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146-マーシャル諸島をめぐるドナー国の外交政策

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マーシャル諸島をめぐるドナー国の外交政策
-米国・台湾・日本との関係を中心に-

研究員 黒崎岳大(くろさき たけひろ)

1.はじめに                  
 2015年1月1日、マーシャル諸島共和国の日本国大使館がそれまでの兼勤駐在官事務所から正式な日本国大使館に格上げがなされた。7月には所在駐箚特命全権大使である光岡英行前重慶総領事の就任が決まり、8月後半には赴任することが決定した。1997年に兼勤駐在官事務所が設置されてから18年が経ち、2008年のミクロネシア連邦、2010年のパラオ共和国に遅れての漸くの格上げであっただけに、マーシャル諸島政府としても待ちに待ったマジュロ駐在の日本国大使の誕生であり、ロヤック大統領をはじめ政府閣僚からの期待も極めて大きい。
 マーシャル諸島には、現在日本を含め3つの大使館が設置されている。一つは、同国との間で自由連合協定を結び、政治・経済など様々な分野で大きな影響を与えている米国である。もう一つは、建国時より外交関係を締結し、1990~98年にかけてマーシャル諸島が中国と外交関係を結んだことにより国交断絶したものの、98年以降再び国交を樹立している中華民国(台湾)である。両大使館とも大使を駐在させており、これまで交互に同国における外交団長の地位を担ってきた。その意味では、日本は3ヵ国目の特命全権大使を派遣する国となったのである。
 マーシャル諸島を含め太平洋島嶼国は、途上国の中でも経済開発を進めるのが極めて困難な地域として認識されてきた。すなわち、多くの島嶼国は、国土が広大な海域に散らばり、国内市場が小さく、国際市場から地理的に遠いという、開発上の困難な条件を抱えている(外務省国際協力局 2014)。そのため、島嶼国の間では、島嶼国間で協力して経済面での地域統合を行う必要性や、観光分野などを中心に国内産業の発展の重要性を唱えているものの、実際には先進国からの経済支援に依存する状況を克服することは極めて難しいという現実を各国が認識している。言い換えるならば、島嶼国の政府は、国家経営を維持していくためには、先進国をはじめとした周辺大国からの経済援助をいかに安定的に獲得していけるのかということを、最重要の課題として捉えているのである。ゆえに、経済支援政策の現状を分析することは、太平洋島嶼地域の国際関係を把握する上では必要不可欠である。
 経済援助をめぐる太平洋島嶼地域の動きの中で、近年そのドナー国(経済支援国)としてのひときわその存在を域内外で示しているのが中国である。DAC加盟国でないために詳細な金額などについては把握しきれないが、各国の中心部近くに、政府庁舎や大統領府など同国の支援で建設されたシンボリックな建物が紹介され、アフリカなどで見られるような中国の影響力が太平洋島嶼国地域にも浸透しているかのような勢いである。また近年では、中東地域などの域外ドナー国の影響も拡大してきている。これらの比較的近年になって影響力を高めてきた国々に加え、米国や日本などの第二次世界大戦後、太平洋島嶼地域に経済支援を行ってきた先進国や、英国やフランスなどのヨーロッパ諸国も太平洋島嶼地域でプロジェクトを継続して実施しており、支援案件の建物の完成式典などではメディアなどを通じて取り上げられている。こうした点を踏まえると、実際の島嶼国政府側の意識においては、援助額に比して、他の域外ドナー国からの影響力ははるかに強くなってきていることが伺える。

 それでは、太平洋島嶼地域の主要域外ドナー国たちは、太平洋島嶼地域をめぐる国際関係が変容の時期を迎える中で、これまでどのように島嶼地域への外交を進めてきたのであろう。本節では、マーシャル諸島の事例を下に、太平洋島嶼地域の国家経営に大きな影響を与える域外ドナー国の援助政策と、その援助政策に対応して自国の外交政策を進める島嶼国側との相互関係について分析する。具体的には、マーシャル諸島に現在大使館を設置している米国、台湾ならびに日本の外交姿勢を確認しながら、それぞれの経済支援戦略と特徴について確認し、その戦略を行う域外援助国側の思惑について考察していく。また、域外援助国の経済支援戦略に対して、その戦略の思惑を的確に捉えながら、自国の国家経済開発において最も効率的に経済支援を引きだしていくマーシャル諸島側の外交をめぐる認識について考察していく。

