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139-2011年マーシャル総選挙にみる議会勢力構図の変容

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2011年マーシャル総選挙にみる議会勢力構図の変容
~階級対立から地域対立へ~

研究員 黒崎岳大(くろさき たけひろ)


1.はじめに

 2012年1月3日、前年の総選挙を受けて実施されたマーシャル諸島国会議員による大統領選出投票で、我が祖国党(AKA)のクリストファー・ロヤック(Christpher Loeak、写真)が、ケサイ・ノート(Kessai Note)元大統領派や無所属グループの幅広い支援を取り付け、現職のチューレーラン・ゼドケア(Jurelang Zedkaia)大統領を21-11の大差で破り、第6代大統領に選出された(1)。

 クリストファー・ロヤックは、マーシャル諸島の「古都」ともいえるアイリンラプラプ環礁から選出された国会議員歴25年を超えるベテランである。これまで、アマタ・カブア政権下で法相や公共事業相、教育相を歴任し、初期トメイン政権下でも大統領補佐大臣を務めた。また、クワジェリン環礁の土地所有者の一人として、クワジェリン米軍基地問題に対しては代表団の筆頭として米国・マーシャルの両政府と交渉を行ってきた人物でもある。

            【クリストファー・ロヤック大統領】
クリストファー・ロヤック大統領
 ロヤック家は、カブア家と並ぶラリック列島の有力な伝統的首長(イロージ)(2)一族である。この一族は、長男アンチュア・ロヤック(Anjua Loeak)伝統的大首長(イロージラプラプ)や次男コタック・ロヤック(Kotak Loeak)伝統的首長会議議長を輩出するなど、国内の伝統的首長勢力内では大きな存在感を示してきた。しかし、三男のクリストファーを例外に国会議員を擁立することはなく、初代アマタ・カブア(Amata Kabua)大統領以降3人の親族を大統領に輩出してきたカブア家と比べて、議会政治においては目立たなかったが、クリストファー・ロヤック大統領の出現でロヤック家の存在感を大いに知らしめることになった。
 今回の大統領選の特徴は、議会内の二大勢力がラタック列島及びラリック列島におけるそれぞれの中心的な伝統的首長家をリーダーに据えて対決が行われたことである。
 従来は、大きく分けて伝統的エリート層を支持基盤とし、イロージラプラプを頂点とした社会秩序を重視してきた保守派と、平民層出身者を支持基盤として議会政治による政治の民主化を推進してきた民主派という二つのグループがあり、それが互いに分裂と統合を繰り返しながら二大政党制を作り上げてきた。
 しかしながら、今回の総選挙では、こうした階級とは異なる二グループが誕生した。すなわち、マジュロのイロージラプラプであるゼドケア前大統領(3)をリーダーとしてラタック列島を中心にしたグループと、ロヤックやトニー・デブルム(Tony deBrum)をリーダーとしたクワジェリンやアイリンラプラプを基盤とするラリック列島を中心としたグループである。ロヤックは、クワジェリンを中心としたAKAグループに加え、国内で過疎化の進む北部の離島地域などを地盤に持つノート派や無所属議員の支持を得て、首都マジュロ対地方の構図に持ち込み、勝利につなげたと見ることもできる。この結果からも、2011年総選挙は階級対立から地域対立へと政治の図式が移行する過渡期を示すターニングポイントとなるのではないか。
 本稿では、前職のゼドケアが大統領に就任した以降のマーシャル政治の動向を振り返りながら、従来の保守的地盤をもとにした伝統的首長グループと民主化を求める平民層の支持を受けるグループという議会内の階級対立の図式から、マジュロを中心としたグループとクワジェリンや離島を中心としたグループという地域対立の図式に変化していった過程について明らかにしていく。

 まず、ゼドケア政権時代の運営を振り返りながら、総選挙に至るまでの3つの大きな課題、すなわち米軍クワジェリン基地の土地使用協定をめぐる土地所有者との交渉、核実験被害者への追加補償をめぐる米国との交渉、国内の景気停滞に伴う米国への移民の増加とその受け入れ先であるハワイ州との対立、についての政府の取り組みについて記述していく。次に2011年総選挙の選挙結果の分析を通じて読み取れる4つの特徴を示し、それぞれが選挙結果にどのように影響したかについて明らかにしていく。以上の選挙分析をもとに、新たに成立したロヤック政権が取り組んでいく今後の課題についても考察したい。

2.ゼドケア大統領による政権運営

(1)大統領就任をめぐる議会の動きとマスメディア
 2009年10月に出されたトメイン大統領の不信任案決議動議では、ノート元大統領とその同志が与党から飛び出し、AKAグループと協力して不信任決議案を可決させた。不信任決議後、AKAとノート派(4)は、ノートを次期大統領に復帰させる動きを見せたのに対して、与党トメイン派は、当初アービン・ジャックリック(Alvin Jacklick)元外相を後任に担ぎ出す戦略も考えた。だが、それでは中間派の支援が得られないと分かり、AKAに所属していたゼドケア議長と彼の従弟カイボケ・カブア(Kaiboke Kabua)議員を説得し、同議長をトメイン派側の大統領候補として擁立した。
 26日の午後行われた議会では、ゼドケア議長に対し、AKA側からはノートが推薦され、32人の議員による選挙が実施された。その結果、17票対15票でゼドケアが第5代大統領に選出された。この票数は、前の週に実施されたトメイン大統領不信任決議案可決の票差(17対15)と同数であり、ゼドケア議長とカブア議員がそのままトメイン派側に移動した結果と言える。
 大統領に選出されたゼドケアは就任のあいさつで、「自分の使命は、個々の議員が協力し合って政治を進めていくためのリーダーとなること。与党だ野党だと分けて考えるのは、もうやめようではないか。もはや党という考え方は過去の遺産である。」と述べた。そしてトメイン政権の大多数の閣僚をそのまま引き継ぎ(5)、従来慣例となっていた大統領の交代後に行われる全海外公館の大使の召還及び再任命についても実施しなかった。
 ゼドケア大統領が選出されたことに対して、地元新聞「マーシャル・アイランド・ジャーナル」(MIJ)の社説には、「ゼドケア大統領は敵を作り激しく戦うタイプの政治家ではない。彼はピースメーカーであり、議会内で分裂している考え方をまとめて、協力して政治を実施していくタイプである。」とある(MIJ 2009/10/30)。また、ゼドケア大統領は、11月3日に行われた大統領就任式での所信表明演説で、「国民は結果を求めており、我が政権は国民の利益を最優先させる政治を与野党協力して実施していく」と述べた。トメイン政権の11ヵ月間は、与野党が分裂と連携を繰り返し、不安定な議会運営が続いた。そこでゼドケア大統領は自分が与野党のまとめ役となることで、議会を対立から協力・連携の場に再建していこうと考えたのである。
 従来政権与党に厳しい論評が多かった同紙がゼドケア大統領を評価するきっかけとなったのが、トメイン大統領不信任決議以後の国会議長としての議会運営であった。大統領の不信任決議は建国以来初のことで、次期大統領選出までの手続きが法律のよって定められていなかった。議会内外では与野党両陣営による激しい多数派工作が進められ、議会進行は円滑に進まなかった。そうした状況の中で、ゼドケア議長は、大統領代行を務めていたルービン・ザカラス(Rubin Zackhras)大統領補佐大臣と共に、次期大統領選出に向けた手続きを定め、与野党の代表を納得させたのである。MIJ紙は、対立する議会内の勢力をまとめたゼドケア国会議長の手腕を高く評価し、それが大統領としての政権運営にも発揮されることを期待した。
 しかしながら、ゼドケア政権が始まると、実際にはトメイン前大統領を支えてきたUDPグループの各大臣が実際の政治をぎゅうじっていることが明らかになっていった。とりわけ、ゼドケア政権の事実上の司令塔はザカラス大統領補佐大臣で、内政面はワセ法相とジャック・アディン(Jack Ading)財相が、外交面はジョン・シルク(John Silk)外相が担当しており、ゼドケア大統領も各大臣の手腕に完全に頼りきっていた。
 各大臣に仕事を任せるゼドケア政治の中で、存在感を高めていったのが、ジャックリック議長であった。ゼドケア大統領のリーダーシップに疑問が持たれ始めると、同議長は次期大統領候補の筆頭に位置すると周囲から目されていることを意識して(6)、国会議長としてリーダーシップを示そうと、議会内改革を推進するため、様々の改善計画を発表した。その中で、議会本来の役目である立法活動を充実させるための議員活動費用を拡充する一方で、効率的な議会運営のために会期の短縮化などを進める提案をした(7)(MIJ 2010/1/1)。

