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142-太平洋諸島地域における観光業の現状と課題

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太平洋諸島地域における観光業の現状と課題

研究員 黒崎岳大

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1.はじめに

 太平洋島嶼国は、その地理的な問題(国土の拡散性・狭隘性・離散性および国際市場からの遠隔性)から、しばしば産業の成長には限界があるとみなされてきた。たしかに、パプアニューギニアやソロモン諸島などのメラネシアの一部を除き、漁業以外は目立った産業がないのは周知の事実である。
 その中で、これまで各国が自国の主要産業として力を入れていくことを表明しているのが、観光業である。各国が発表している産業育成に関する報告書においても、観光業の育成は国家の主要課題に挙げられており、太平洋諸島を含む16ヵ国が加盟している「太平洋諸島フォーラム(PIF)」の総会においても、今後の成長産業分野として議題にされてきた。一方で、周囲のドナー国にとっても、その重要性への認識は共有されている。3年ごとに日本で開催されている「太平洋・島サミット」においても、「人と人との交流の促進」という視点から観光産業の育成が取り上げられてきた。
 このように、観光産業の育成は同地域における重要な課題と認識されていることは確かであるが、観光産業をめぐる現状を確認すると、必ずしもそれぞれの国が認識しているような重視の姿勢が現状に把握されているとは言えない。それは、各国の取り組みという問題もあるが、むしろ太平洋諸島における観光産業をめぐる背景と大きく関係しているといえるだろう。

 上記の問題意識を踏まえ、本稿では、太平洋諸島地域における観光産業の現状と、それを踏まえた課題について論を進めていく(*1)。具体的には、太平洋諸島をめぐる地域の特徴について説明し、その中で地域に影響を与えた歴史的な3つの展開について触れていく。次に、太平洋諸島地域の観光客の全体的な傾向について指摘し、それを踏まえた形で日本からの観光客の同地域への訪問の傾向について考察する。さらに、日本人観光客に対して積極的な取り組みを示している3つの国の事例を紹介して、各国の取り組みの特徴と今後の課題について比較しながら検討していく。

