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145-2014年の太平洋島嶼地域における総選挙分析

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2014年の太平洋島嶼地域における総選挙分析

-ニウエ・クック諸島・フィジー・ソロモン諸島・トンガ-

研究員 黒崎岳大


はじめに
2014年、太平洋の幾つかの島嶼国で総選挙が行われた。選挙に向けた各地の動きについては、年初より多くのメディアで注目され、その結果は今後の島嶼地域の政治に大きな影響を与えるとして議論されてきた(*1)。
 とりわけ、注目されたのは、9月に行われたフィジーの総選挙である。フィジーは、2006年のクーデター以後、ジョサイア・ヴォレゲ・バイニマラマ(Josaia Voreqe Bainimarama)首相の下で新憲法の制定、新たな選挙制度の導入と民主化にむけた改革が進められていた。一方で議会停止やメディア・労働組合に対する介入などを理由に、太平洋諸島フォーラム(PIF)並びに英連邦から資格停止にされるなど、豪州・NZをはじめとした周辺諸国と対立し、政治的に孤立する事態となっていた。こうした中で、フィジー国民がバイニマラマ政権に対してどのような審判を下すのか、周辺諸国にとっては大きな関心事だったのである。
 一方、他の国々においても、意外な選挙結果に周辺諸国が驚かされることもあった。ソロモン諸島地域支援ミッション(RAMSI)の軍事部門が撤退して初めての総選挙を迎えるソロモン諸島、政治の民主化を進める中で二度目の選挙を迎えたトンガ、ニュージーランドとの自由連合国であるニウエやクック諸島、これらいずれの国においても、あらたな選挙結果は今後の政治に大きな影響を与えることになる。それゆえ選挙結果を分析すれば、今後数年間の各国の政治運営や外交指針の概要を見出すことができるだろう。

 本稿では、2014年の実施されたPIF加盟5ヵ国(ニウエ・クック諸島・フィジー・ソロモン諸島・トンガ)の総選挙結果を分析し、今後の国政・外交への影響を検討していきたい(*2)。

1.ニウエ総選挙
 NZとの自由連合国であるニウエでは、2014年3月7日に議会が解散され、4月12日に総選挙が行われた。ニウエの選挙は3年ごとに実施される。総議席数は20、6議席が全国区、14議席が小選挙区となっている。ニウエには明確な政党と呼ばれるものはなく、全てが無所属議員である。そのため、議会内は政権を支持する与党グループと不支持の野党グループという漠然とした区分がなされている。
 ニウエでは、2008年の総選挙でそれまで現職だったヤング・ヴィヴィアン(Young Vivian)首相に代わり、オークランドを中心に幅広くビジネスを行い、同年の総選挙で全国区から立候補しトップ当選をしたトケ・タランギ(Toke Talagi)氏が首相に就任した。タランギ首相は、就任直後にホストとして開催したPIF年次会合を成功させるとともに、翌年日本で開催された第5回太平洋・島サミットでもPIF議長として麻生総理(当時)とともに共同議長を務めた。またアジア諸国との関係構築にも積極的に乗り出し、インドやシンガポール、タイなどの国々と外交関係を開設している(*3)。さらに太平洋・島サミットで創設された「太平洋環境共同体(PEC)基金」により、日本政府による太陽光発電設備の供与を得た。こうした外交舞台での活躍の一方で、国内においてはニュージーランドからの支援が削減されるなど厳しい財政に対して、国内税法を改革。2009年からは、物品・サービス税を導入するなど財政改革を断行した。こうした国内行政改革の成功は、住民からの支持へとつながり、2011年の総選挙でもタランギ支持グループが12議席を獲得して再選された。
 安定した議会内での支持基盤を下に、タランギ首相は国内の経済政策の促進に力を傾ける。新たな産業の育成を図るため、蜂蜜やノニなどの農産品の育成を進めた。また、ニュージーランドからの観光客を増加させるために、2013年からは夏季限定ではあったがオークランド・ニウエ間のニュージーランド航空便を週2便へと増便させた(*4)。一方外交面でも、2011年11月にポリネシア地域の地域協力組織である「ポリネシア・リーダーズ・グループ」を結成し、その中心的な役割を果たした(*5)。
 国内での産業政策の推進を進める中、ニュージーランドとの間で自由連合協定を結んだ1974年から数えて「独立」40年目にあたる2014年総選挙は、前回同様タランギ政権に対する信任投票と位置付けてよかった。結果は、解散前と同じタランギ支持グループが12議席、反対グループが8議席。5月17日の議会ではタランギが3期目の首相に選出された。就任直後の会見で、「首相に再選されたことを光栄に思うと同時に、現在行っている国内の財政改革と産業育成事業を着実に進めていく」と約束した。

