・島サミット」

小林 泉・大阪学院大学国際学部教授

なるか「太平洋共同体」への礎

☆ 日本は海洋国家を目指せ ☆
 この5月22日、23日、北海道トマムで「太平洋・島サミット」が開催される。これは日本の首相が、12の島嶼独立国、2つの自治地域、そして豪州、ニュージーランドの16政治単位の首脳を、丸ごと日本に招いて実施する会議である。
 1997年の第一回東京会議以来、三年ごとに宮崎、沖縄、沖縄と続き、今年が五回目。とかく主体性や独自性に欠けると批判されることの多い日本外交にあって、日本主導で国家首脳を一堂に集めるのだから、特筆すべき政治イベントに違いない。先進国の中で、唯一日本だけが地域連合組織を形成していない。だから、こうした協議の場はきわめて貴重なのだ。
 ところが、国民の関心度はこれに一致していない。昨年5月に開催されたアフリカ開発会議(TICADⅣ)は、マスメディアでも注目され大きく取り上げられたのに、島サミットに関する報道はいつも寂しい。「太平洋」からでは、ただの広大な水空間ぐらいしかイメージされないからか。
 とはいえ近年では、カツオ・マグロの漁場として、あるいは海面上昇で沈む可哀想な島々、といった話題でしばしばニュースになる。ただし、「沈んじゃう島々」というのは、多分に間違い、曲解、あるいは環境アクティビストのプロパガンダに乗せられたものが少なくないので、そのまま鵜呑みにしてはいけない。さらに、南の島といえば楽園、すなわち観光適地といった未だに根強い連想にも、要注意だ。実のところ観光が産業化されいるのは、パラオやフィジーなどごく限られた国だけで、ハワイ、グアム、サイパン、ニュー レドニア、タヒチなどの名だたるリゾート地は、いずれも米領や仏領なのだから。
 人々の太平洋認識がどうであれ、実際の海続きのお隣りには10を超える政治アクターが存し、中国や米国をも巻きこんで、しっかりと国際政治が展開されている。こうした動向にこそ、マスメデイアはもっと関心を寄せるべきだろう。
 ところで、日本人は海洋民族か?日本は、海洋国家なのか?それは、どちらも違う。四方が海に囲まれているといって、その海の広がりを思考基盤として持ち合わせている日本人が多とは思えない。 海洋を重視した国家行政が行われてきた、とも思えない。なにしろ、日本に海洋基本法が制定されたのですら、わずか2年前なのだ。単に海に面しているだけでは、海洋国とはいえない。
 若き日の故高坂正堯京大教授が、『海洋国家 日本の構想』(1969年、中央公論社)の中で、海を舞台とする日本の可能性を説いたのは今から40年前である。経済分野からは海の開発の必要性、そして国際政治の観点からは海をめぐる同盟関係の重要性を強調し、日本の進むべき方向性を明確に提示した。この作品は、当時の言論界では極めて高い評価を受けたのだが、いまリアルタイムで読み返してみても、そこで提案されている構想の的確さは少しも色あせていない。だが高坂ファンには、今なおこの主張が新鮮に映るのがむしろ悲しい。それは教授の海洋国家構想が、国の政策に反映されてこなかった証に他ならないからだ。
 「海」は単なる空間ではない。そこには資源があり、政治アクターが存在し、それをめぐる人々や国々の関係性がある。海洋国家とは、それらを意識した行動をとる国を指す。ならば今でも、いや今こそ「日本の構想」を現実化させるべきだと私は考える。
 そんな思いで「太平洋・島サミット」を見つめてきたが、一つ残念なのは、行政当局がこのサミットを海洋国家構想の一環として位置づけてきたわけではないし、国民一般も、海洋国家を志向する意識など持ち合わせていなかったという点である。ここに、過去数十年にわたる日本の対外姿勢が見て取れる。過去四回も実施して来たのに、「島サミットってなに?」という反応が国内で少なくないのは、そのためでもあろう。
 それでも私は、島サミットが日本のリーダーシップで、継続的に実施されてきたこと自体に大きな意義を感じている。日本がこのサミットで期待されている役割を充分に果たしていけば、この国のこれからの有り様は自ずと海洋国家への道に繋がり、ことさら海の重要性も人々に意識されていくはずだ。そうなるのか、ならないのか? その観点からも、この度の島サミットは日本の首脳陣が考えている以上に重要な会合となる。議長国の日本が、いかなる提案をし、島嶼諸国をいかに仕切るのか。これまで積み上げてきた実績を基に、日本が如何に発言するのかを島嶼諸国はじっと見ているからである。だから成功すればよし、失敗すればせっかくの海洋パートナー群の信頼を失って、またしばらく内向きの姿勢を余儀なくされる心配がある。そうならないことを願うから、正にこの五回目が正念場だと思うのだ。