2.太平洋諸島をめぐる課題

 太平洋諸島をめぐるイメージはこれまで「地上の楽園」というように概してプラスのイメージが働いてきた。古くは「エデンの園」が具現化された場所として西洋文学にも描かれてきており、タヒチを訪れたゴーギャンやマルケサス諸島に滞在したメルビスなど、おおくの西洋から太平洋諸島を訪れた画家や文学者を魅了し、その芸術のインスピレーションをもたらしてきた。一方で、19世紀以降植民地主義の影響の中で、現地の人々に対しては、フレンドリーで温もりにあふれるイメージと、獰猛で野性的(場合によっては野蛮な)イメージが同時に相まって西洋社会に導入された結果、今日においても各種のパンフレットにおいて「ディスカバー・パラダイス」などのようなホスピタリティを強調する記述がある一方、国内の騒擾を引用しながらの荒々しく秩序立っていない報道がしばしば取り上げられている。
 太平洋諸島に関する上記の一般的なイメージがある一方で、実際にはその現状は地域や国ごとに大変多様である。ポリネシアやミクロネシアの国々はサンゴ礁でできた島々に数万人規模の人々が散在して生活しているのに対して、太平洋諸島の人口の大半を占めるメラネシア諸国は、国土の多くは火山島からなっている。国を構成している民族などの点でも、トンガやツバル、あるいはマーシャル諸島のように比較的単一民族でできたポリネシア、ミクロネシアの国々もあれば、フィジーのように植民地主義時代からの歴史的遺産によるフィジー原住民とインド系移民からなる民族構成や、あるいはミクロネシア連邦のように第二次世界大戦後の国連信託統治領からの独立の際、4つの異なる民族からなる地域が、それぞれ4つの州となり連邦制を敷いている国々もある。このように太平洋諸島の現状を一般化して考えるのは極めて困難といわざるを得ない。
 しかしながら、観光業の現状を認識するうえで必要な背景として考える場合は、少なくとも時代的な点を考慮した以下の3つの視点は認識しておくべきである。
 一つは、植民地主義時代における多様な影響という視点である。大航海時代以降、キリスト教の導入や帝国による植民地分割の影響を強く受けてきたことである。19世紀後半には、トンガ以外の島々は英国、ドイツ、フランスあるいは米国によって植民地化されており、ニューカレドニアやタヒチを含む仏領ポリネシアのように現在でもフランスからの独立をめぐり国内で論争が続いている地域もある。
植民地主義の導入の過程でも、地域ごとに特徴がみられる。ハワイやニュージーランドなどでは、現地住民を統治していく過程で血なまぐさい紛争がみられたものの、多くの太平洋の島々では、現地の文化や伝統的習慣は温存された。現在でも太平洋諸島に国々では大部分の土地は部族による共有地あるいは私有地とされ、外国人による土地の所有は不可能となっている。この結果、西欧人による国土の所有という事態は免れた一方で、今日における大規模な土地所有をともなる経済開発を行う場合にしばしば土地問題が起こり、プロジェクトが進展しないという問題点も存在しているのである。
 二つ目は、二つの世界大戦とそれに引き続く冷戦下の影響である。第一次世界大戦及び第二次世界大戦では、太平洋の島々も戦乱に巻き込まれた。とりわけ、第二次世界大戦では、ミクロネシアやメラネシア地域を中心に日米の間で多くの戦乱が繰り広げられたが、各地にはその戦乱に際して飛行場や港が整備され、多くの軍人が送り込まれた。こうした戦争にともなう物資や軍隊の導入は、各地に娯楽施設が建てられるなど、この地域に急激な物質文化の豊かさを意識させることにつながった。第二次世界大戦後は、米ソ冷戦下における対立構造の中、米・英・仏による核実験がこの地域で実施され、多くの住民が強制移住をさせられる事態を生んだ。またナウルではリン鉱石が、ニューカレドニアではニッケルなどの鉱物資源の採掘事業が進められ、地域開発や人々の移動が急速に進んだ。第二次世界大戦以降も欧米諸国の安全保障政策の中で、各地に軍事基地が残された。米・仏両国を中心に同軍事基地を結ぶ形で航空・船舶路線や慰安施設などが開発されていった。現在の太平洋諸島を結ぶ航空路線も、米国におけるグアムとハワイ、フランスのニューカレドニアとタヒチに代表されるように、戦後の安全保障体制下で作られた軍事拠点を結ぶ交通網に準じて作られている。
 三つ目は、独立後における旧宗主国への経済的な依存の問題である。1962年の西サモア(現在のサモア独立国)に始まり、70年代から90年代の初めにかけて、多くの太平洋の島々が独立した。しかしながら、実際の国内の政治経済の現状においては、旧宗主国、すなわち豪州、ニュージーランド、米国との緊密な関係に依存している。その依存の度合いは、国ごとに異なる。米国と自由連合協定を締結しているミクロネシア3国(パラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国)やニュージーランドと自由連合協定を締結しているクック諸島やニウエなどは、人々が自由に旧宗主国への移住や労働が認められており、その結果有能な人材の流出が大きな問題となっている。一方で、他の国々においても貿易をめぐる基本的な条件、すなわち、国内の法体制(通貨制度も含む)が旧宗主国のそれにならって作られている点、あるいは経営者の多くが旧宗主国で教育を受けてきたことなどにより、否応なく旧宗主国に経済的に依存しているのである。このことを踏まえて、太平洋諸島経済を特徴づける4つの要素、移民・送金・経済協力・官僚制度の頭文字をとってMIRAB経済と呼ばれている。
 こうした3つの要因は、今日の観光産業をめぐる課題にも大きく影響している。一つは、土地所有問題を含めて現地の慣習や伝統が色濃く残されている点である。このことは、観光開発を進める上でも極めて困難な状況をもたらしている。もう一つは、急激な西洋化の影響である。多くの地域では人々の生活に物質面を中心に急激な西洋からの流入がおき、また人々の移住が行われていった結果、制度としての伝統性は残されて一方で、生活様式に関しては急激に欧米化が進んで行ってしまった。このことは、現在でも輸送費の高騰という面と相まって、極めて高い物価という事態を生んでいる。三つ目は、旧宗主国からの観光客に依存しているという現状である。とりわけ、観光業を考える上で極めて大きいのは観光客を運ぶ航空路線網である。上述の通り、この航空路線は米・仏を中心とした安全保障政策に伴い整備された路線であることから、日本を含めた新たな国々から観光客を運ぶ場合には、既存の路線を利用せざるを得なくなり、少ない路線に伴う高額な航空賃の結果、アジアなどの国々に対する競争力を失うことになるのである。