 タランギ首相に対しては、「オークランド在住の期間が長く、ニウエ島内にあまり居たがらない」と批判する声もあるが、総じてそのリーダーシップに加え、まじめな職務遂行ぶりが評価されている。今後は、厳しい財政に対応するため国内産業の育成や周辺ドナー国との間の外交・経済支援交渉など、更なるリーダーシップが期待されている。

ニウエ選挙結果

2.クック諸島総選挙
 7月9日に行われたクック諸島の選挙制度は、単純小選挙区制。国内を24の選挙区に分け、各選挙区で最多得票者が当選となる。
 基本的にはブナ現首相が率いる与党・クック諸島党と、野党第一党の民主党の二大政党制が確立してきた。古くはアルバート・ヘンリー(Albert Henry)およびその従弟ジェフリー・ヘンリー(Geoffrey Henry)両元首相が率いたクック諸島党と、トム・デービス(Tom Davis)元首相が率いてきた民主党の間で政権交代が次々に行われ、各党の党首が首相として政権を運営する体制が続いた。
だが、時として有力議員の離脱や少数政党の結成によって、議会における勢力構図が大きく変化することもあった(*6)。ジム・マルライ(Jim Marurai)前首相の下で起こった、与野党が頻繁に入れ替わる事態がそれだ。
 2004年に民主党が議会の過半数を掌握し、マルライ氏が首相に就任したものの、政権運営をめぐり首相と与党民主党が対立。2005年、同首相は民主党を離脱して、クック諸島党と連立政権を樹立した。ところが2006年には、同首相はクック諸島党との間でも政権協議で行き詰まり、再び民主党に復帰して、同年の選挙に勝利した。こうした政局ばかりが続く国内政治状況の中で、財務大臣による入札不正問題や与党議員の離脱などが相次いで、民主党政権への支持が急落。2010年の総選挙ではクック諸島党が過半数を得て、ヘンリー・ブナ(Henry Puna)政権が誕生した。
 ブナ首相は就任後、政治の安定化と共に外交の分野で成果を上げていく。2012年には、PIF年次会合を首都ラロトンガで開催した。同会合には米国のクリントン国務長官(当時)をはじめ各国の重要閣僚が参加し、国際社会における太平洋島嶼国のプレゼンスをアピールする場として注目された。
 一方で、政治の安定を求める声により成立したブナ政権であったが、内政面では前政権同様不安定性を暴露してしまう。それは今回の解散総選挙に至るまでの与党内の混乱に現れている。
 クック諸島の議員任期は4年だが、しばしば任期途中に解散総選挙となる。今回の総選挙も、3ヵ月ほどの任期を残しての解散・総選挙となった。2015年に予定するNZとの自由連合協定下における自治権獲得50周年の記念式典開催にあたり、予算を含めた準備に時間が必要という理由から、ブナ首相がトム・マースターズ(Tom Masters)女王名代に解散を進言したのである。しかしながら、実際のところは選挙情勢をめぐる与野党内の思惑が影響していたと思われる。閣内ではテイナ・ビショップ(Teina Bishop)教育・環境大臣がブナ首相に対して批判的な姿勢を見せる一方、ブナ首相も議会運営を不安定にさせ、選挙を前倒しにせざるを得ない状況を作ったとして、同大臣を非難した。議会解散がなされるとビショップ大臣は大臣職を辞して、与党クック諸島党を離れた(*7)。こうした事態に、野党・民主党は与党の政権運営が上手くいっていない証左だとし、政権交代に向けてビショップ前大臣と連携することを示唆した。
 選挙前にはブナ首相が率いるクック諸島党が、13議席とかろうじて過半数を持っていたが、選挙戦では大苦戦が予想された。一方で、民主党側も前政権下で混乱を生じさせていた事態を有権者は覚えており、必ずしも与党への不満の受け皿になるべく強力に支持されるまでには至っていなかった(*8)。そのため、各地で与党候補と野党候補が大激戦を繰り広げることとなった。その結果、国内全体の得票総数では民主党がクック諸島党を上回りながらも、小選挙区ではクック諸島党が14議席、民主党が10議席となり、新議会での首相指名選挙ではブナ首相が再選された。
 しかし、この首相指名選挙をもってすんなりと終りにはならなかった。各選挙区でわずか数票差で負けた民主党候補者側が、選挙結果をめぐり司法に訴える戦術に出たからだ。その結果、選挙区のいくつかで民主党候補の勝利にとって代わる事態となり、これが法廷闘争にもち込まれたのである。9月の高裁判決で、タマルア選挙区ではクック諸島党から民主党に議席が移動した。また同数だったミチアロ選挙区は11月に再選挙が実施され、民主党候補が1票差で勝利し、与党と野党が同数となった(*9)。さらに、12月第一週の判決において、ヴァイパエ・タウトゥ選挙区におけるクック諸島党候補の勝利が無効とされ、2月に再選挙が命じられた(*10)。2014年1月現在、議席数は12対13となり、ついに与党が過半数を割り込む結果となった。