 このように、当初は強いリーダーシップを期待されたゼドケア政権であったが、実際には各大臣に政権運営を任せる中で、むしろジャックリック議長の積極的な行動ばかりが目立ってしまい、かえって「不安定な政権」という印象を国会内外に意識させることになってしまった。

(2)基地をめぐる土地使用協定の締結
 ゼドケア大統領にとっての最大の国内課題の一つは、米軍クワジェリン基地の土地使用をめぐる協定交渉であった。クワジェリン基地をめぐっては、2003年に改訂自由連合協定の調印により両国で合意され、米国政府とマーシャル政府の間でクワジェリン土地所有者に対して支払われる貸借料は、年間15百万米ドル(現在はインフレ調整で17百万米ドル)とされた。これに対して、土地所有者側は19百万米ドルの支払いを要求した。米国側はこの金額の差額については、インフレ調整で対応するとした。一方で、いまだ対立が続いている論点は、クワジェリンの住民が移り住むイバイ島の生活状況改善への支援についてであった。基地の建設でイバイ島に強制移住を余儀なくされて以降、イバイ島の人口は10年間で15%上昇したが(8)、住民の生活インフラに関しては十分な整備が行われてこなかった。その結果、イバイ島の上下水道の普及率の悪さ、ゴミ処理問題の未解決、排水路の未整備などは1970年代以降40年間で全く改善されず、耐久期限が既に過ぎてしまった発電機や水道設備を使用している。そのため、しばしば停電や給水不能状態が起こる(MIJ 2010/7/30)。移住当初の住民は、クワジェリン島への帰島を望んでいたためイバイの生活インフラ整備については二の次に考えていた。しかし世代が変わるに伴い、イバイ島生まれの「イバイ人」が住民の多数を占めるようになると、基地の土地代とともにイバイ島の経済社会開発の支援を求めるようになっていった。
 クワジェリンの土地使用協定に関して、クワジェリン側の土地所有者団体の代表であるデブルム議員は、「クワジェリン問題は6年間一向に進展しておらず、手詰まり感を覚えている。イバイ島の生活環境の改善が土地使用協定の調印を進める上では不可欠であり、米国政府はその行動をとるべきだ」と指摘した。これに対して、マーサ・キャンベル(Martha Campbell)駐マーシャル米国大使は、「米国の政策姿勢は全く変化していない。米国・マーシャル両政府の間では2066年までクワジェリン島の米国基地使用の延長は合意済みで、現在はマーシャル政府とクワジェリンの土地所有者との間の「国内問題」だ。両者が早期に合意して、同協定が履行されるのを米国政府は待っている」と述べた(MIJ 2010/11/27)。このように、クワジェリンの住民と米国・マーシャル政府とでは基地問題をめぐる意見が折り合わない。
 しかし一方で、クワジェリン住民側が解決に向けて全く考えていなかったわけでもなかった。というのも、クワジェリン島を米軍基地として使用することへの対処資金総額は、今次締結されたパラオへのコンパクト資金よりも多いことが分かったからだ(9)。とりわけ、改訂自由連合協定締結後の6年間、両者の間にある毎年4百万米ドルの差額はグアム銀行のエスクロー勘定(第三者預託勘定)に預けられており、この金額は2010年末の段階で25百万米ドルにまで積み上がり土地所有者に大きな存在として意識された。
 マーシャル政府にとっても、短期的には米軍基地で働く労働者の給与から上がる税収が、そして長期的には国内の歳入の60%を占める自由連合協定に基づく米国からの経済支援が重要な問題である。そのため、イロージラプラプであるゼドケア大統領の就任は、両者が妥協しきれない手詰まり状態であった土地使用問題を解決する上で、突破口になりうる好機だと期待された(10)。

 ゼドケア大統領もこの問題の重要性を認識し、就任後すぐクワジェリンを訪問し、土地所有者と基地の土地問題をめぐる初会合を実施した。土地所有者側からは、イマタ・カブア(Imata Kabua)元大統領、クリストファー・ロヤック代理人代表、デブルム代理人副代表が参加し、土地所有協定に向けた計画案とクワジェリン環礁開発局の新理事会メンバーの政府による承認を求める書簡を作成して、大統領に手交した。

 【イマタ・カブア(左)アンチュア・ロヤック両首長】

イマタ・カブア、アンチュア・ロヤック両首長

 2010年後半になると、翌年に予定されていた総選挙の動きとも絡んで、調印に向けた動きが加速化され、クワジェリン側も積極的に手続きを進めるようになっていった。この動きをさらに早めたのは、米国政府側からイバイや他の島に住むクワジェリン出身者のコミュニティの改善に向けた570百万米ドルの基金準備が発表されたことだ。同基金を利用して、クワジェリン環礁内のイバイ島やグジグ島、カールトン島の人々の生活インフラの改善を進めるとともに、イバイ島に海洋温度差発電(OTEC)のプラントを建設する予定も取り上げ、土地所有者からの理解を得られるように説得を進めていった(MIJ 2010/10/22)。
 このようにクワジェリン土地問題の交渉団の代表を務めていたAKAの議員たちの努力もあり、2011年5月10日、イバイ島のプロテスタント教会にて、イバイ住民、マジュロの経済団体、マスメディアが見守る中、同島の最大土地所有権者であるイマタ・カブアおよびアンチュア・ロヤック両伝統的大首長およびゼドケア大統領の間で署名がなされ、土地使用協定は締結された(11)。これは2003年から足掛け8年にわたる長い交渉の結果だった。同土地所有交渉の代表人でありスポークスマンでもあったロヤック議員は、「今回の結果は、我々住民にとって将来の安心を考える上でぎりぎりの妥協点であった」と述べている。
 今次の協定の調印により、土地の使用権は土地所有者から米国・マーシャル両政府に移される。その代わり、クワジェリン環礁に対しては、土地所有者への支払いに加え、イバイ住民のインフラ整備などに提供される年額5百万米ドル(+インフレ調整額)
の資金提供が行われる(12)(MIJ 2011/5/13)。