3.太平洋諸島における観光の歴史と現状

 以上の特徴を踏まえて、太平洋諸島における観光の歴史についてフィジーの事例を中心に簡単に示し、現在の太平洋諸島の観光産業に与える問題点について触れ、さらに現在の太平洋観光客の動向について観光客数の推移や特徴をもとに述べていく。
 太平洋島嶼地域における観光業の萌芽という点で見た場合は、1930年代のフィジーにおける動きが始まりといえる。南太平洋地域における蒸気船の交通路線のハブとなっていたフィジーでは、この時期に貿易業者や植民者を対象としたホテルの建設が始まり、特にスバでは、船の乗継をする乗降客を対象としたハイエンドの高級ホテルが建てられていった。1923年には、白人植民者への投資開発を目的として作られていたWhite Settlement Leagueから独立する形で、スバ観光局(Suva Tourist Board)が設立された。第二次世界大戦時には、道路や空港の整備が進み、それに伴う形で人々が集まり土産業や娯楽施設がつくられていった。第二次世界大戦後、航空技術の発展は西洋人たちの観光意欲をより掻き立てていき、新たなディスティネーションを求めて観光開発がすすめられた。とりわけその対象として向けられたのが、太平洋諸島である。1970年代になると、楽園イメージを求めて、豪州やニュージーランド、あるいはヨーロッパからの観光客がフィジーを中心とした南太平洋諸国を訪れるようになった。
 この観光客の増加に更なる拍車をかけたのは、日本からの訪問者の増加である。1988年には、日本航空による日本・フィジー間の直行便の運行が開始されると、フィジーには日本からのハネムーナーが訪れるようになった。1990年代後半には、日本からの観光客数は4,000人を超える規模にまで至っている。さらに21世紀にはいると、経済的に急成長を遂げたアジアからの観光客の増加が始まる。とりわけ、フィジーにおける大きな変化は2000年代後半における日本からの観光客の減少と、中国からの観光客の増加である。これを受けて、フィジーのナショナル・フラッグであるエア・パシフィック(現在のフィジー・エアラウェイズ)社が、2009年に経済的な問題を理由に成田・ナンディ―間の直行便を廃止し、ナンディ・香港間を運航開始したことは、その象徴的な動きといえるだろう。
 このようにして、20世紀の終わりにはフィジーは世界有数の観光地として認識されるようになり、この動きを注目して他の太平洋諸島の国々もそれに倣う形で、観光開発を主要基幹産業として位置付けていくようになった。
 太平洋諸島の観光のタイプの違いは、様々な要因に基づいており、具体的には対象としている主要指導からの距離や費用、各国の観光インフラの開発の状況などがあげられる。太平洋諸島地域最大の観光地といえば、米国の一州でもあるハワイあり、120万人程度の住民に対して年間600~800万人の観光客が同地を訪れている。一方で、人口1万人程度の小島嶼国であるツバルは、その対極にある国の一つといえる。年間訪問者数は200人程度に過ぎないが、その理由としては交通アクセスの悪さ(*2)や、不十分な観光インフラなどのその原因となっている。
 ツバルに代表されるような問題は他の太平洋島嶼国にも多かれ少なかれ共通した課題である。加えて問題となるのは、人材不足という点である。第二次世界大戦後、国際情勢を踏まえた形で十分な準備が進まぬまま、いわば「強いられた独立国」となった太平洋島嶼国では、政治経済の分野において十分に技術や知識を身に着けた人材が不足してきた。さらに、旧宗主国への依存体制が進むにつれて、若くて有能な人材はむしろ旧宗主国に流出していくことになった。この結果、観光産業に従事する十分な人材を確保することが極めて困難で、欧米諸国や日本人などが期待するようなサービスを提供するまでには至らない状況となっている。
 このような太平洋島嶼国側の人材やインフラ産業の欠如の結果、太平洋諸島における観光産業は国際的な資本に依存することになり、大規模な観光開発と結びつけられて進展することになった。部族所有による複雑な土地問題が存在する太平洋諸島の独立国よりは、米国やフランスなどの支配の下、土地や労働などの経済的問題の制度が確立されている地域で、欧米による海外資本が導入され大型のリゾートが開発されていくという、地域における観光開発をめぐる二極化が生まれていった。
 今日、この二極化をめぐる太平洋島嶼国の観光の状況は、そのまま現地における二つの観光志向とリンクしている。一つは大規模な超国家的な観光産業に依存しながら成長を進めるマス・ツーリズム志向の事業であり、他方は国内の社会資本や制度の中でエコツーリズムという視点を打ち出して進めていく事業である。前者を外発的開発による観光とするならば、後者を内発的開発による観光と呼ぶことができる。
 一般に現地の観光セクターは外発的思考による観光開発の場合、超国家的な観光会社によるフランチャイズ化が進み、現地の観光に伴う利益は外国資本に奪われ、地元の企業や住民には相対的にほとんど利益をもたらさないと批判する。むしろ外国資本に伴う開発の場合は、地元の家族制度や伝統的価値観などにマイナスな影響を与えるどころか、開発による環境破壊などの物質的に被害を与えると主張する。そして、彼らは外国資本によるマス・ツーリズムを志向するよりも、「エコツーリズム」という言葉を好み、エコツーリズムこそは地元に持続的可能な成長をもたらす観光の形であると考えている。一方で、若い世代を中心に近年外国資本を導入しながら国内の観光産業を成長させようと主張する人々が出てきている。彼らは、一般に国外で教育を受け、企業家精神を養ってきた世代のものである。彼らの意見によれば、現在地元でエコツーリズム志向を主張する人々は、自らが持つ既存の利益や権利を保持して起きないという思惑があり、新たな外国資本が導入されることによる土地所有制度や親族意識などの伝統的制度の変化や、それに伴う価値観の変化が起きることを望まないからだと認識している。彼らはエコツーリズム自身を批判することはないが、外国資本を利用することで大規模な利益や人材育成を地元にもたらし、太平洋諸島の社会に多くの現代的な利益をもたらすことができると考えており、エコツーリズムを導入する場合でも開発関係者と同時に環境保護関係者の意見も尊重しながら進めていくことが重要で、その結果初めて真の持続的可能な観光開発ができるのだと主張するのである。以上のように太平洋諸島における観光産業の志向における二極化は、背景にある伝統的価値観をめぐる近代化との関係と緊密に結びついているといえるだろう。
 さらに、近年の太平洋をめぐる観光業への影響としては、国内外のおける政治や経済の情勢があげられる。1980年代以降、メラネシア地域では、クーデタの発生や部族間紛争などが各地で頻発している。1987年、2000年、2006年と3回にわたるフィジーのクーデタは武力をともなるものではなかったものの、観光産業にとってはマイナスのイメージを与えることになった。パプアニューギニアでのブーゲンビル独立紛争やソロモン諸島でのガダルカナル人とマライタ人による国内騒擾は、実際に武力をともなうものになり、後者は豪州を中心にPIFで構成された多国籍軍「ソロモン諸島地域支援ミッション(RAMSI)」を派遣するまでに至った。2000年代に入ると、ヨーロッパやアジアの観光地と同様、国際的な政治・経済問題の影響を受けることになる。2001年の米国で起きた9・11同時多発テロや、02年にバリの観光地で豪州人が巻き込まれた爆弾テロ、また2000年代後半のリーマン・ショックを引き金とした経済不況は、欧米諸国からの観光客の減少につながっていった。
 こうした太平洋諸国への観光産業に与える課題を踏まえて、次に近年のこの地域における観光客数の推移について検討していく。ここでは、独立国とフランス領を中心に、太平洋諸島の1990年以降の観光客数の推移について述べていく。
 上述のように、様々な外的要因を受けつつも、全体としては、ここ20年間で太平洋諸島地域への観光客数は順調に成長している。とりわけその中心を担っているのは、フィジーである。フィジーは上述の3度にわたるクーデタを経験したものの、この間に観光客数は2倍に増加している。これは、クーデタが無血であったこともあるが、それ以上に豪州を中心とした観光客を対象にしたインフラ整備が進んだことにある。フィジーの国際交通の玄関口であるナンディ空港から15分程度のところに位置するデネラウ地区には国際的に知られたリゾートホテルが林立し、欧米からやってきた観光客を受け入れるのに十分なインフラを提供している。また、人材面に関しても教育がすすめられており、現在ではクック諸島などの他の観光開発を進める国々に人材を提供するまでに至っている。
 一方で、2000年前後に国内騒擾が頻発したソロモン諸島は、フィジーの事例とは異なり、この国内紛争が観光に明らかなマイナス要因になったことを観光客数が示している。1990年代前半までは、太平洋島嶼地域有数の豊かな自然を誇るソロモン諸島は、豪州や欧米諸国からの観光客を魅惑し、年間10000人程度まで観光客を受け入れるほどに成長を進めていた。しかしながら、自国のみでは解決できない国内騒擾は、明らかに国際観光市場にはマイナスに映り、観光客数はピーク時より半減した。その後、RAMSIにより治安維持が進むと、再び観光客数は増加し、2005年には騒擾以前の数に戻り、現在はさらに二倍にまで増加している(*3)。
 観光客数の増減に関する地域ごとの傾向としては、鉱物資源開発の影響を受けて訪問者数が増加しているパプアニューギニアを除けば、ここ10年間では、クック諸島、フィジー、サモア、バヌアツ、パラオが順調に観光客数を伸ばしている。これらの国々は、観光産業に対して国家規模で具体的な取り組みを行っている。一方で、その他の国々は、マーシャル諸島のように2005~08年にかけて、グアムからの直行便や日本からのチャーター直行便による観光推進を行い、一時的に増加をもたらしたケースはあるものの(*4)、全体としては伸び悩んでいる。それは、観光インフラや航空アクセスなどの物理的な問題もある。しかしミクロネシア連邦のように2007年以降訪問客数の正式な数字が公表できないなど、基本データの整備すらできていないという初歩的な課題をかかえている国々も存在していることを認識しておくべきであろう。