 野党陣営は、こうした結果を受けて、民主党とワン・クック諸島運動の間で協議が行われ、ブナ首相が退陣した際にはビショップ氏を首班指名することで連立政権を樹立すると決定した(*11)。これに対して、与党側は野党陣営からの退陣要請を拒否してこう着状態になっており、この状態は2月のヴァイパエ・タウトゥ選挙区の再選挙まで続くものと思われる。いずれにせよ、ブナ首相にとっては予断を許さない厳しい政権運営が待っている。

クック諸島選挙結果

3.フィジー総選挙
 2014年における太平洋島嶼国の選挙のなかで、最も注目されたフィジーの総選挙は9月17日に実施された。このことは、8月29日から9月1日までパラオで開催されたPIF年次会合においても、大きな関心を集めたのである。民主化を実現させたあとのフィジーの扱いをめぐり、島嶼国並びに周辺ドナー国のリーダーたちが次々にコメントし、PIFの資格停止中であるにもかかわらず、フィジーが事実上の主役的な存在になってしまった。
 フィジーは、約6割のフィジー先住民と、4割弱のインド系住民で構成されている。独立後しばらくは先住民系議員が政権を担ってきたものの、その後は総選挙の結果によってインド系議員が中心となる政権が成立することがあった。すると、フィジー先住民で構成される軍隊や武装フィジー人によってクーデターが起こされ、フィジー先住民系に政権が戻されるという政治が繰り返された。このことから、フィジーには「クーデター文化」と呼ばれる政治文化があるという指摘も多くされた。
 2006年12月、バイニマラマ司令官は、ガラセ政権のクーデター首謀者に対する寛容政策を批判する形で、クーデターを起こし、暫定首相に就任した。バイニマラマ首相はフィジーの「クーデター文化」を止めさせることが必要であると認識し、「フィジー先住民系」や「インド系」というような民族区分をするのではなく、1つの「フィジー人」の国をつくるという目標を掲げ、議会を停止し、新たな選挙制度作りにとりかかった。その一方で国内の行政改革や地方を中心とした経済開発をも同時に実施していった。
 その後、この政権をめぐる非合法判決が出され、イロイロ大統領は憲法を廃止するという荒業に出て、それに伴い大統領から任命される形で、自らも正式に首相に就任した。そして当初は2009年に総選挙を実施する予定であったが、国内改革が途中であり、時期尚早と考え、2014年まで延期することを宣言した。
 こうしたバイニマラマ政権の動きに対して、豪州など周辺諸国からは民主的ではないと非難が高まり、2009年5月にはPIFが資格停止という処分を行った。続いて9月には英連邦からも資格の停止処分を受けたことで、フィジーは太平洋諸島地域で政治的に孤立状態に陥った。ただしこの間も、バイニマラマ首相は、2014年の総選挙に向けて、着実に国内の経済政策を中心とした戦略的な改革を続け、2013年9月には新憲法も公布し、2014年9月17日に総選挙の実施に持ち込んだのである。
 筆者も2010年以降何度かフィジーを訪問し、現地のフィジー社会の雰囲気や住民の様子を確認した。バイニマラマ政権に関する豪州などの報道を耳にすると、フィジーは、独裁者によって、メディアや市民運動が弾圧を受けているようなイメージをもってしまいがちである。しかしながら、現地を訪れてみると大分異なっていた。都市部における経済状況は比較的良く、地方などでも開発が順調に進んでいる様子がうかがえた。しかも、現地の人々と話をすると、選挙登録カードを入手したと喜んで話してくれるなど、バイニマラマ首相の改革に対して、国民からもかなり高い支持が示されているとの印象を受けた。
 実際に2014年2月後半に行われた新聞による世論調査報道でも、バイニマラマ首相の支持率が極めて高いという結果が示され、現地で受けた肌感覚もそれほど間違ったものではないと確認できた。ただ一方で、現地に住む在留邦人などからの情報では、こうした印象とは裏腹に、現政権が8年も続いたことに対してフィジー人は飽きてしまっているのではないか、あるいはとりわけ地方では伝統的酋長が強い権力を握っているので、バイニマラマ率いる与党は過半数を取れないのではないか、という話も出ていた。そういった噂も含め様々な見解が入り乱れる中で、多くの国民の注目を受けながら選挙の日を迎えた。