1. マーシャル諸島の独立と米国との外交関係
 マーシャル諸島共和国は、太平洋のほぼ中央に位置し、29の環礁と5つの島から構成された島嶼国である。排他的経済水域が213万平方キロメートルと広大であるにもかかわらず、国土の土地面積は181平方キロメートルに過ぎない。人口も5万人ほどで、首都マジュロにおよそ半分が住む以外は、離島地域に散在している。また欧米を中心とした主要先進国の市場から遠く離れていることもあり、高額な輸送コストなどの問題も重なり、目ぼしい産業の発達が見られない。こうしたことから、国家の財政を支える上で、先進ドナー国からの経済支援が不可欠であり、経済支援が国家財政収入の半数以上を占めるという、ポリネシア地域やミクロネシア地域の島嶼国に共通してみられる問題を抱えている。
 マーシャル諸島は、第二次世界大戦後、日本の委任統治領を引き継ぐ形で、信託統治領ミクロネシアの一部として、米国の施政下に入った(1)。1979年に他のミクロネシア地域から独立する形で、憲法を制定し自治政府が設立される。1986年に米国との間で自由連合協定を締結し、独立を果たす。
 自由連合協定とは、マーシャル諸島が軍事権および安全保障に関わる外交権を米国に委ねる代わりに、米国より毎年5770万米ドルの経済支援(コンパクト・マネー)を15年にわたり受けることができることを内容とする二国間協定である。また、両国民は相手国に対して移動、居住および労働の自由が認められているため、マーシャル人は自国のパスポートを保持していれば、米国で無期限に居住を続けることができる。こうした関係は、ミクロネシア連邦とパラオも独立時に結んでいる。マーシャル諸島は、その後2003年に自由連合協定を改訂し、コンパクト・マネーの享受期間を20年延長することとなった。また、コンパクト・マネーの供与の終了に備える形で、毎年信託基金の積み上げ金が米国から拠出されている。マーシャル諸島の国家収入は年間1億米ドル前後である中、同国は年間6~7千万米ドルの経済支援を周辺ドナー国から受けており、またその70%以上を米国からの経済支援に負っている。マーシャル諸島政府も米国との関係は「特別で独自の関係」と称し、外交関係における最も重要な相手国として認識している。このことは、国連総会における「米国の対キューバ経済封鎖解除決議」や「パレスチナの『オブザーバー国家』として認める決議」などにおいて、パラオと共に最後まで米国を支援する投票行動をしていることからも明らかである(2)。
 しかしながら、マーシャル諸島側は単純に米国に対して外交政策において常に追従しているわけではない。むしろ、国内に抱える2つの米国との外交問題では、むしろ米国と法廷闘争を繰り広げながら、米国の政策を国際社会において非難している。
 一つは、国内のクワジェリン環礁にある米軍基地に対する土地使用をめぐる協定交渉である。クワジェリン基地は、マーシャル諸島西部に位置する世界最大の環礁・クワジェリン環礁内に弾道ミサイル防衛実験場として設置された軍事基地である。1944年に米軍が日本から同島を占領後、同環礁南部にあるクワジェリン島に軍事関連施設を建設し、それに伴い同島に住んでいたマーシャル人は5キロメートル北方のイバイ島へと強制移住させられた。その後、同島には米国軍人および軍関係技術者約2000名が暮らす一方で、マーシャル人は同島へ自由に入ることが禁止され、基地労働者としてイバイ島からフェリーで通うことを余儀なくされた。マーシャルが独立する際の自由連合協定ではクワジェリン基地の使用に関して付帯協定が結ばれ、同島の米軍基地2015年までの継続使用に伴う、土地所有者に対する使用料の支払いが決められた。また、2003年の自由連合協定改訂に伴い、両国政府間により米軍基地使用は2066年まで延長された。こうした政府間による基地使用問題に対して、クワジェリン基地の土地所有者たちは、不当に低い土地使用料に反発し、2006年以降、米国政府に対してクワジェリン島の返還請求を強めるようになった。米国に住むマーシャル人やNGO団体と協力し、反対運動を強めていく中で、米国政府も態度を軟化させ、2009年に米国政府に土地使用料の増額を認めさせることに成功した。
 もう一つは、国内で行われた米国による核実験に対する被害補償問題である。1946年から58年にかけて、米国はマーシャル諸島北西部のビキニ環礁並びにエヌエタック環礁で67回にわたる核実験を行った。この間、両環礁の住民は国内外へ強制移住を強いられ、また54年にビキニ環礁で実施された水爆実験(ブラボー実験)により、近隣のロンゲラップ環礁およびウトリック環礁の住民が「核の灰」を浴び、被曝した。自由連合協定においても、同核実験の影響を受けた4つの環礁(ビキニ・ロンゲラップ・エヌエタック・ウトリック)のある地方政府及びその住民に対して、補償金と医療分野での支援を行う旨の付帯条項が記された。しかしながら、同地方政府は、自由連合が締結された直後から、他の核実験場の住民と比べマーシャル諸島の住民への補償額が不当に低いと米国政府を非難し、マーシャル政府も4つの地方政府と協力し、米国政府を相手に増額交渉を要求した。米国政府は自由連合協定をもって補償問題は解決済みと表明し、マーシャル側との交渉を拒否し続けている。これに対して、マーシャル政府は国際世論に訴えるとして、米国内のNGOと協働して、2014年3月に米国を含む核兵器を所有する9つの国を相手に国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、同時に米国内の裁判所にも米国政府の核兵器削減に対する不作為を訴えている(黒崎 2014b)。