4.日本における太平洋諸島国への観光の特徴

 前章までの太平洋諸島の観光産業の特徴を踏まえ、日本における太平洋観光産業の特徴について、触れていきたい。
 グラフでは、2003年から2011年にかけての太平洋島嶼国への日本からの観光客の推移を示している。この間、2009年における成田・ナンディ間のエア・パシフィックによる直行便の廃止や、グローバルな経済危機、あるいは災害などのマイナスとなる観光をめぐるマイナスの影響を受けつつも、太平洋諸島の国々への日本からの観光客数は全体として増加している。これは、フィジーやフィジーをハブにする周辺島嶼国への観光客数の停滞状況を、近年急激に増加しているパラオへの観光客数の増加が吸収し、バヌアツやクック諸島などの新たなディスティネーションの開発が数字を後押ししているからである。
 一般的にハワイやニューカレドニアなどの米仏領土も含め太平洋諸島を訪問する日本人の観光客の特徴としては、直行便での現地訪問、パッケージツアー志向、フリータイムを予定に多く入れる傾向、オプショナルツアーへの積極的な参加、というような傾向がみられる。特に日本旅行業協会の調べでは、オプショナルツアーにはパッケージツアーに参加した観光客の60%以上が参加しているというデータが示されている。
 また地域・国別の観光客の志向の違いも明らかである。ハワイやグアム、サイパンなどの米国領の開発された観光地では、目的が家族旅行を中心としている傾向にあるのに対し、太平洋諸島の国々では、それぞれ独自の傾向が示されている。フィジーは現在でもハネムーナーに注目されている国であり、ブライダルプランを中心とした観光開発が進められている。一方で、パラオは日本における太平洋のスキューバダイビングのメッカとして売り込まれており、『Marine Diving』などのダイビング専門雑誌では毎号のように特集記事としてパラオのダイビングスポットが紹介されている。ただし、そのほかの国々では、知人や家族への訪問という目的が多く、この中には、ODAプロジェクトの調査や遺骨慰霊巡拝なども含まれている。
 直行便志向が強い日本の観光客にとって、太平洋諸島への訪問は望ましい環境にあるとは言えない。2013年8月現在日本からの直行便が就航しているのは、デルタ航空による成田・コロール間(週2便)と、ニューギニア航空による成田・ポートモレスビー間(週1便)のみである。上述の通り、2009年の成田・ナンディ間の直行便廃止は、日本人観光客の太平洋諸島の訪問先に大きな変化をもたらした。加えて、フィジーを除いて、日本人観光客を満足させるだけの宿泊・レジャー施設が整備されている国々が乏しく、及第点がつけられる国といえば、パラオやバヌアツ、クック諸島、サモアといった程度であり、他の国々は主要となるホテルはあるものの、オプションとなる施設がないのが現状といえるだろう。