 新しい制度における議員定員は50名。選挙制度の特徴を簡単に言えば、日本の参議院議員選挙における比例代表制度と類似している。ただし、いくつか異なる点もある。一つは、既に印刷されている候補者にチェックを入れる形であり、政党名を記入することはできない。具体的には「279番バイニマラマ候補」のところにチェックをするという形となっている。また有効投票数の5パーセント以下の政党は足切りを受けて、議席を獲得できない。その得票を抜いた上で、議席を獲得できる政党に議席数が比例配分されることとなる。
 投票終了後、すぐに開票作業が始まり、翌日には選挙結果の大勢は判明した。選挙結果は、バイニマラマ首相が率いるフィジーファースト党が、全体の3分の2近くを獲得する大勝利となった。投票率も比較的高く84%にのぼった。特に興味深かったことは、バイニマラマ候補が全体の有効投票数の40%、フィジーファースト党に投票した得票の3分の2以上にあたる68%を獲得したという事実である。このことからも、バイニマラマ首相に対する圧倒的な支持が選挙結果に示された、と言えるだろう(*12)。
 一方、野党第一党には社会民主自由党(SODELPA)が15議席獲得した。この政党は伝統的酋長系の政党で、同党のほとんどの候補は自らが影響力を持っている地域の票を固めて当選したと思われる。もう一つ議席を獲得した政党に国民連合党(NFP)がある。ここはインド系の穏健派が支持母体になっている政党で、インド系の一部の中では根強い支持があったものと思われる。一方で、かつてはマヘンドラ・チョードリー(Mahendra Chaudhry)元首相を出していたこともある、急進的なインド系住民が支持してきた有力政党・フィジー労働党は、5%の壁を超えることができず、議席を獲得できなかった。
 今回の総選挙の結果から明らかとなったのは、バイニマラマ政権が国民から信任を得ていたということである。「一つのフィジー人による国家」というバイニマラマの政治理念を支持した国民が多くいたと思われる。また、実務的にも経済政策、特に地方の電化などの開発が成功し、国内のインフラ整備によって国内経済も順調に成長しているという印象を国民に与えた、つまり、現政権による地方創生政策が国民からの支持に繋がったということもできるだろう。
 民主化に成功したこの選挙を受けて、バイニマラマ政権を評価する動きが各国から出てきた。日本や米国、豪州なども選挙の成功並びにバイニマラマ政権の勝利を歓迎する書簡が届けられた。これまで限定的なものでしかなかった各国からの支援も今後は経済支援やビジネスの促進という形で本格的に動き出すものと期待される。
 一方、フィジー政府も今回の選挙の成功で自信をつけ、国際社会に対して強気の姿勢を示す発言がなされるようになった。PIF議長であるトミー・レメンゲサウJr.(Tommy Remengesau Jr.)パラオ大統領は、フィジーの資格停止措置を解除するように指示を出したが、これに対して、フィジー政府はPIFに復帰する姿勢を示さず、復帰に関する条件をたたき付けてきた。それは、PIFから豪州とNZを排除する、もしくは両国の参加を維持する場合は、米国や日本、中国、韓国などのドナー国も参加させるというような抜本的な改革をせよ、というもの。
 このフィジーの要求に対して、他の島嶼国の姿勢はと言えば、「PIFの改革は重要だ、ただ豪州やNZをすぐに排除するのは難しい」というのが大半だった。むしろ、PNGやサモアなどは、フィジーがPIFメンバーとしての資格停止処分を受けている間に同地域においてリーダーシップを示してきた面もあり、フィジーの要求に批判的な反論をする背景には、島嶼国間の政治的な思惑もあるように思われる。

 2015年2月にはPIFの改革に向けた協議が実施されることが予定されている。フィジーがこの席で強気の姿勢を貫くのか、あるいは他のメンバー国との協議のなかで落とし所を示してくるのか、今後の展開を注意深く見ていく必要があるだろう。

