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141-追悼 ミクロネシアの友 栗林徳五郎さん

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追悼  ミクロネシアの友 栗林徳五郎さん
栗林徳五郎

 2月3日、栗林徳五郎さんが逝去された。1928年3月、北海道室蘭市生まれの84歳。南洋貿易株式会社の会長、キリバス共和国・ツバル両国の名誉総領事を長らく務められた。日本ミクロネシア協会と称していた1985年から2009年まで、本研究所の理事でもあった。
 「お公家さんのような方ですね」とは、栗林さんを知る人たちが決まって口にする人物評だったが、私もまた初めてお会いした30数年前から昨年の秋にパーティーで最後にお目にかかった時まで、その印象は少しも変らなかった。
 アフター5の時間帯は、銀座の交詢社を根城にしていたようで、私もしばしば呼ばれてグラスを傾けながら南洋談義に花を咲かせた。お酒の好きな方だった。貿易会社の経営者というから、商売や金儲けのタネは何処にあるのかの話題になるのかと思いきや、そんな話を聞いた記憶は一度もない。ミクロネシアの独立支援や日本の南方関与のあり方について、いつも熱く語るのが栗林節だったのである。天下国家の話ばかりで、本業の商売の方は大丈夫なのかな?といらぬ心配をさせるほど、無私を感じさせる人柄だった。ここに、一商社マン・商社経営者であることを越えて、ミクロネシアの人たちから厚い信頼を寄せられてきた理由があったのだろう。
 マーシャルのアマタ・カブア、トラックのトシヲ・ナカヤマ、パラオのハルオ・レメリークも来日すると決まって栗林さんを訪ねたが、その際は瀬田の私邸に招いて歓迎することもしばしばだった。それは商売がらみではなく、ミクロネシアの友としての行為だったからである。その彼らは、ミクロネシアの戦後政治における第一世代のリーダーたちで、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦、パラオ共和国が自治政府を樹立させた際に、いずれも初代大統領になった。だから、大統領が友人だったというより、若い頃にミクロネシアの独立や国家のあり方を共に語り合った島の友たちが、次々に大統領や新しい国のリーダーに育って行ったと表現した方が適切だろう。こんな島人脈を有していた人物は、後にも先にも日本には栗林さんを置いていない。
 ではなぜ、こうした希有な人物が出現したのか。もちろん、栗林さんの個人資質ゆえだろう。しかし、その生い立ちもまた、大きく関係していたようである。
 日本の南洋進出の先駆けとなった「南洋貿易会社」が発足したのは、1892年(明治26年)。この会社は、日本の南洋群島の委任統治領化で大きく発展したが、さらに1938年にはマリアナ諸島の製糖産業を中心に大企業に成長した南洋興発と合併して、「北の満鉄、南の南興」と呼ばれるほどの会社になった。この南貿と合併後の南興を社長として率いてきたのが栗林さんの父徳一氏だったのだ。
 徳五郎さんは、この家の8人兄弟姉妹の三男として生まれた。少年時代は、何不自由なくのびのびと育った。17歳で終戦、北大予科から國學院大を卒業し、帯広第一中学の国語教員になった。だが、『冒険ダン吉』世代であり、かつ南洋群島の経済を支えていたのが父の会社だった出自を思えば、彼の魂がこのまま収るはずもない。
 南洋興発は日本の敗戦と共に消滅していたが、徳一氏が1950年に再興した南洋貿易株式会社に34歳で入社、1962年のことだった。その3年後、東京五輪の翌年に、アメリカの貨物船パシフィック・アイランダー号に乗船して、旧南洋群島の島々を巡った。当時は、グアムまでの飛行便はなかったし、一般日本人のミクロネシア入国は許可されていなかったから、おそらく戦後に入域した先駆け的日本人だったはずだ。栗林さんの南洋への強い思い入れは、この頃から始まったと想像される。ちなみに、私が初めてミクロネシアに行ったのが1975年、栗林さんの初訪問から10年が経っており、その頃はグアム経由でジェット機が飛ぶようになっていた。
 かつて日本が統治した島々、父の会社による経済活動で反映していた島々で栗林さんが見たものは、アメリカ施政下にあって何もない荒廃した旧南洋群島だった。商売よりも、まずミクロネシアの復興、地域の独立と経済的自立を優先させようと考えたのは、その光景を目の当たりにしたからだと思う。
 お公家さんのようだ、とよく言われた栗林評は、育ちの良さが醸し出す雰囲気だったかも知れないが、私はそれだけではなく、「ノーブレス・オブリージュ」を感じる。これは「高貴な者こそ無私になり、公益に尽くさねばならない」という仏語起源の言葉である。栗林さんが、これを意識していたとは思わない。だが、生まれながらにそれが身についていた人のように、私には思えるのだ。島々を語り合い、島々との友好発展を願う人たちの中に、栗林さんのような方が居たことを誇らしく思う。だから一方で、残念でならないのだ。(小 林 泉/大阪学院大学教授)
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