5.太平洋諸島各国の観光開発の現状

 以上のような観光をめぐる状況にかかわらず、PIF各国は、日本からの観光客の増加を求める姿勢は極めて強い。また限られた条件の下であるが、多くの国々が日本からの観光客の誘致に向けて様々な努力を行っている。ここでは、日本からの観光客を誘致する姿勢が比較的強くみられる3つの事例を紹介し、各国の事例の特徴と課題について述べていきたい。

(1) ミクロネシア連邦

 ミクロネシア連邦は、1986年に米国との間で自由連合協定を締結し独立、ヤップ、チューク、ポンペイ、コスラエの4州からなる連邦国家である。同国は漁業以外に目立った産業はないため、観光産業、とりわけ日本市場からの観光客の増加に向けた取り組みに力を入れている。
 同国を含むミクロネシア3国地域は、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、国際連盟の委任統治領として、日本の施政下に置かれていた。そのため、多くの日系人が今日でも政財界で活躍し、また日本語や日本文化が現地に残されているなど、日本との関わりは深い。こうした歴史的な関係を利用しながら、日本からの観光客の増加を進めるべく、在京ミクロネシア大使館や政府観光局が中心となって様々なプロジェクトが組まれている。
 2012年6月には、日本によるODAプロジェクトである首都パリキールを持つポンペイ州の玄関口であるポンペイ国際空港の拡張工事が完成したが、これに先駆け政府は日本からの観光促進を進めるべく「レインボーネシアプロジェクト」と題して、各種の観光展示会で大規模な観光キャンペーンを実施してきた。そのプロジェクトの一つの象徴的なイベントとなったのが、拡張工事終了に伴う成田・ポンペイ間の直行・チャーター便の実施である。同直行便には政界や芸能界など様々な人を巻き込む形で進められ、現地では大統領をはじめとした政財界の代表者が迎えるという比較的大規模なものになった。
 また、このプロジェクトに続く形で、日本との歴史的関係を重視したネットワークによる観光促進を進めてきている。現大統領の曽祖父である森小弁との結びつきに着目し、同氏の故郷である高知県との間で、2013年に「高知・ミクロネシア友好協会」を結成し、同年10月には高知・ポンペイ間で直行チャーター便を就航することになっている。
 このようにミクロネシア連邦は日本との関係を重視した観光促進を進めている一方で、多くの課題も抱えている。一つは観光産業に対する人材や資本の欠如である。人材面でいえば、4つの州から構成されている同国であるが、それぞれの州の独立性が強く、連邦政府が必ずしも強い権限を有していない。また国家や州の財源不足なども原因で、有能な人材の多くが各ポジションにとどまらず、結果として観光に関する基本的な資料を発表できていないというのが現状である。また、ポンペイ州をはじめとして、同国では土地所有に関して複雑な伝統的な権利体制が存在しているため、大規模なリゾートホテルを建設するのは極めて難しい。こうした状況では、外国からの大規模な資本の流入を求めることは難しい。現在はエコツーリズム志向の観光開発を進めているが、今後本格的に観光を主幹産業にしていくためには各種の制度の改革を進めていくことが求められるだろう。