フィジー選挙結果

4.ソロモン諸島総選挙
 ソロモン諸島の総選挙は11月19日に実施された。この選挙は全国を50に分けた単純小選挙区制であり、各選挙区で最も多く票を得た候補者が当選者となる。同総選挙には447人の候補者が立候補したが、2010年と比べて66名減少している。
1990年代後半から続くガダルカナル島民とマライタ島民との間の騒擾を受けて、2003年よりPIF加盟国により結成されたソロモン諸島地域支援ミッション(RAMSI)が派遣され、軍事・警察・経済支援の分野に分かれ、治安維持や経済開発での協力が行われてきた。今回の総選挙は、2013年にRAMSIの軍事部門が撤退後初めての総選挙である。軍事部隊が撤退して以降、国内の警察組織が中心に治安は保たれているが、一部地域では焼き討ち騒ぎなどもあり、国内に住む外国人などの間では選挙結果次第で再び騒擾のようなことが起こるのではないかという噂も出ていた。
 政府も治安維持には万全を期すとともに、選挙の運営において初めて生体認証機能を付けた有権者登録システムを導入した。また周辺ドナー国などからの選挙監視団を受け入れた。この結果、一部地域では選挙権の売買や投票箱の紛失などの選挙違反事例が見受けられたものの、投票率が89.93%に上るなど、全体として投開票は順調に進んだ(*13)。
 選挙の結果でまず驚かされたことは、現職のゴードン・ダーシー・リロ(Gordon Darcy Lilo)首相の落選である。同氏の選挙区であるギゾ・コロンバンガラ選挙区からは、リロ首相の甥で、それまで同首相の選挙参謀を務めていたジムソン・タナンガダ(Jimson Tanangada)氏が対抗馬として統一民主党(United Democratic Party)から立候補した。同氏は選挙区内で幅広く票を集め、現職首相を破るという結果に繋がった。また今回の選挙には太平洋共同体事務局長を長きにわたり務め、PIFの事務局長候補にもなったジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)も立候補したが、現職候補に大差をつけられ惨敗を喫した(*14)。このことからも、この国では国家的、国際的な場での活躍よりも、日ごろからの集落単位での細かな住民への対応が重視されていることがわかる。結果として、50議席の内、32議席が無所属議員となり、最も当選者を多く出した政党は民主連合党(Democratic Alliance Party)の7議席であった。
 この結果を受けて、議会内では新首相の指名をめぐり、議会内で多数派工作が行われた。その中心は、「ソロモン諸島人民民主連合」と「変革のための民主連合」であった。前者は、民主連合党・人民連合党・ソロモン諸島地方開発党・ソロモン諸島国民第一党を中心としたリロ首相を支持してきたグループであるのに対して、後者は統一民主党を最大の政党とするも主として無所属議員が中心に結成されたグループだった(*15)。だが、いずれのグループも過半数にははるかに及ばず、今回当選した無所属議員をいかに多く味方につけるかが勝敗を決することとなった。
 「変革のための民主連合」は、過去2回首相職を務めたマナセ・ソガワレ(Manasseh Sogavare)を首相候補に立てた。彼らは前政権による政策の失敗を明確に示し、地方分権と教育の無償化政策を公約に掲げ、政権交代を実現すると主張して無所属議員の取り組みを進めた。一方、リロ首相の落選を受けて、「ソロモン諸島人民民主連合」は新たな首相候補として、ジェレミア・マネレ(Jeremiah Manele)開発計画援助調整省次官を推薦し、前政権の政策の継続を主張した(*16)。同氏は外務次官や首相府次官を長きにわたり務めたベテラン官僚であり、内閣不信任など政権が頻繁に交代する同国において、行政組織を支えてきた重要な人物である。今回の選挙で初当選し、政治経験は少ないものの、政権運営能力は期待できる人物である。
 「変革のための民主連合」が推薦するソガワレ首相に関しては、前回の首相就任時における豪州との関係の悪化を取り上げ、再度首相に就いた際には再び豪州との外交関係で問題が生じ、議会運営が行き詰るのではないかという懸念を示した。
 このようにして両陣営による首相指名選挙が12月9日に行われ、投票の結果、ソガワレ元首相がマネレ次官を31-19で破り、3度目の首相に返り咲いた(*17)。これは無所属議員の大半が、リロ前政権をリセットし、新たな政権を誕生させたいと思った結果であろう。