 この調印に向けた交渉過程の中で、ロヤック議員やデブルム議員は調停に向けた協議を前進させるべく、土地所有者及びイバイ住民と膝を突き合わせて何度も話し合った。こうしたAKAメンバーたちの草の根的な活動がクワジェリンを中心としたラリック列島の住民たちに強いリーダーシップを感じさせ、結果として政治的支持を得ることになった。

(3)核被害補償をめぐる混乱
 クワジェリン基地問題と並んで解決が進まない課題として、核実験被害者に対する補償問題がある。米国政府は自由連合協定によりビキニ環礁を含む4つの被害環礁を認定、総額150百万ドルを原資とした信託基金を含む補償を実施して、これをもって「最終で、完全な解決」とした。一方、マーシャル政府は、米国政府が認定していない被害環礁の存在や当初予測を上回る被害額など、協定締結時には把握しきれなかった状況の変化を考慮した補償の増額を要求しており、米国連邦政府の司法手続きに基づく法廷闘争が続けられている。
 トメイン政権以降、マーシャル政府内ではこの件についての閣僚級の議論が進まなかったため、被害認定を受けていた4つの地方政府による法廷闘争および米国連邦議員へのロビー活動が実施されてきた。とりわけ、積極的な活動を行ってきたのがビキニ環礁とエヌエタック環礁の両地方政府である。
 自由連合協定第177条では、マーシャル政府は米国に対して今後一切の核被害補償請求を行わない旨を唱っている。しかし、エヌエタックの弁護人は、177条に関する協議時は信託統治領下であり、議会や行政府はマーシャル国民の真の代表ではないと述べ、米国はマーシャル諸島建国によってすべての問題を解決したことにしようとしていると非難した。一方米国政府は、177条によって150百万米ドルを支払い、補償問題に関しては両政府間で解決済みだと述べている(MIJ 2010/4/2)。
 このように、両者間の議論は平行線で、連邦政府もマーシャル住民側の提訴を棄却しつつも、米国議会は、両国政府の下で協議の場を設立するべきであるという調停案も示している(13)。
 こうした中でのゼドケア政権の誕生は、クワジェリン問題と同様、米国政府との協議再開を進める上で極めて好機となるはずであった。大統領は就任後すぐに、米国政府高官と広汎にわたる協議を行った。
 しかしながら、マジュロ環礁のイロージラプラプであるゼドケア大統領は、以前の大統領と比べて核実験補償問題に関しての当事者意識は弱く、クワジェリン問題と比べても積極的に関与する姿勢は見られなかった。それは、これまでの大統領とは異なり、自らがビキニ環礁に土地所有権を保持していなかったり、核実験被害環礁出身でなかったからだ。
 そればかりかむしろ、この問題に関してマイナス姿勢ととられるような情報ばかりが多く報告された。一つは、米国人労働者の方に多くの補償金が支払われているという事実の発覚である。エヌエタックやビキニを含む46カ所の米国の核実験場に従事した特別被曝歩兵隊に対して、医療費として1人15万米ドルの補償金が支払われていることが分かった。米国政府エネルギー従事者職業病補償プログラム(USEOICP)によると、10,000件以上の特別被曝歩兵隊の事例が認められ、これまで2127人(代理人も含む)に対して96,658,250米ドルが支払われることが決まった(14)。同じ核実験の犠牲を被りながら、国籍により被害額が異なるのかと、核被害補償を認定された環礁の地方政府から非難が相次いだ(MIJ 2010/4/9)。
 同様に大きな衝撃を与えたのは、核被害補償裁判所(NCT)の閉鎖問題である。マーシャル政府通常国会の公聴会において、NCTの資金繰りが上手くいかないことを理由に、政府は9月に同裁判所の閉鎖を示唆した。NCTはこれまで2127件の承認事例総額96.6百万米ドルに対して、73.5百万米ドルが支払われることになったが、実際には資金不足で73.5百万米ドルしか支払われていない(MIJ 2010/8/13)。

 以上は、必ずしもゼドケア政権の問題ではなかったが、国民にとってはゼドケア政権が同問題に対して当事者意識が薄いという印象を与える原因になってしまった。

(4)国内経済の停滞と移民の増加
 上記の二つの米国との改訂自由連合協定に付随する問題と並び、ゼドケア政権に大きくのしかかってきたのが、国内経済の停滞であった。
 ノート政権による行財政改革の過程で極端な緊縮財政政策がすすめられた結果、政府調達を中心に成り立っていた国内経済は完全に冷え込んだ。さらにその後、石油価格の高騰とリーマン・ショックの影響で、トメイン政権下では経済非常事態宣言を発令しなければならないほどに経済が悪化した。とりわけ、首都マジュロの状況悪化は著しく、中心街の大型商業施設は、中国・台湾出身者の経営に次々と変わっていった(15)。また、国内有数の賃金水準を誇る基地労働者を抱えるイバイ島で、米国内の景気低迷に伴う防衛費の削減の結果、労働者の解雇が進み、税収入を中心とした米軍基地関連の収益が激減した(16)。
 ゼドケア政権で国内経済の司令塔だったアディング財相は、政府の諮問機関である包括調整プログラム委員会から提出された報告書を受けて、政府内の支出を削減し、コンパクト信託基金の積立金に回さなければならないと指摘した。同レポートは、人件費の削減は急務の課題であり、公務員給与の5%カットや議員報酬の大幅削減、またマジュロ環礁内に土地権利を持つ伝統的首長者に対する電気料金などの優遇措置の撤回などを通じて、一般支出の46%削減の必要性を指摘した。また、支出削減には激しい抵抗が予測され、改革は容易ではないが、実行しなければ将来世代への大きな負担につながると警告した(MIJ 2009/11/27)。
 さらに、政府系半官半民企業の経営も政府の財政負担になっていた。2010年度監査報告によると、政府系企業の赤字は20.2百万米ドル。14の半官半民企業のうち10の企業が赤字で、黒字決算は4社のみであった。政府による補助金や米国や台湾からの資金援助を投入することで赤字幅は削減されたものの、トータルでは1百万米ドルの赤字となった(MIJ 2011/10/21)。アディング財相は、11の半官半民企業のパフォーマンスの低さが指摘されたことを受けて、同企業への大規模な資金供給を再検討する考えを示唆した(MIJ 2010/4/9)。
 アディング財相は、自由連合協定に基づく経済支援終了後の政府財源を生み出す信託基金が、世界規模の金融市場低迷で当初予定していた運用利回りが得られていないことを認識していた(17)。そのため、国内の行財政改革を進め、そこから捻出した政府財源を信託基金の原資に回すように考えていた。しかし、これが返って国内経済を悪化させてしまった。
 こうした長期にわたる景気の停滞は、住民たちの生活をさらに悪化させた(18)。教育や保健衛生面などの政府による住民への基礎的なサービスは雇用機会も十分に供給できない状況が続いた結果(19)、2000年代以降米国への移住者数が増加した。特に多くの住民を米国への移住に駆り立てたのは、自由連合協定の改定交渉の遅延だった。2003年4月に締結された改訂自由連合協定は、マーシャル人の米国での身分保障に関して大枠として第一次自由連合協定の条件に準じるものであった。しかし、2001年9月末に第一次協定の期限が切れてもなお進展しない政府間協議を見ていたマーシャル国民の間では、自由連合協定がこのまま終了してしまうのではないかとの危惧の念が広まっていったからだ。
 これにより2000年及び2001年に、米国への移住者が急増する。その後改訂自由連合協定の締結で一時落ち着いたが、長期にわたる国内経済の停滞により2005年以降、再び増加した。とりわけ10代後半から20代の十分な語学や技術を持たない層の移住が急増したが、彼らはネットワークと能力不足のために、浮浪者になる事例もあった。