(2) クック諸島

 内発的な観光開発が中心となっているミクロネシア連邦に対して、観光開発当初から海外からの資本の誘致を行って観光開発を進めてきたのが、クック諸島である。
 クック諸島は英国植民地の後、1965年にニュージーランドとの自由連合協定を締結し、自治権を取得した。その後は、ニュージーランドや豪州、また欧米諸国からの観光客を誘致し、観光立国として成長している。現在クック諸島には1万5,000人程度しか住んでいないが、その10倍近くの観光客が同国を訪れている。
 同国にとって最大の観光客は、ニュージーランドからである。ニュージーランドの冬のシーズンにあたる6月から9月にかけて、月平均2万人強の観光客が避寒を目的とし、同国の首都アバルアのあるラロトンガ島やセレブリティにとって憧れのリゾート地であるアイツタキ島を訪問する。同国には様々なレベルのリゾートが林立しており、ホテルの所有するプライベートビーチで楽しむことも、オプショナルツアーに参加して同国の自然や文化を満喫することもできる。
 こうした大規模なリゾート開発を可能としているのはニュージーランドをはじめとした海外からの大規模資本の誘致である。同国のビジネス投資貿易促進局によれば、現在クック諸島に投資している海外からの投資会社の数は350社にのぼり、その多くは観光関係会社である。太平洋島嶼国の中には、観光関係の投資に関しては認めないケースも多くみられるが、同国では1万ニュージーランド・ドル以上の投資を保証する限りにはどの国からの投資に対してもオープンである。その結果、世界規模の観光業者が同国での観光に参入して、ポリネシア地域の独立国の中でも一際整備された観光インフラを有しているのである。
 とりわけ、インフラ整備の好状況を感じさせるのが、離島への航空便マネージメントの正確さである。太平洋諸島の国々では、首都と比べ離島地域の自然の美しさは観光客に大きな魅力をもたらしている。しかしながら、通常離島に行くとなると不安定な航空便や航路便を利用しなくてはならず、観光ツアーに組み込むことは極めて危険性が高い。しかしながら、クック諸島は国内航空会社エア・ラロトンガがほぼ正確なフライトを実施しており、離島へのアクセスも円滑に行っている。このことはアイツタキでの日帰り旅行やリゾート開発を可能としているのである(*5)。
 また、人材に関しても多くの住民がニュージーランドで教育を受けており、結果比較的有能な人材がそろっている。ただ、近年では、国内人材流出が進みつつあり、それを補うため1,000人程度のフィジーからの移民が従事している(*6)。
 また太平洋島嶼国では珍しく、ほとんど中国人を街中で目にしない。統計局によると、同国に居留している中国人は5名以下であり、不法滞在者を入れても10人程度である。通常他の国では小売業や主要なビジネスを担う働きをしている中国人が多いのに、この国では観光を含めたビジネスを欧米人もしくは自国民が把握しており、中国人の入り込む余地がほとんどないからであると思われる。その結果、同胞経営のホテルに滞在し、同胞経営のレストランや店舗で買い物をする傾向にある中国人観光客もほとんど見かけない。
 こうした傾向の中で、現在クック諸島が国を挙げて観光客の誘致を見据えているのが、日本市場である。比較的客単価の高い日本人を対象にした観光促進事業を現地の観光業会社と政府観光局が協力して進めている。2010年からはニュージーランド航空と太平洋諸島センターが協力して、日本の観光業展示会に参加したり、あるいは観光代理店業者を対象としたファン・ツアーを実施し、日本での観光パッケージ商品の販売を進めている。また、2011年からは同展示会で独自に観光ブースを設け、観光セミナーでのプレゼンテーションを行い、さらにTV番組で紹介するなど積極的な観光キャンペーンを実施してきた。その結果、徐々にではあるが日本国内で知名度を高めつつあり、観光客数も増加してきている。
 ただし、クック諸島への観光客の増加を図る上での最大の課題は、その距離とアクセスである。通常日本からクック諸島にはオークランド経由で訪問するが、オークランドまで11時間、そこから4時間強のフライトを余儀なくされる。これは直行便好きの日本人にとっては極めて大きなハードルとなる。こうした点は現地の観光局でも認識しており、ニュージーランド航空と協力して、成田・オークランド間の直行便を週1~2便ほどラロトンガに経由する計画なども検討し始めている。また、日本でのリゾート地としての知名度不足に関しては、日本に観光局もしくは観光代表部を置くことで対応する考えも検討されている。
 2011年には日本がクック諸島との間で外交関係を樹立したこともあり、上記の問題を克服していければ、今後は日本からの観光客の増加を期待できると思われる。