 もちろん、「ソロモン諸島人民民主連合」陣営が主張したように、ソガワレ首相の政権運営には懸念すべき点は多く存在する。中でも多くの人々が疑問視しているのは、豪州との外交関係である。前回首相時に、高等弁務官の指名などをめぐり豪州政府との関係が悪化した。その結果、2007年末にソガワレ政権に対する内閣不信任決議およびその後のデレック・シクア(Derek Sikua)内閣の誕生に至る一連の動きに対しては、豪州政府側が水面下で動いたという噂も挙げられたほどであった(*18)。こうした豪州との関係については、ソガワレ首相も就任後の会見で、「自分は良い経験をした」と発言し、外交関係について慎重に対応する姿勢を見せている。無所属議員を多く抱え込んだ政権であるため、与党議員を中心とした議会内対策もより一層重視する必要があるだろう。今後の政権動向を考える上で、豪州やニュージーランドとソガワレ首相との外交関係および議会内での多数派維持のための対策がどうなっていくのか、注視していく必要があるだろう(*19)。

ソロモン諸島選挙結果

5.トンガ総選挙
 2014年の最後に実施されたトンガ総選挙もまた、同国政治史上極めて大きな変化を告げるような結果となった。
 トンガでは長年にわたり国王が強い権力をもっており、首相も国王によって指名されてきた。議会も選挙区から選出される平民議員は9議席しかなく、その割合は国会議員全体の約30%に過ぎなかった(*20)。こうした中で、豪州やNZなどに出稼ぎに行った移民たちの影響を受け、1980年代より国内の民主化をめぐる運動が高まっていった。2006年には、民主化を求める市民たちによるヌクアロファでの焼き打ちなども行われ、トゥポウ五世前国王の下、平民の議会への参加の機会を拡大させる選挙制度が改革され、2010年には平民議席を17議席にまで増加する現在の選挙制度が出来あがった。同年の選挙では、貴族議員のトゥイヴァカノ卿(Lord Tu’ivakanõ)が首相に選出された。
 この度の11月27日に実施された総選挙では、国内の経済不況の影響もあり、市民たちも積極的に投票に参加したため、80%を超える高い投票率となった。結果は、アキリシ・ポヒヴァ(’Akilisi Pohiva)氏を代表とする民主派9名と、無所属の8名が選出された。
 その後、首相指名に向けて、このポヒヴァ代表の民主派グループと貴族議員(*21)の9人のグループが、残りの無所属8名を抱き込む政治工作をくりひろげた。
民主派グループは、無所属の議員と意見交換し、選挙で選出された議員の中から首相を選ぶべきだという旨の合意を行った(*22)。この動きに反応するように、貴族議員陣営は首相候補を貴族議員であるヴァエア卿に代えて、無所属議員であるサミウ・ヴァイプル(Samiu Vaipulu)副首相を首相に指名することを決め、無所属議員の切り崩しにでた(*23)。次期首相をめぐる水面下の攻防は、12月28日の指名選挙ギリギリまで続き、最後までどちらの陣営が勝利するかが分からない状況であった。
 結局、民主派グループが支持したポヒヴァ氏が、ヴァイプル副首相を15対11で破り、次期首相に任命された(*24)。ポヒヴァ首相は、トゥポウ5世前国王時代に平民として初めて首相となったフェレティ・セベレ(Feleti Sevele)に次いで2人目の平民出身首相となった(*25)。ただし、ポヒヴァ首相の場合は、議会で選出された初めての平民首相、つまり、選挙で市民から選ばれた最初の平民首相ということになる。ポヒヴァ首相はすぐに組閣に動き、12月31日には閣僚名簿が発表された。ポヒヴァ氏が率いるトン民主党から6名、無所属議員から5名、貴族議員から1名が閣僚に選出された(*26)。
 ポヒヴァ首相は1970年代後半よりトンガにおける民主化運動の中心人物として活動してきた。時として「王政廃止」ともとれる急進的な主張を下に、大学講師の職を不当解雇されるなどの辛酸をなめ続けてきた。1987年に国会議員になるも、1996年には議会侮辱の罪で投獄され、また2006年の民主暴動を扇動した罪で逮捕された。強力な王政の下で民主化運動を率いてきたポヒヴァ氏が首相に任命されたというのは、まさにトンガの政治史にとって新たな時代の幕開けを告げたということができるだろう。
 ただし、民主化の騎士と呼ばれたポヒヴァ首相といえども、王政を含め現在の政治体制を根本的に変えるような急進的な改革をいきなり実施するとは到底思えない。首相自身も任命後のインタヴューで、今後の運営については同志と相談しながら決めていくと語っている(*27)。民主化に向けて平民議席を拡大することや貴族議員からの首相選出の制限などの改革は行われるとしても、まずは今回の選挙で有権者から示された国内経済の立て直しに力を入れていくことになるものと予想される(*28)。