 このことは、移住者を受け入れる米国側にも大きな負担となっている。とりわけ、マーシャル移民の玄関口の役割を果たしているハワイ州においては、就学目的できた子どもたちの教育費や重度の糖尿病などの健康問題を抱える移民への保険料負担などが極めて大きい。その金額は、2003年の改訂自由連合協定交渉時に予定していた総額30百万米ドルをはるかに超えると懸念されている(20)。また、移住者の増加は州にとっての経済負担のみならず、犯罪増加にもつながっている。2006年以降のハワイ州での犯罪件数の推移を見ると、自由連合協定国(ミクロネシア連邦・パラオ・マーシャル諸島)出身者の数は5年間で2倍となっている(表1)。

表1 ハワイ州における自由連合国出身者の検挙件数の変遷

 米国議会は、米国に移住するマーシャル人移民の流れを制限したいと考えており、上院議会は国務省及び内務省に対して制限を強める要望書簡を送った。その書簡では、自由連合国各政府に対して、①就学児童・生徒の教育費や高度医療を必要とする患者の保険料の応分負担および新たな移民に関するスクリーニングの実施を求めている(21)(MIJ 2011/5/20)。

 こうした米国政府の厳しい姿勢をマーシャル人たちも敏感に感じとり、これがまたマーシャル政府の経済運営への非難へとつながった。

3.2011年総選挙から大統領選出まで

 上記のように、ゼドケア政権に対する不満が高まっていた中で、2011年の総選挙が実施された。
 当初、2011年総選挙は、ゼドケア大統領の信任投票という色合いが強いと思われていた。確かに核実験被害補償問題や国内経済の停滞など失政を指摘する声はあったものの、いずれの問題もゼドケア大統領以前からの課題であり、大統領ばかりに責任があるとは言い切れないとの意見が大多数を占めていたからだ。そして約10年ぶりのイロージラプラプである大統領に、多くの有権者がアマタ・カブア初代大統領を重ね合わせ、その伝統的権威に基づくリーダーシップにもう4年間託したいと思う雰囲気が大勢を占めているように見えた。
 ゼドケア大統領自身も、10月には政権与党のメンバーでKEA(我が政府党)という新たな政党を結成し、政治の安定と改革の推進を掲げて選挙戦を進めようとした。しかし、KEAの現職メンバーがマジュロ地区を中心に高齢化を理由に政界引退を発表してしまった(22)。現職が優先されやすい過去の選挙から考えると、これではKEAが議会で多数を占めるだけの当選者を想定できにくい。さらに選挙前の議会で、次官級の高級官僚を含めた公務員の政府予算の流用をめぐる疑惑がAKAにより追及された。これが、これまで政治の透明性を訴えてきたKEAにとっては大きな痛手となった。
 一方でAKAグループは、トメイン大統領不信任案可決で共同歩調を取っていたノート派と選挙協力を進め、またフィリップ・ムラー(Phillip Muller)国連大使やジベ・カブア(Jiba Kabua)駐日大使などベテラン元議員を擁立して、KEAからの政権奪取に向けた選挙戦を進めていった。その結果、選挙戦はマジュロを中心としたKEAグループとクワジェリンを中心としたAKA・ノート派の戦いとなった。
 2011年11月22日の総選挙は、取り立てて大きな混乱もなくスムーズに進められた。だが投票率は期待されていたよりも低く、とりわけマジュロ選挙区では、下馬評では複数議席の可能性も期待されていた女性有力候補のDaisy Momotaroマーシャル諸島女性連盟幹事長やEvelin Lankiマジュロ環礁地方政府議員の票が伸びず、比較的熱い固定票を持つ現職や元職を中心としたベテランが当選を決めていった。また翌週に各地で発表される離島地域での不在者投票の結果が明らかになると、現職閣僚やAKA・ノート派のベテランが当選を決めた。その一方で、現職と元職が競り合うアルノやウトリックなどの選挙区では僅差の争いが続き、12月5日に発表される米国からの郵便投票に結論が委ねられた。
 郵便投票の結果、KEAの有力候補であったアメンタ・マシュー(Amenta Matthew)保健相やジェラルド・ザキオス(Gerald Zackios)国会副議長がAKAのベテラン元職政治家であるヒロシ・ヤマムラ(Hiroshi Yamamura)元内相やジベ・カブア駐日大使(元資源開発相)に議席を奪われ、KEAにとっては当初の目論見が大きく外れた。他方で、AKA・ノート派も過半数にまでは届かず、大統領選出を巡る行方は、各地で当選したハイネ一族を中心とした無所属新人議員の取り込みをめぐる多数派工作に移っていった。
 当初は与党KEA側も無所属議員を優遇して取り込むことに成功し、過半数にまで近づいたものの、12月下旬にはゼドケア大統領の再選を諦める雰囲気に変わった。一方、AKAは無所属議員を引き入れる過程で、次期大統領を誰にするかに焦点が移された。12月末の段階で候補に挙がったのは、伝統的首長家出身のロヤック元大統領補佐大臣、AKAの事実上の司令塔であるデブルム元外相、そしてノート派の代表であるノート元大統領であった。結局、KEAの候補がイロージラプラプであるゼドケア大統領であることに鑑み、無所属議員を納得させるためには、同じイロージでありラリック列島の代表でもあるロヤック議員が相応しいという意見が高まり、ロヤック議員がAKA・ノート派の統一候補となった。

 1月3日の大統領選出投票では、ゼドケア大統領とロヤック議員の「東西対決」となり、無所属議員のほぼ全員の支持を得たロヤックが3分の2に迫る投票数で選出された。

4.選挙分析からみた2011年選挙

 ここでは2011年の総選挙の結果を分析し、今回の総選挙で有権者がどのような意思を示したのかについて考察していく。

(1)一年前から予想された激戦区

 今回の選挙動向の行方は、既に1年前の2010年末から始まっていた。マーシャルでは、憲法規定にはあるものの、これまで議会の解散は行われたことはなく、その結果4年ごとの11月の第3火曜日に投票が行われている。そのため、有権者は、前年の12月末日までに自らが投票する選挙区を選挙管理委員会に登録しなくてはならない。有権者が登録できるのは現在の住居地か、自らが土地の所有権をもっている選挙区であるため、通常の住民は複数の投票可能な選挙区を持っている。その中で、翌年の投票選挙区を自ら決める。その際に重要となるのは、立候補予定者の動向である。激戦が予想される選挙区の候補者は、支持者に自らの選挙区に有権者登録することを求め、有権者も支持する候補者のいる選挙区に登録をする。その結果、前回の有権者登録数に比べて、急激に登録者数が増えた選挙区は、実際の総選挙でも激戦が予想される。