(3) パラオ共和国

 太平洋諸島の独立国の中で、日本観光客が最も多く訪れる観光地はパラオである。2012年のデータによれば、2万人に満たないこの島嶼国に約4万人の日本人が訪問し、ダイビングなどのマリンスポーツを楽しんでいる。この30年間で日本人観光客の推移は増加傾向を示しており、特に1994年に独立してからはおよそ2倍に増加している(*7)。
 パラオが日本人の観光を促進するうえで、他の太平洋島嶼国と比較して様々なメリットが存在していることは見逃せない。その一つは、ミクロネシア連邦と同様に、歴史的関係である。委任統治領下では、パラオの中心都市コロールに南洋庁の首府が置かれ、多くの日本人が移民していた。現在でも街中を歩くと旧南洋庁時代の建物を目にすることができ、現地における歴史的遺産となっている。また、地理的な関係も見逃せない。パラオは日本から見て真南に位置しており、時差がないというメリットも有している。一方で、太平洋島嶼国の中では最も西に位置しているため、日本人のみならず、韓国や台湾からの観光客を対象にできるのも大きな利点といえるだろう。
 パラオにおける日本人を中心とした観光開発が始まったのは1980年代からである。初めは日本からやってきた一人のダイビングショップのオーナーの努力から始まった。彼はパラオにやってきて、多くの優れたダイビングポイントを開発し、日本のダイビング雑誌やTV番組と協力しながら、日本人ダイバーを増加させていった。1990年代に入ると、日本航空による成田・コロール間のチャーター便が始まったことがパラオ観光を大きく発展させた。これは前年に信託統治領から独立した結果、米国からの訪問者が減少したが、それを補っても余りあるほどの増加であった。これ以降日本航空のチャーター便は急速に増便を重ねていき、最盛期には成田・関空・中部のそれぞれの空港を出発する便が就航し、年間トータル80便にもなっていった。また、その後も1997年からは台湾からのチャーターフライトが就航するなど、アジア諸国からの交通網が整備されていった。こうしたチャーター便による観光客の増加を踏まえて、2010年からはデルタ航空が成田・コロール間を週3便の定期便を就航することになった。2012年には、ロシアのサンクトペテルブルクで開催された第36回ユネスコの世界遺産委員会でパラオ南部のロックアイランドが世界融合遺産に登録され、観光地としての魅力を高めることになった。
 もちろん、パラオの観光開発が進んだ理由は、歴史的な関係や航空網の改善のみならず、多くの現地観光会社や日本の旅行代理店の努力によるところが大きい。中でもパラオの観光関係者たちが強く意識していることは、パラオは「サイパンの悲劇」に陥らないように開発を進めていくということであった。ここではこの観光分野における「サイパンの悲劇」について触れておきたい。
 観光の世界におけるサイパンの悲劇とは1980年代以降のサイパンで起きた過度な外資中心による観光開発の結果生じた観光業を含めた産業の空洞化を意味している。1980年代以降、サイパンは日本の観光市場を対象とした観光プロモーションを強めていった。サイパンの政府や観光関係者は、新たなホテルなどの宿泊施設やリゾート施設を建設するため、日本や米国からの外国資本を強力に誘致し、また日本からの直行便を就航するべく航空会社に積極的に働きかけていった。この観光戦略は、前述の区分でいうと典型的な外発的開発志向の観光開発である。この結果、1990年代半ばには、60万人を超える観光客がサイパンを訪れ、日本でも馴染み深い観光地として認識されていくようになった。
 しかしながら、この時期にすでに「悲劇」は始まっていた。増加する観光客の要望に応えるためにホテルの建設が進んだ結果、ホテルが過度に作られてしまう状態になっていった。そのホテルの空席を埋めるため、安価な価格での観光客を呼ばなくてはならなくなってしまう。その結果、ホテル代をめぐる過度なダンピングが開始されるようになっていった。また高い賃金によるコストを抑えるため、現地人労働者に代わり、フィリピンや中国からの労働者を導入するようになっていく。この結果、コストカットに伴いサービスの質の低下が指摘されるようになり、観光関係者や旅行者の間でも悪評が高まるようになっていった。これらに加えて、安価なチャーター便が導入されるようになると、採算が取れないという理由で日本航空などの既存の航空便が撤退するようになっていく。以上のことが相まって、海外からの新たな資本の導入は控えられ、リゾート地としての魅力を失わせることになった。2000年代半ばには日本からの観光客数はピーク時の半分にまで激減している。
 以上のような観光業界における「サイパンの悲劇」を生んだ原因としては、適切な観光客数の目標を持たずに、増加だけを目的に進めた結果、過度な外資による無秩序の観光開発と、それに伴う過激なダンピングによる価格競争であった。パラオは、サイパンにおける観光開発の動きを反面教師として、地元主導による計画的な観光開発を進めていった。
 パラオの観光開発の特徴としては、観光開発に関して、政府と民間企業が緊密に連携しながら開発計画を進めている点である。パラオ政府は、パラオの観光開発を進めるに当たり、他の島嶼国と同様、持続的可能な開発を進めることをうたっている。ただしその場合、外部からの投資や労働力の導入を完全に排除しているわけではない。パラオ政府は真の持続的可能な観光開発には外国からの資本や技術は不可欠であり、そうした資本や技術を利用しながら観光開発を進めていき、同時にその利益をもとに自分たちの文化や環境を保持していこうと考えたのである。
 パラオ政府は、観光開発に向けた目標を定めていった。その内容の中心は観光産業を自分たちのコントロール下に置きながら開発を進めるということである。具体的には、まず観光にかかわる新たな外国からの直接投資は禁止する。現在日本人がパラオで新たに観光会社を単独で立ち上げることは不可能である。ただし、現地のパラオ人と協力してジョイント・ベンチャーを立ち上げれば、起業することは可能である。
 また、観光現場から上がってくる要望に応えるため、民間の観光会社からなるベラウ観光協会(Belau Tourist Association, BTA)と商工会議所との間で緊密なネットワークを形成している。とりわけ、直行便が就航して観光客の増加が期待される中、政府としては新たな観光客に対応するため、新たなホテルの建設を促したいところであるが、一方で、パラオの観光の現場を知っている事業者からすると、パラオの観光開発はすでに環境を維持するうえでは限界にきていると認識している。加えて、ホテルの増加を促進することはサイパンの事例のように観光現場としてはダンピング競争に巻き込まれかねない。こうした結果、民間事業者からは過度な開発を規制するような要望を政府に提案している。政府も民間企業の要望を受け入れており、現状では新たなホテルをコロール地区などに建設することは制限している。むしろ、観光業者からは過度なローコストの観光客を増やすよりは、ハイエンドの観光客の誘致に力を入れることを主張し、必ずしも今後増加が期待されるアジア市場をターゲットとするのではなく、日本や欧米諸国などの高級リゾート志向を強める市場に合わせた展開を考えている。
 さらに、観光から上がってくる利益を現地の環境保全事業に有効利用するために、空港では出国税とは別にグリーンフィー(Green Fee)と呼ばれる環境税を徴収し、地方政府の事業に供せるよう分配されている。こうした環境と観光開発を共存させている取り組みに対しては世界からも評価されている。
 こうした取り組みは、全体としては始まったばかりである。デルタ航空による直行定期便が導入されて、これまで閑散期とされてきた6月にどのような観光客を増加させるキャンペーンを行うかなど新たな観光戦略も必要である。あるいは増加している観光客の要望を、環境負荷を高めるとかダンピング競争への懸念という理由だけで規制し続けるのは困難であろう。こうした新たな段階を迎えたパラオの観光産業は、持続的可能な開発を進める上で、今後「パラオ観光モデル」として確立していけるのかという次のステップが試されている時代にあるといえるだろう。