 本年7月4日にはトゥポウ6世現国王の戴冠式も準備されており、ポヒヴァ首相による政権運営と共に、2015年もトンガの情勢は引き続き注目が集まるものと思われる。

トンガ選挙結果

おわりに
 同じNZの自由連合国であるニウエとクック諸島では、安定政権の継続と不安定政権の出現という全く反対の結果が出た。フィジーでは、バイニマラマ首相に対する信任がなされ、今後の内政はもちろんのこと太平洋島嶼国を中心とした周辺諸国との外国政策においても強気の姿勢が示されそうな状況となった。一方、ソロモン諸島では現職のリロ首相がまさかの落選で、野党リーダーのソガワレ氏が3度目の首相に返り咲いた。またトンガでは、民主化推進勢力が17議席中の9議席を獲得し、他の無所属議員との協力で民主化の騎士として活動してきたポヒヴァ氏が平民議員として首相に任命された。
 このように、各国ともそれぞれの事情をかかえているとはいえ、全体としては選挙期間中大きな混乱が起こることもなく、また参加した周辺諸国によって構成された選挙監視団からも大きな問題点を指摘されることなく、民主的な手続きの下で滞りなく行われたと評価できる。選挙を受けて誕生した各国の政権は、今後内政をめぐる議会内での対応と同時に、他の島嶼国や周辺ドナー国との外交交渉も本格的に始めていくことになるだろう。
 2015年には、3月にミクロネシア連邦およびツバルで、後半の11月にはマーシャル諸島で総選挙が実施される。それぞれの国々では、既に水面下で有力候補による選挙活動が行われており、今後の情勢次第では2014年同様、政権交代に繋がる変化があるかもしれない。
 日本は今年5月に福島県いわき市で「第7回太平洋・島サミット(PALM7)」を開催する。その場は、誕生したばかりの太平洋島嶼国首脳たちにとっても、外交デビューの重要な舞台となるだろう。日本や近隣諸国に対して自分たちの外交姿勢を大いにアピールしようと準備を進めているはずだ。それだけに、日本政府も島嶼国の期待をしっかり受け止め、大いにリーダーシップを発揮すべきである。PALM7が、参加各国から十分に評価されるような実り多き議論が行われる会議となることを期待したい。