 では、日本は島々から何を期待され、どのように進んで行くべきなのか、太平洋をめぐる国際関係を視野に入れながら、この政治イベントについて考えていきたい。

☆ 島嶼国との連帯は海洋国家への道 ☆
 太平洋諸島とは、俗にポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの三地域からなるいわゆるオセアニア(海)の島々を指す。
 北半球にあるミクロネシアの大半は、1914年から約30年間、南洋群島という名で日本統治を経験した。昭和18年当時の域内人口は約5万1000人、そこに現地人数を超える8万人超の日本人が居住していた。日本人は敗戦で島々から退去させられたが、地元女性との間に出来た二世以下は残留を許された。そのため、いまでは彼らとその子孫が域内総人口の約2割を占める。この地域に誕生した三つの独立国(ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国)からしばしば日系大統領が出現するのは、そのためだ。しかし戦後は、米国の信託統治が40年以上続いたので、すっかりアメリカナイズした島々に変貌し、日本時代の面影は大方消滅しかかっている。
 ポリネシア、メラネシアは、英国、豪州、ニュージーランドの英連邦国家の傘下にあった。だから、この地域の独立国は今でも英連邦に加盟している。
 これらの島嶼諸国が、域内先進国の豪州、ニュージーランドを巻き込んで地域協議体として太平洋諸島フォーラム(PIF)を組織した。「太平洋・島サミット」とは、このPIF加盟国の首脳たちを一堂に集めた会合で、正式には「日本・PIF首脳会議」という。
 この政治イベントが始まる切っ掛けは1996年。日本は国連安保理の非常任理事国に立候補してインドと競ったが、それに先だってPIF(当時はSPF)は、総会で日本の理事国入りを支持する決議文を採択した。嬉しい援軍を得て、日本は目的を果たしたが、PIFの支持表明は自らの発議だったのである。
 太平洋への援助は1970年代に始まり、80年代には幾つかの国で日本がトップドナーになった。とはいえ、日本に接近を図りたい特別な意図があったわけではない。膨張するバブル経済に伴って増額させていったODAの恩恵が、島嶼地域にも及んだのである。現にそれまで、日本のトップが能動的に島嶼首脳と会談したのは、1986年に中曽根康弘首相がフィジーに数時間、その足でパプアニューギニアに一泊滞在したときが唯一だったのだから。それに比べて豪州、ニュージーランドは、PIFメンバーとして恒常的に首脳同士が交流している。米国もハワイの東西センターのプログラムを通じて、日頃の接触がある。大口援助国の中で、政治のトップレベルで交流がないのは日本だけ。そこで考えついたのが、島サミットだった。「国連での日本支持への感謝表明」を大義名分にすれば、PIF首脳を一堂に日本に招く絶好の機会となる。
 これまで日本は、この地域に年間100億円程度のODA供与をしてきた。前回(2006年)の沖縄サミットで小泉首相は、次のサミットまでに450億円の援助拠出をすると宣言したが、これもほぼ達成された。
 こうした日本の外交行為に対し、「カツオ・マグロ資源を確保したいから」、「捕鯨支持国を増やしたいから」だと解釈する諸外国の論評や論文などをしばしば見受ける。しかし、これは大いなる誤解だろう。確かに、日本にとってカツオ・マグロは大事、さらに食文化・伝統文化の観点からも捕鯨の消滅は許容できない。だが、食糧の確保と日本人自身の手による漁業の維持とは別問題。また、食文化や伝統文化の維持を主要な外交政策に掲げるほど、日本政府は文化、伝統に関する政策に熱心だとも思えない。要するにこの二つの問題は、政治的、経済的などちらの観点からも、日本外交を突き動かすほどの大きな要因にはなっていないのである。
 では、日本が島嶼諸国との関係強化を図らねばならない理由は、何処にあるのか?それは、アジア太平洋地域において、確固たるプレゼンスを発揮し、国際貢献を果たし得る責任ある先進国としての地位を確保したいがためである。それが結果として、太平洋地域の政治的安定や海洋資源の確保といった経済利益にも結びつき、日本の国益に繋がるからだ。そのためにも、先進国の中で唯一地域グループを形成していない日本にとって、島嶼諸国との地域協力や恒常的対話の場こそ重要になる。「島サミット」が極めて意義深い外交イベントだと私が考える理由は、ここにある。

 しかし、残念なことに過去4回の島サミットでは、島嶼諸国との連帯を深めるその先に何を目指すのかというビジョンをはっきりと示していないのだ。これでは島サミットが、単に援助の分配会議にしかならない危険性がある。それゆえ今必要なのは、海を共有する島嶼国との具体的な関係性の未来像を打ち出だすこと、それがすなわち、かつて高坂教授が提言したように、海洋国家への道を歩み出す第一歩に繋がるのである。すでに海洋国家への変貌を目指して、お隣り中国が太平洋への進出をはじめている。これも、これからの海の重要性をしっかりと認識したからなのであろう。