表2 各選挙区の有権者登録数の変遷

 実際に2011年の総選挙でも、その傾向は明らかだった。表2で示されているように、2007年の総選挙と比べて、登録者数は全体で9.7%増加している。中でも二桁の上昇を示しているアウル・ラエ・リキエップ・マジュロ・ナムリックの各選挙区は、現職・元職・新人が競り合う大激戦区となっている(表3)。特にラエに至っては、50%以上の増加率が示す数字が明らかなように、現職のレロン・レマリ(Rellong Lemari)議員と新人トーマス・ハイネ(Thomas Heine)警察庁副長官(海上保安庁長官)が大激戦を繰り広げ、新人ハイネが当選した。

 その一方で、今回登録者数が減少したエボンとウォッソの両選挙区は、早い段階で当選が決まってしまうほど現職議員が強い選挙区で、とりわけウォッソ選挙区はデイヴィッド・カブア(David Kabua)議員の無投票当選となった。

(2)低投票率と女性候補の苦戦

 2011年の総選挙の投票率は51%。これは前回の2007年の総選挙(推定65%)と比べてもかなり低く、過去の総選挙の中でも最も低い数字となった。この結果は、当初予想されていた女性議員の拡大には非常にマイナスに働いた。

表3 2011年総選挙による各選挙区ごとの投票率および得票率

 過去の総選挙では33議席の内、女性議員は2人以上になることはなく、これまでに当選した女性は1979年から1995年まで議員をつとめたエベリン・カヌー(Evelin Konou)、1999年・2003年のアバッカ・アンジャイン(Abacca Anjain)(ロンゲラップ選挙区)、2007年のアメンタ・マシュー(ウトリック選挙区)の3人しかいない(表4)。

表4 マーシャル議会における女性国会議員

 この背景には、女性の政治とのかかわりに関する文化的な原因が多分に影響していると思われる。一般にマーシャル諸島では、土地の権利や伝統的首長のタイトルが母親から娘の系譜に基づき継承されていく母系社会であるため、女性の政治への進出は多いと考えられがちである。しかしながら、実際には、母系社会で系譜される財産の管理については、その称号保持者の長男や長兄が権利を持っており、男性の政治的権限が極めて強い。とりわけ、伝統的権威の強いラタック列島では一部のイロージは、自分の支配下にある土地管理人の称号であるアラップや土地利用者の代表であるシニア・リジャルバル(Senior Rijarbal)などの称号保持者を男性に限定したため、女性から非難を受けた事例もある。 それゆえ、2011年の総選挙では女性議員を増やす動きが高まっていた。一つは女性の生活向上を進めるマーシャル諸島女性連盟がマジュロを中心に候補者を擁立し、各環礁の支部を通じて女性に有権者登録を促した。その結果、女性の有権者登録数は20%上昇。また、ジャックリック国会議長も女性議員を増加させようと、自分の選挙区ジャルートから女性候補者を擁立すると発表した。このような動きは女性議員を増やす目的のみならず、実際の選挙戦において女性票が大きなカギを握っていることを認識させる意味もある。これが、各地で有力な女性リーダーたちの立候補を促し、選挙前には複数議席どころか、5議席にも迫るのではないかと予想されるまでになった。しかしながら実際の投票結果では、ノーマン・マシュー前内務大臣の後継者として立候補したヒルダ・ハイネ(Hilda Heine)が激戦の末に1議席を確保するにとどまり、複数の女性議員誕生はならなかった。

 今回の総選挙でも実際の投票に際しては、父長である男性の影響力が強く反映していた。また、若者層を中心とした新しい文化の影響を受けた層の投票率は伸び悩んだ。

(3)大物元職の返り咲き
 女性候補の落選は、一方でベテラン元職の大量当選につながった。かつての総選挙では、一度落選すると有権者から「過去の人(History)」という烙印を押されてしまい、復活は困難だとのジンクスが存在していた。2003年総選挙までは、大使就任など自分から議員を辞職したケースを除き、一度落選した議員が復活した事例はなく、現在AKAの中心人物であるデブルム大統領補佐大臣でさえも、1999年の総選挙で落選後、多くの親類を抱えるナムリック選挙区から立候補した2003年総選挙で復活できなかった。その後は2007年の補欠選挙で当選するが、それはイマタ・カブア元大統領の全面的な支援を得て、ようやく返り咲きを果せたのである。2007年総選挙でも、元職の当選者はミリ選挙区でイロージの全面的支援を得て復活したケチョ・ビエン(Kejo Bien)元公共事業相一人であった。

 ところが、今回の総選挙では4人の元職が復活した(表5)。その内3人が大臣経験者である。ムラー国連大使は、小島嶼国の国連大使の中で環境問題におけるリーダーとしての役割を果たし、カブア駐日大使もマーシャルの有力ドナー国の一つである日本との間で経済や経済協力の橋渡し役として活躍してきた。またヤマムラ元内務大臣も選挙区のウトリックの核実験被害補償団の代表として米国政府と交渉を手掛けるなど、いずれも先進国との間で交渉を実践してきた人物ばかりだった。

表5  2011年総選挙で当選した現職候補者

 2011年総選挙の投票率が低かったことは、伝統的な支持基盤を持つ現職や元職に有利に働いたと言えるだろう。一方で、ここ数年の総選挙で当選してきた新人議員を中心としてできた政権が、米軍基地や被曝補償などの重要案件で十分な成果を果せなかったというニューリーダーへの期待はずれ感があった。ベテラン議員たちに対しては汚職などの問題が懸念されるもののアマタ・カブア政権下でエリート高級官僚として活躍し、その後国政に転じてからも大臣として先進国との外交を手掛けてきた人たちが多い。そうした彼らの能力を期待したものと捉えることもできるだろう。