(*1) Islands Businessの2014年1月号 においても、「2014年はメラネシア地域にとって重要な総選挙イヤーである」というテーマで記事が掲載され、フィジー・ソロモン諸島、ニューカレドニアの選挙に向けた政治状況およびメラネシア地域に与える影響について述べられている(16-19)。
(*2) 本稿は2014年12月10日に太平洋諸島センター(PIC)主催事業「パシフィック・アイランダーズ・クラブ懇談会」(於:明治大学紫紺館)の「第一部・太平洋島嶼国トピックス」における太平洋島嶼各国の総選挙についての説明を再構成し、加筆修正したものである。同懇談会の内容については、PICのホームページに掲載している議事録(PDF版)を参照ありたい。
(http://blog.pic.or.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=1715)
(*3) ニウエ首相府によると、2014年末現在で、ニウエは15カ国と外交関係を開設しており、またヨーロッパ連合とも外交関係を樹立した。
(*4) 2013年のオークランド・ニウエ間のニュージーランド航空による週2便の運航は、結果的に観光業の成長などに大きく貢献した。この成功を受けて、同航空は、2014年より同区間の週2便運航を夏季限定から年間通じての運航に格上げした。
(*5) ポリネシア・リーダーズ・グループのように、太平洋島嶼地域においては、地域の中心的地域協力機関である太平洋諸島フォーラムの下部組織のようなグループとして、メラネシア諸国で構成される「メラネシアン・スピアヘッド・グループ」や米国の旧信託統治領の3国を中心に構成された「ミクロネシア三大統領サミット」などが組織され、定期的に会合が行われている。
(*6) 2009年にアイツタキを中心に結成された「Te Kura O Te ‘Au People’s Movement」もその事例の一つである。
(*7) ビショップ議員はクック諸島党を離脱後、ジョージ・アンゲネ(George Angene)とともに「ワン・クック・アイランズ・ムーブメント(One Cook Islands Movement、その後「ワン・クック・アイランズ党」とも称す)」という政党を設立した。同党は2014年の総選挙で2議席を獲得した。
(*8) 民主党代表であるウィルキー・ラスムッセン(Wilkie Rasmussen)は、プナ首相の政権運営を徹底的に非難し、民主党議員の当選につなげたが、自らの選挙区では、クック諸島党の新人議員による現地での精力的なキャン ペーンの前に後れを取り、議席を失った。
(*9) この結果に対して、クック諸島党側は選挙結果に不服をとし、再集計を求めるため司法手続きを進めており、民主党側の最終的な勝利を認めていない(”Commoner should be Tonga PM, says independent”, Radio New    Zealand International, 2014/12/5)。
(*10) “Court orders another by-election in Cook Islands”, Radio New Zealand International, 2014/12/17.
(*11) ビショップ議員は、連立協議を受けて、2015年2月に行われるヴァイパエ・タウトゥ選挙区の再選挙に対して、民主党候補者を全面的に支援することを約束した(“Bishop possible new Cooks PM”, Radio New Zealand International, 2014/12/22. )。
(*12) その他のフィジーファーストの有力候補としては、バイニマラマ首相の懐刀的存在であるアイユズ・サイード. カイユーム(Aiyaz Sayed-Kahiyum)司法長官が全体の第3位(党内で第2位)、前駐日フィジー大使のラツ・ イノケ・クンブアンボラ(Ratu Inoke Kubuabola)外務大臣も全体の9位(党内第4位)という上位で当選した。
(*13) “90% turnout in Solomons polls”, Radio New Zealand International, 2014/12/2
(*14) 2014年8月にパラオで開催された太平洋諸島フォーラム年次会合では、トゥイロマ・ネロニ・スレイド(Tuiloma Neroni Slade)事務局長に任期満了に伴い、新しい事務局長の選出が行われた。事務局長のポストをめぐり、ロジャース氏の他、元フィジー外相のカリオパテ・タボラ(Kaliopate Tavola)氏および元駐米PNG大使のメグ・テーラー(Meg Taylor)女史が立候補したが、協議の結果、テーラー女史が新事務局長に選出された(http://www.forumsec.org/pages.cfm/newsroom/press-statements/2014-1/pngs-dame-meg-taylor-will-be-pifs-first-female-secretary-general.html)。
(*15) “PM election expected in next two days in Solomons”, Radio New Zealand International, 2014/12/1.
(*16) “Solomons coalitions brace for elections”, Radio New Zealand International, 2014/12/9.
(*17) “Sogavare elected Solomons PM”, Radio New Zealand International, 2014/12/9.
(*18) ソガワレ首相が豪州と対立する外交政策をとっていた背景には、RAMSIを展開する中で、政府中枢に人を 送りこみ政治をコントロールしようとしていた豪州の影響力を排除し、自分と側近による中央集権型の政権運営を行おうとしていたことがあるものと思われる。なお、RAMSI展開から第2次ソガワレ政権の成立に至るまでのソロモン諸島の政治情勢については、小川和美による「RAMSI展開以後のソロモン諸島の政局–対オーストラリア関係を中心に」(『パシフィックウェイ』129巻、32-40、2007)が詳しい。
(*19)なお、現地新聞『ソロモン・スター』によると、与党系議員が野党陣営との間で、予算が成立した後に内閣不信任案を提出する旨の協議を行っている動きがあると報道した。これに対して、野党党首のマネレ代表は同紙の報道内容を直ちに否定した(“Solomons no confidence motion false”, Radio New Zealand  International,
2015/1/12)。
(*20)2010年までのトンガ議会は、選挙によって選ばれた9名の他に、33名の貴族の中から選出される9名の貴族議員と、国王によって任命される12名の閣僚や知事などの議員による、30名で構成されていた。
(*21) トンガにおける貴族は、代々世襲でタイトルを受け継いできた33人の貴族(現在3つのタイトルが欠員)と、国家に対する長年の功績などに基づき国王によって任命された「一代限りの貴族」(8名)が存在している。
(*22) “Commoner should be Tonga PM, says independent”, Radio New Zealand International, 2014/12/4
(*23) “Tongan nobles withdraw PM candidate”, Radio New Zealand International, 2014/12/29.
(*24) “Akilisi Pohiva Tonga’s new PM”, Radio New Zealand International, 2014/12/4
(*25)セベレ元首相は、2010年総選挙時に議員の職を引退した。その際、国王より首相の職を全うしたことを評価して、一代限りの貴族(Lord Sevele of Vailahi)の称号が与えられた。
(*26) “Tonga leader names one noble in Cabinet”, Radio New Zealand International, 2014/12/31.
(*27) ポヒヴァ首相は就任式で、まずは国内の経済の立て直しを最優先課題とし、経費の削減は閣僚を含めた政 府のトップが先頭に立って行っていく必要があると述べている(Matagi Tonga, 2015/1/9)。
(*28) “Tonga’s PM outlines plan to ‘rebuild nation'”, Radio New Zealand International, 2015/1/12.


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