☆ 海の共有、海との共生 ☆
 日本最古の書物、古事記には海幸彦と山幸彦の物語がある。海は幸彦に日々の恵みを与え、海の果ての彼方へのロマンを与えた。時には暴れ、時には人の命を脅かしたがゆえに、恐れ敬う畏敬の対象にもなった。海に囲まれた日本の歴史をたどれば、海岸沿いの民の暮らしは、海と共にあった。それだけ海幸彦系の日本人にとって、海は身近な存在だったのだ。
 しかし、日本民族が国を形成してから、海を広がりの対象として国策の中に取り入れる政権はなかった。むしろ、無限の広がりの彼方から来るものを拒み、彼方に出るものを留める政策をとり続けることで、民族の安定と平和を保とうとしてきたのである。それは海を知り、海の豊かな恵みを享受してきた民族ゆえの選択だったのだろう。
 ところが明治以降の一時期、日本は海洋を視野に入れた政策で太平洋に進出した。日本史始まって以来、国家としての海洋進出だった。だがそれは、誰もが知る太平洋戦争という悲惨な結果で終焉したのである。その後日本は、海洋を意識した国策を施して来なかった。民は海に馴染んでいる、でも日本は海洋国家ではなかった。
 だから日本は、今こそ海洋国家を目指すべきだと思う。かつて来た道を、再び歩めというのではない。前世紀のスペインやイギリスの様に、覇権の拡大を担った国家を意味するのでもない。民が海と共に生きたように、海を共有する周辺諸国とともに、豊かな恵みを分かち合う方策を政策化しうる国、これが私の言うところの海洋国家なのだ。そして島サミットは、それを具現化していくための恰好の場になる。
 では、島嶼諸国は日本に何を求めているのか、相手の真のニーズを知らずして協働作業行程を進めてはいけない。楽園イメージが未だに付きまとう島嶼諸国の実態は、産業化や気候変動による環境問題、民族間確執、経済的貧困、人材不足・・・・、海で隔絶された小さな新興国ゆえの問題に埋もれている。日本はこれら諸問題の解決を支援するために、人材育成、産業振興、環境調査等々の多岐にわたる援助を試みてきた。このところ縮小続きのODAだったが、直近の3年間で見ると、島嶼諸国へは目標額の五割り増しをを超えて500億円に達した。これだけでも、日本は十分貢献しているとの好評価があるのかもしれない。しかし、島嶼諸国との関係で言えば、額もさることながら、援助の内容や姿勢こそ大事になる。
 それは一つには、今世紀に入って島嶼地域への新たなドナーの参入で、相対的に日本のプレゼンスが低下していること、二つには、援助流入額の増大にもかかわらず、島嶼諸国の諸問題はむしろ悪化の方向にさえ向っていることだ。
 中国と台湾は、一つの中国論の中で外交関係獲得を競い合い援助攻勢を強めてきた。島サミットを真似た首脳会議も、それぞれで実施した。独立傾向の強かった陳政権から親中国の馬政権に替った台湾では、これからは中・台協調路線を進めるとしているが、すでに両国の援助額を合計すれば日本を上回るだろう。そしてフランスもまた、仏版島サミットをやり始めている。
 さらに、このところ気候変動がらみで、ツバルやキリバスのような極小島嶼国に、既存ドナーに加えて国際機関やNGOからも環境援助が集中しており、これが受領国を混乱させている。総額としての援助額が増えても、島々が抱える問題の解決に寄与できなければ援助の意味はない。そればかりか島嶼地域の問題が、ドナー側の身勝手な援助に起因していたりもするのだ。援助額だけを云々する無意味さが、ここにある。
 そこで私は、次の島サミットに向けた政府の委員会で、次の三つを強調した。第一は、自らの都合による援助方式を押しつけずに、受領国の実情に配慮すること。第二は、何でもありの総花的援助にせず、日本の得意分野や他ドナーとの調整も視野に入れた援助、つまり「選択と集中」を実行すること。第三は、太平洋を共有するパートナーとして、共に作り上げるゴール、つまり地域的ビジョンを示すこと。
 すると麻生太郎総理は、さっそく私たちの提言を受けて3月4日に、「太平洋環境共同体」構想をサミットで打ち出すと発表したのである。これが新聞発表されるや、中身に関する問い合わせが私に殺到した。だが、その詳細作りはこれからである。押しつけではなく、島嶼諸国の首脳たちと共に未来を作り上げるためのテーマなのだから。時を経て今ではしっかりと実態ある組織に成長したASEANもPIFも、始まりは単なる会議体だったように、スタートはこれでよい。しかし麻生総理には、軽口で終わらせずに、本気でリーダーシップを発揮して欲しい。これこそ、日本が海洋国家に向かう方向性だと思うからである。
 今世紀に入り中国は、全太平洋を視野に入れた「外洋型海軍」を目指して海洋国家への道を歩み出している。これを意識した豪州の労働党政権は、今後20年かけて海軍力を増強し、太平洋防衛に努めると発表したばかりだ。かつて太平洋は、「大国間の戦略の海」であった。だが、そんな歴史の繰り返しは御免だ。海洋国家としての日本の構想は、海に存在する小さな国々と共に作り上げる繁栄の共同体なのだから。次の島サミットが太平洋共同体の実現に踏み出す第一歩に出来るのか否か、私はしっかりと見守っていきたい。

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