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140-書籍の紹介『土方久功日記』

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書籍の紹介『土方久功日記』

 

 太平洋島嶼国と日本の交流は非公式には江戸時代、公の歴史上では明治期からであった。とはいえ、それが本格化するのは日本のミクロネシア統治が始まってからである。その中でも、個人レベルで交流を重ねた先駆け的な人物に、土方久功(1900-1977)がいた。彼は、昭和初期(1929-42)に南洋群島にわたり、ミクロネシア社会に関する詳細な考古学・民族学的論文を多数執筆し、一方、パラオの人々には「ストーリーボード(イタボリ)」の技術を教えるなど日本と南洋群島の間の文化交流を体現してきた人物である。
 その土方の日記が『土方久功日記』(須藤健一・清水久夫編)として国立民族学博物館から刊行された。そのⅠ、Ⅱ、Ⅲについて、紹介したい。
清 水 久 夫/埼玉大学・法政大学・跡見学園女子大学非常勤講師

土方久功日記 Ⅲ土方久功日記 Ⅱ土方久功日記 Ⅰ
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 筆者の土方久功(ひじかた・ひさかつ)は、伯爵土方久元を叔父に持ち、父久路は陸軍大佐であった。学習院初中等科を卒業したが、父が肺病のため休職し、さらに退役となり、高等科に進むだけの財力はなく、進学をあきらめた。1919年、官立学校で学費が安いことから、東京美術学校彫刻科に入学したという。その半年後に、父久路は死去した。
 美術学校を卒業後、1929年3月にパラオに渡り、その後、1931年10月から7年間ヤップ離島のサタワル島に滞在するなど13年間を南洋の島に暮らし、彫刻、絵画の創作活動と民族学研究を行った。
 久功は、美術学校在学中の1922年7月から1977年に亡くなるまで日記を書いていた。その日記は123冊に及び、現在、国立民族学博物館に所蔵されている。『土方久功日記』は、それを翻刻したものだが、それぞれに註、解説、関連資料、附論を付し、日記の理解を助けている。
 『日記』Ⅰは、第1冊から第7冊まで(1922年7月6日~25年7月5日)をおさめ、年譜、関連文献、家系図のほか、須藤健一「土方久功と南洋群島」を附論として収載している。
Ⅱは、第8冊から第12冊まで(1925年7月6日~29年4月15日)をおさめ、清水久夫「土方久功の造形思考」を附論として収載している。
 Ⅲは、第13冊から第18冊まで(1929年4月16日~32年2月10日)をおさめ、清水「土方久功とモデクゲイ」、須藤「土方久功が住んだパラオ」を附論として収載している。
 Ⅰ、Ⅱには、美術学校の学生たちの生態、大正末の風俗が記され、興味深い。ことに、築地小劇場の創設者土方与志は、久功の片従兄弟で幼馴染であり、小石川の土方与志邸に作られた模型舞台研究所の活動に参加し、その実態が語られ、また築地小劇場の初期の舞台について記されているため、資料として貴重である。
 Ⅲは、パラオへ渡った直後から、サタワルへ移り、その地での7年間の離島での生活を始めるまでであり、民族学調査を盛んに行っている。
 この日記は、歴史資料として、民族学資料として役立つであろう。
 なお、『日記』Ⅳは、ほぼ全部サタワル島滞在中の日記であり、年内刊行予定である。(しみず ひさお)

『土方久功日記』
Ⅰ=B5版 581頁、2010年 2月刊、1,764円。
Ⅱ=B5版 468頁、2010年10月刊、1,125円。
Ⅲ=B5版 620頁、2011年11月刊、1,735円。
Ⅳ=B5版    2012年  年内刊行予定

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