(4)不在者投票と郵便投票
 マーシャルの選挙では、有権者登録をする選挙区と居住地が異なる場合に、居住地での投票は不在者投票となる。とりわけ、離島選挙区では有権者の多くがマジュロやイバイに住んでいる場合が多く、居住地と選挙区が一致する通常選挙区よりも不在者投票の数が上回る。そのため、候補者は選挙区のみならず都市部でも選挙活動をする必要がある。
 今回はまた、郵便投票が最終結果に大きく左右した。海外に住むマーシャル人が投票日までに投票する郵便投票は過去も実施されていたが、選挙法で12月の第一月曜日まで開票しない規定や、選挙の大勢が決定している場合は開票しないという慣例があり、これまで選挙結果に大きな影響を与えたことはなかった。
 今回の選挙で、不在者投票の影響がはっきり表れたのは、ラエ選挙区である(表6)。ここでは、新人のトーマス・ハイネが現職のレロン・レマリを破っているが、その原動力となったのは、マジュロやイバイなどの都市部に住む有権者による不在者投票数である。表からも明らかなように、ラエ環礁に住む有権者の投票数はレマリの方が2倍上回っていたが、各候補の得票数の80%近くを占める不在者投票でハイネが60票以上も上回り、その得票差が全体の結果にも反映された。ラエ環礁の住民は都市へ移り住んでいる割合が多い。都市に居住する中で、経済問題などの身近な問題を解決するためには政治の変革が必要だと感じたのだろう。警察庁副長官を務めたハイネ候補は、2011年の総選挙に立候補するにあたり都市部の有権者に対して、ラエでの有権者登録を積極的に進めてきたが、こうした地道な活動と政治の変革を求める都市部の声が相まって、今回の選挙結果を導いたのであろう
 一方、郵便投票が大きな影響を与えた選挙区としては、ウトリック選挙区が挙げられる(表7)。この選挙区も、現職の保健大臣アメンタ・マシューとベテラン元職ヒロシ・ヤマムラの3回連続の一騎打ちとなった。表が示すように、通常投票と不在者投票との合計では、マシューがわずか16票上回っている。ところが郵便投票が開票されると、ヤマムラが102票を集めたのに対し、マシューは20票。この郵便投票結果が、そのまま全体の得票数に反映された。上述の通り、ヤマムラはウトリックの核被害者補償団の代表であり、米国との間で補償の拡大に向けて交渉を続けてきた。核補償金を手に米国に移住しているウトリック出身者が多いだけに、ゼドケア政権に対する核実験補償請求運動への不満が選挙結果につながったと考えられる。

 さらに、不在者投票と郵便投票の両方の影響がはっきりと表れた選挙区がアルノ選挙区である(表8)。アルノは、国内で3つしかない2議席が選ばれる複数区であり、今回の選挙戦では現職のニーダル・ロラック(Nidel Lorak)教育大臣、ザキオス国会副議長に対して、カブア駐日大使とチュチュアリック・アントン(Jejewarik Anton)現アルノ市長が立候補した大激戦区となった。通常投票の開票結果の段階では、現職の市長であるアントンと、アルノ環礁の中心地であるイネ地域を地盤とするザキオスが1位、2位を占めていたが、不在者投票が開き始めると、カブアが2位にまで追い上げた。さらに郵便投票が開くと、それまで4位だったロラックが76票という大量得票を得て1位になり、郵便投票でも2位となったカブアがそれに続いた。この結果、不在者投票と郵便投票で大量得票を得た現職のロラックと、元職のカブアが当選した。

表6-8 選挙区の投票形態別得票状況

 アルノ選挙区は首都マジュロまでボートで45分という近隣に位置し、多くのアルノ出身者がマジュロに移り住んでいる。またマジュロでの都市生活に慣れた住民は、そのままハワイや米国本土に移り住む割合も高い。とりわけここ数年ハワイへの移住者の数も増加しており、マーシャル人最大のコミュニティのあるアーカンソー州においても、アルノ出身者の数はマジュロ・クワジェリンに次ぐ3番目である。このようにアルノ選挙区は、従来のように地元住民の投票をまとめ上げるだけでは当選できず、都市部や海外の有権者からの票も獲得しなければならない。その意味では、離島の政治に都市化やグローバル化が大きく影響している最もわかりやすい事例だろう。

 以上の不在者投票及び郵便投票の結果からも明らかなように、国内の都市化や米国への移住によるグローバル化は、少なからず伝統的な地縁関係に基づく従来の投票動向に影響を与えている。都市化が著しいメラネシア諸国や豪州NZ、米国への移住が政治経済に強く影響を与えるポリネシア諸国などの他の大洋州島嶼国と比較して、伝統的な地縁関係がいまだに大きなウエイトを占めているマーシャル諸島であっても、その傾向は徐々に変化していることが選挙分析にもはっきりとあらわれている。

5.考察:2011年総選挙の意義とロヤック政権の課題

 本稿で述べてきたように2011年総選挙とそれに引き続く大統領選では、マジュロを中心としたラタック列島(KEA)とクワジェリンを中心にしたラリック列島(AKA)との対立構図、いわば東西対決となった。マーシャルの総選挙は1999年以降、伝統的首長の支持基盤とする陣営と平民層を支持基盤とする陣営に分かれた政党対決の色合いが強かった。その過程で、比較的伝統的権威の影響が強いラリック列島を基盤とするAKAと、平民層の影響が相対的に強いラタック列島やラリック列島南部を基盤とするUDPという大まかな区分が存在していた。
 しかしながら、今回の総選挙ではこれまでの選挙の構図が崩れた。比較的統一行動をとってきた各環礁のイロージ一族を中心とした伝統的首長グループが、支持グループをめぐり分裂したからである。クワジェリンのイロージであるイマタ・カブア及びアンチュア・ロヤックはAKAを積極的に支持しているのに対し、ラタック列島のイロージたちはマジュロのイロージラプラプであるゼドケア大統領のグループを支援する動きを見せたのだ(MIJ 2011/10/21)。

 ただし、これは東西の伝統的首長間の対立とはいえない。それより、今回ロヤック大統領を誕生させたノート派や無所属議員の多くが、比較的過疎化の進む離島地域を選挙区としていた点に注目すべきだろう。表9が示すように、この10年間で、離島地域の人口は16%減少し、首都マジュロへの人口の集中が進んだ。議会の民主化を訴えてきた旧UDP政権は、首都マジュロを中心とする政策を進めたため、この間、離島地域の開発や核実験補償問題などの地方が抱える諸課題はほとんど進展しなかった。今回の政権交代はマジュロ一極集中の政策に対する離島地域からの批判の意味が込められていたとみるべきだろう。

表9 国勢調査に基づく人口の分布

 一方で、2011年の選挙では女性候補が苦戦するなど、先進国で見られるような多様な価値観を持った代表を議会に送り込むという段階には至らなかった。有権者登録などを通じて女性の政治参加の機会拡大は少しずつ進んでいるとはいえ、まだまだ国の行方を決定するような政治の世界は男性のものという意識は強く、そのことが投票行動にも深く影響したと推測される。とはいえ、今回の選挙結果は、伝統的価値観が重視される段階から、多様な価値観を考慮した政治の本格的な民主化へと進む上での過渡期として位置づけることもできるだろう。

 さて、1月17日、ロヤック大統領は組閣を実施した(表10)。新たな閣僚の顔ぶれを見ると、デブルムを大統領補佐大臣に指名し、国連大使として活躍してきたムラーを外相に選出した。また多くの大臣たちが、アマタ・カブアやイマタ・カブア政権時代の閣僚や次官経験者で、実務職の強い内閣を作り上げたように感じられる。