6.まとめにかえて

 本稿においては、太平洋諸島の観光産業の現状の把握と、それに基づく各国の取り組みについて日本市場への働きかけを強めてきている3ヵ国を事例としながら紹介してきた。
 太平洋諸島は、欧米からやってきた芸術家たちの影響もあり、伝統的な古き良きものを残した「南国の楽園」としてステレオタイプ化されて紹介されてきた。どの国も植民地時代以降の近代化の影響を受けて変化を続けている。フィジーなどでは第一次世界大戦前後から訪問者のための豪華ホテルなどが設立され、観光の基盤がつくられてきてはいたが、1960年代までは、観光市場の中心である欧米からのアクセスの悪さや伝統的な制度による大規模開発の困難さなどが原因で、観光開発は進展しなかった。その後、米国やフランスの安全保障政策に組み込まれた島々は、軍事基地の整備に伴う社会インフラや航空網の整備が進み、マス・ツーリズムが進展していった。他方で多くの島々では、こうしたメリットを享受できないため、持続的可能な開発という名のもとにエコツーリズムによる開発の志向を進めている。
 こうした中で太平洋島嶼国は同じ太平洋を共有する大きな市場である日本人観光客の増加を求めて、各国で様々な政策を推進している。歴史的関係によるネットワークをもとに観光客を誘致しようとしているミクロネシア連邦、既存の洗練された観光インフラを背景に、新たな観光客を取り込むために日本の観光業界に積極的に働きかけを行っているクック諸島、そして政府と民間が協力しながらサイパンの事例に示される、観光業界の過度なダンピング競争に陥らないように観光客の増加傾向をコントロールし、環境保護に対応した持続的可能な開発を推進する新たな観光モデルを提案するパラオなどの動きは、様々な問題点は抱えつつも、今後も注目していくべきであろう。
 一方で、ここで考えなくてはならないのは、観光の問題を単純に産業というビジネスの視点だけでとらえることの危うさである。すなわち、太平洋諸島の観光産業を考える場合には、受け入れるホスト側の問題だけではなく、各地を訪れるゲスト側の問題についても指摘しておく必要がある。確かにアジア諸国と比べて航空賃や現地の物価など太平洋諸島地域は観光地としては割高感があり、とりわけ若い世代にとっては必ずしも望ましいディスティネーションとは言えないかもしれない。また、グローバル化に伴いTVやインターネットを利用すれば、こうした国々に行かなくとも豊富な情報が入る時代であり、むしろ現地を訪問する意欲はかつてに比べて減少している傾向にあるのかもしれない。しかしながら、本当にこうした情報のみを入手したということで、現地を訪問しないでも現地を知ったことになるのだろうか。筆者は必ずしもそうとは思わない。むしろ、日本国内で入手される情報は極めて限られたソースから作り出されたものに過ぎない。むしろそのデータの背景にある失われた情報が多くあり、そこにこそ本当の価値があるはずである。パプアニューギニアやニウエの人口や国土面積を入手するのは可能であるが、実際のポートモレスビーの治安の悪さやニウエ島の起伏の激しさは決して体験してみないとわからない。ましてや、かつて欧米人が体感して、芸術のモチーフにもなった人々のホスピタリティは、実際に現地を訪れなければ体験できないものである。実体験をもって共感することができてこそ、日本と太平洋諸島地域との関係は草の根レベルで緊密化されていくのである。観光産業の促進は、ビジネスレベルだけではなく人と人との交流という外交政策にも関係してくる課題であると認識することは重要であろう。

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(*1) 本稿は2013年5月に明治大学にて行った明治大学・立教大学・国際大学三大学連携講座「国際機関 等との連携による国際協力人材育成講座」において「Tourism in the Pacific」というテーマの授業 を英語で講義したときの講義録をもとに、新たなデータを加えながら発表したものである。なお、本 稿における太平洋諸島の場合は、特に記述しない場合はハワイやグアムなどの米国領土やニューカレ ドニアやタヒチなどのフランス領土も含むものとしている。ただし、太平洋諸島の国々とした場合に は原則として、太平洋諸島フォーラムに加盟している14の国と地域を対象としている。
(*2) ツバルに入る場合は、フィジーの主要の国際空港であるナンディとは別の、ナウソリ空港から、週2 便 飛んでいるフィジー・エアウェイズ社のプロペラ機便によるアクセスしかない。
(*3)ただし、ソロモン諸島の場合は、ニッケルなどの鉱物資源の開発に伴う訪問者数の増加も考慮しなけ ればならない。
(*4) マーシャル諸島の観光産業の展開については、拙稿「マーシャル諸島共和国における観光業の現状と 課題」(『パシフィック・ウェイ』通巻第129号、2007年)を参照。
(*5) 具体的には、ドイツやイタリアからクック諸島への観光客の80~90%はアイツタキのリゾートでの 訪問となっている。
(*6)この理由としては最低賃金によるところが大きい。ニュージーランドで働いた場合、クック諸島での 最低賃金の約2倍得られる。一方で、フィジーでの最低賃金はクック諸島の半分であることから、フィ ジーやフィリピンからの出稼ぎの増加が起きている。
(*7) パラオにおける観光客の推移については、上原伸一による「パラオ観光客数の推移-非核の国に、観 光客30年間で20倍に~」(『パシフィック・ウェイ』通巻第139号、2012年)に詳しい。

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