表10 クリストファー・ロヤック政権の閣僚名簿

 ロヤック内閣の布陣から想起されるのは、第2代イマタ・カブア大統領および前期トメイン政権の陣営である。両内閣でそれぞれ財相及び外相を務めたデブルムは、今次のロヤック政権成立に関しても影の功労者であり、同時に同内閣の事実上の司令塔、あるいは副大統領的な役割を担っている。こうしたデブルム大臣の政府内での発言力の大きさは、ベテラン議員の経験にもとづく安定感をもたらすと評価できる面がある。一方で、その行動が顕著になりすぎれば、大統領のリーダーシップへの疑問に変わりかねない。トメイン政権の弱体化は、まさにこのデブルム外相の更迭から始まった。ただし、クワジェリン米軍基地の交渉以来の盟友であるロヤックとデブルムの関係を考えると、今回は、トメイン政権のような事態に発展する可能性は少なく、当分の間は議会内で3分の2を占める圧倒的な与党体制の中で政治が進むものと予想される。

 一方で、今後4年間という中長期的な視野に立った場合には、米国政府との関係について注意を払う必要があるだろう。過去のAKAを中心とした政権では、米国との外交姿勢は是々非々の対応で、必ずしも蜜月な関係ではなかった。ゆえに核実験被害補償問題やマーシャル人移住者への制限問題に対しては、米国の対応について厳しい交渉を実施していくものと思われる。こうしたロヤック政権に対して、米国政府もここ一年程度は自国の大統領選挙の行方もあって目立った動きは示さないのではないか。ただし、表11が示すように、米国との自由連合協定に伴う経済支援は毎年70百万米ドルに及び、同国予算の65%にも及ぶ。そのためマーシャル政府の対応いかんによっては、経済支援策の引き締めなど現政権に対して強硬な姿勢を示しつつ、さらにマーシャル議会の野党勢力や、場合によってはノート派や無所属議員に働きかけを行うなどして、水面下でのマーシャル政治への介入を行うことも考えられる。

 


参考資料:2011年総選挙結果に基づく議会内勢力図

(1)KEA(ゼドケア大統領及びトメイン元大統領派:12名)
チューレーラン・ゼドケア大統領(マジュロ)
ブレンソン・ワセ法相(マジュロ)
デイビッド・クレーマー前法相(マジュロ)
ルーベン・ザカラス大統領補佐大臣(アイリンラプラプ)
メイナルド・アルフレッド公共事業相(アイルック)
ニーダル・ロラック教育相(アルノ)
ジョン・シルク外相(エボン)
アーヴィン・ジャックリック国会議長(ジャルート)
マトラン・ザカラス資源開発相(ナムリック)
ケネス・ケリー運輸通信相(ロンゲラップ)
リトクワ・トメイン前大統領(ウォッチェ)
(2)AKA(クワジェリン議員団を中心としたグループ:13名)
フィリップ・ムラー国連大使(マジュロ)
トニー・ムラーNTA(電報電話局)CEO(マジュロ)
クリストファー・ロヤック元大統領補佐大臣(アイリンラプラプ)
ジベ・カブア駐日大使(アルノ)
マイケル・カブア元ウォッソ市長(クワジェリン)
ジェバン・リクロン元クワジェリン開発局長(クワジェリン)
トニーデブルム元財相(クワジェリン)
トニー・アイゼイア地方議員(ナム)
ジェラコジ・ベジャン議員(リブ)
デニス・モモタロウ元運輸通信大臣(メジット)
カイオス・ラッキー元議員(ウジャエ)
ヒロシ・ヤマムラ元内相(ウトリック)
デイビッド・カブア議員(ウォッソ)
(3)UDP(ノート大統領支持グループ:5名)
ケサイ・ノート元大統領(ジャボット)
リエン・モリス元内相(ジャルート)
トマキ・ジュダ元キリ・ビキニ・エジット(KBE)政府市長(KBE)
ドナルド・カベレ元法相(リキエップ)
マイケル・コーネリアス元財相(マロエラップ)
(4)無所属(ハイネ一族:3名)
ヒルダ・ハイネ元教育次官(アウル)
トーマス・ハイネ警察庁副長官(ラエ)
ウィルバー・ハイネ内務省次官(ミリ)
*肩書きは投票日現在。
*派閥の区分は選挙後のグループ行動を下に筆者が区分した。そのため、実際の大統領選出選挙などにおける投票数と異なる場合がある。

(1) 大統領選出投票は、無記名で行われるためどの議員がどちらの候補に投票したかは最終的には各議員の申告に基づく情報によるしかない。なお、残りの1票は今回立候補していないケサイ・ノートと書かれていたため、無効票となった。
(2) 通常マーシャルの酋長家の家系においては、伝統的首長家の一員であるメンバーであることを示す称号として、男性を「イロージ(Iroij)」、女性を「レロージ(Leroij)」が使用される。特にその家系の筆頭首長である男性に対しては、特別に「大首長」(イロージラプラプ; Iroijlaplap)という称号が使われ、周囲から特別に敬意を表される。
(3) ゼドケア大統領は就任当初は母親のアタマ・ゼドケア(Atama Zedkaia)が筆頭イロージ(モーチュン)であったため、彼はその筆頭の後継者に過ぎなかった。その後、2010年11月19日にアタマが逝去するとこれを受けて、長男のゼドケア大統領がマジュロの筆頭イロージの地位を引き継ぎ、イロージラプラプに就任した。ただし、大統領就任以前から事実上マジュロの筆頭イロージの後継者として、アタマの代行を引き受けていたため、周囲からは敬意をこめて「イロージラプラプ」と呼ばれることも多かった。
(4) メイン大統領への不信任決議でノート大統領を中心としたメンバーがトメイン大統領を中心とする一派と分裂して以降、両グループがそれぞれ「統一民主党(UDP)」を名乗っている。本稿では、説明の上で混乱を避けるため、それぞれを「ノート派」および「トメイン派」と便宜上区分して示すことにする。
(5) 法相に関しては、辞任を表明したデイビッド・クレーマー(David Kramer)前大臣に代わり、ブレンソン・ワセ(Brenson Wase)元財相が就任した。
(6) 第3代ノート大統領以降、トメイン・ゼドケア両大統領とも大統領就任直前は国会議長を務めていた。そのため、周囲からは国会議長は大統領になるための重要な試金石となるとみられていた。
(7) ジャックリック議長は5段階の議会改革案を発表した。すなわち、①マーシャル国会(ニティジェラ)の再編として、議員定数を33名から20名に削減する。また伝統的首長評議会はラタックとラリックの二つの地域代表に分け、それぞれの代表をニティジェラに代表として送り込む。②環境問題を含むMDGに関わる問題へ取り組む、③地方政府の自治拡大、④予算の承認のための議長による憲法上の権限を認識、⑤立法府としてのオフィスの強化を進める、という提案である。(MIJ 2010/8/27)
(8) イバイの人口は、1999年時点で9345人であったが、2011年の国勢調査の結果、10974人に増加している。イバイとマジュロの人口は増加しているのに対して、離島の人口は12年間で、17819人から15179人に減少していることも報告された。
(9) マーシャル/パラオのコンパクトに関する報告書によると、クワジェリンの土地所有者への支払い金やイバイ島は関係コミュニティに支払われる資金総額は527百万米ドルであり、これはパラオ全体に支払われるパッケージ総額229 百万米ドルをはるかに超えるものである。クワジェリンへの資金供与は支出金として計上はされているものの、現在も続いている新たな土地協定の交渉が進んでいないため、パラオに支払われる2倍以上の金額に上ってしまう計算となる。とりわけ、20年間に土地所有者に支払われる土地代の総額は382百万米ドルであり、この金額のみでパラオへの総額を上回っている。また年ベースで計算すると、クワジェリンに支払われる金額は、マーシャルへのコンパクト財政資金等の米国からの財政支援総額の35%に相当する。さらにクワジェリンに支払われる部分に関しては、マーシャルに支払われるコンパクト基金が2023年で終了するのに対して、クワジェリン関連予算は基地が散在する限り継続的に支払われる(MIJ 2011/3/18)
(10) デブルムは、改訂コンパクトの調印以降、マーシャル政府とクワジェリンの土地所有者の関係は冷え込んでいたと指摘する一方で、今回ゼドケア大統領は、就任後数カ月にわたる真摯な交渉を受け、クワジェリンの土地所有者側も態度を変えたと述べている。
(11) この調印は、2003年に米国とマーシャル両政府により調印された改訂自由連合協定を受けたもの.正式には「米軍基地使用・操業権協定」と呼ばれる。本来正式の調印という場合は、二人のイロージが署名した後、残りの伝統的首長であるリゴール・リトクワ(Likwor Litokwa)とネルー・ワタック(Nellu Watak)はマジュロで署名をし、その後86人に及ぶアラップ(Alap)やリジャルバル(Rijarbal)などの土地所有権者がイバイの政府庁舎内で署名を行い、本件協定は正式に合意された。ただし、クワジェリン環礁では、伝統的首長の権威が強く、アラップやリジャルバルが伝統的首長の決断に反旗を翻ることはなく、他の二人の
伝統的首長も今回の署名に関してイマタ・カブア及びアンチュア・ロヤックの決定を支持していたため、二人の署名により事実上締結されたということになっていた。
(12) クワジェリン土地使用料は4半期ごとに支払われる。第一期支払いは10月で、全体の30%にインフレ調整額を加えた金額が支払われる。第二期支払いは1月に30%、その後4月と7月にそれぞれ20%支払われる。2012年度の場合は、総額17,010,000米ドルの支払いがなされることになっているが、その内、10月に当初年度支払予定額の15百万米ドルの30%にあたる4.5百万米ドルにインフレ調整額(2,010,000米ドル)が加えられた、6,501,000米ドルが支払われ、2012年1月には4.5百万米ドル、4月及び7月には3百万米ドルがそれぞれ支払われる(MIJ 2011/10/21)。
(13) 米国エネルギー委員会議長は、核被害関連の健康対策等の費用を、補償とは別に法制化することを提議している。2007年に提案されたものでは、年間2百万米ドルの177プログラム資金を2023年のコンパクト終了時まで支払われることになっている。新たな案ではこの2百万米ドルの資金に加え、エヌエタック環礁のルニットドーム建設時に被曝したマーシャル人への補償金も組み込まれる予定である。(MIJ 2009/12/18)
(14) 特別被曝歩兵隊に実際に支払われた補償額は総額73,526,698米ドルである。
(15) マジュロ市街地にある146のビジネスへの調査によると、純粋なマジュロ生まれのマジュロ人は既に少数派にあることが分かった。その多くはマーシャルの市民権を得た外国人であることも分かった。146件中、54%に当たる79件が「外国人」をオーナーとする企業で、マーシャル人企業は67件であった。立地条件で見た場合も、中国系や非マーシャル人の企業は主要道路に面した店が多かった。規模別にみると、小規模経営商店では過半数がマーシャル現地人経営企業である一方、中規模・大型の商店では、50件のおよそ半分に当たる24件が中国・台湾系企業となり、現地人経営商店は17件にまで減少している(MIJ 2009/12/4)。
(16) 2009年のリーマンショック以降の米国の景気低迷の影響はクワジェリン米軍基地の雇用にも大きな影響を与えている。2011年には、79人の基地労働者が解雇された。また2012年度の総額13%の予算削減に伴い、米軍基地では連邦議会で補正予算が可決しない場合には、マーシャル人100~120人、米国人40~50人の解雇が実施される。この結果、マーシャル政府に入る予定の税収入が百万米ドル減少することが予想される。
(17) 自由連合協定に基づく経済支援が終了した以降も同レベルの歳入を同信託基金の運用益から得るために は、2023年時点で信託基金の原資が755百万米ドルに達している必要がある。2004年改訂自由連合協定締結時に想定した通り運用が順調に行くならば、2010年末時点で133百万米ドルになっている必要がある。しかし実際には101百万米ドルに過ぎなかった。その理由は市場での運用が十分に機能していなかったためである。2010年度(2009年10月~2010年9月)の一年間での運用利回りは、0.19%のマイナスとなっていた。このペースで行くと残りの13年間で予定の金額に到達するためには、毎年30%を超えるような歴史的な運用利回りを遂げる必要があると算定されている(MIJ 2010/11/12)。こうした現状を理解して、マーシャル政府も第1期5年間のコンパクト基金に関する財政状況報告書において、本来2023年で終了を迎えるコンパクト資金供与、2年間の開始が遅れたことを理由に、2025年まで延長するよう要求している(MIJ 2010/12/17)。
(18) 2009年のミレニアム開発目標(MDG)進捗報告書によると、マーシャルでは保健衛生面での状況は順調に改善していることが確認できるものの、貧困飢餓対策や持続的可能な発展などの分野で問題点が指摘されている(MIJ 2010/7/30)。
(19) 雇用の拡大を目指してきた歴代の政権の努力にもかかわらず、2011年の国勢調査によると、1999年の段階で30.9%の失業率であったが、2011年は31%と変化がないことが報告されたた(2011年8月12日)。
(20) ハワイ州知事は、自由連合国出身者に対する費用負担が、2002年時点では32百万米ドルであったのに対して、2010年には114.9百万米ドルまで拡大したとを報告している。2010年には、経済支援、医療費支援、ホームレス支援を含め、延べ人数20720人に対して総額52.1百万米ドル負担している。さらに、失業者支援(労働訓練等)に1.3百万米ドル、医療費負担に4百万米ドル、教育費負担に56百万米ドル。また、ハワイ在住の犯罪に関与した自由連合国出身者の数も増加しており、彼らに対する弁護活動に関する負担も大きな問題になっている。ハワイ州は自由連合国出身者の拡大に歯止めをかける対策が必要であると連邦政府に要望している(MIJ 2011/8/26)。
(21) 米国側の移住制限を求める動きに対して、マーシャル政府側は、「米国と我が国は特別で独自の関係を維持していくために、両政府が協力して問題解決に取り組むべきである」と述べ、移民の制限を求める米国側の動きに対して牽制した。
(22) 2011年総選挙に際して、マジュロ選挙区のウィフレッド・ケンドル(Wilfred Kendal)元教育相、アリック・アリック(Alik Alik)元国会副議長、ノーマン・マシュー(Norman Matthew)内相が病気などを理由に政界を引退した。

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