 このように、マーシャル政府は米国から国家収入の大部分を占めるコンパクト・マネーをはじめとした経済支援を受け、米国との間で外交分野での協力関係を構築してきた。しかしながら、それは決して米国に完全に追従するというものではない。むしろ、クワジェリン米軍基地問題や核実験補償問題などでは、国内の住民と協働して米国政府にその不当性を主張し、米国内や国際社会へ法廷闘争を含めて非難するという対立関係も示してきた。こうした動きに対して、米国側も交渉の拒否をするなど対抗する姿勢を示してはいる。ただし、米国からしても太平洋地域の安全保障政策上、クワジェリン基地の存続は極めて重要である。また、核実験に伴う被害補償の再交渉に関しても、現状では米国政府としては拒否し続けているが、今後ICJにおける法廷闘争が行われるなどの状況が変化した場合は、拒否の姿勢を緩和させることも十分に考えられる。一方、マーシャル諸島政府も完全に米国と対立し、関係を打ち切るという姿勢を見せているわけでもない。むしろ、「米国の安全保障政策は、マーシャル諸島がこれまで負ってきた犠牲の上に成り立っている」ということを米国側に自覚させ、今後の経済支援や被害補償などの交渉で米国から有利な条件をひきだそうとしている、小島嶼国によるしたたかな外交戦略として捉えることができるだろう。

2.中国・台湾による熾烈な国交争いとマーシャル諸島政府の対応
 米国に次ぎ、マーシャル諸島に対する2番目に大きなドナー国であるのは、中華民国政府(台湾政府)である。OECDに非加盟であるため正確な援助の把握は困難であるが、毎年10億円規模のプロジェクトに対する支援を実施している。台湾政府からマーシャル諸島政府に対する経済支援は原則としてリインバースメント方式を採用している。すなわち、マーシャル諸島政府と台湾政府との間で合意がなされたプロジェクトに対して、実際にプロジェクトが成立した後にそのプロジェクトでマーシャル諸島政府が負担した費用と同額の経済援助資金を台湾政府がマーシャル諸島政府に支払うという方式である。台湾政府がこのような方式を採用している背景には、マーシャル諸島政府がこれまで行ってきた中国・台湾との間での外交関係の締結と断交の繰り返しの歴史が関係している。
 マーシャル諸島は独立直後に台湾との間で外交関係を締結した。しかしながら、1990年に国連への加盟を進めていたマーシャル諸島政府は、安全保障理事会の常任理事国である中国による反対を避けるために、中国政府との外交関係締結を決定し、台湾政府と断交した。1991年に国際連盟に加盟後、中国との関係を強化し、経済援助を拡大していく中で、建設関係者を中心に中国本土からの移民が増加していく。ところが、1998年にマーシャル国内での政権抗争が激しくなる中、経済支援の拡大を目指して再び台湾政府と外交関係を締結し、中国との国交を解消する。このようにマーシャル諸島政府は2度にわたる中国政府と台湾政府との間で外交関係の締結と解消を行っており、その意味では現在国交を樹立している台湾政府としても、いつ裏切られるかという不信感を常に持っている(3)。
 とはいえ、台湾政府としても外交関係を有する数少ない国であるマーシャル諸島との関係を反故にすることは避けたいと同時に、マーシャル諸島国内には台湾企業が経営する漁業会社や大型スーパーマーケットもあり、これらの民間企業を守る立場としても外交関係を継続していくことが求められている。とりわけ、首都マジュロには建設業や小売業を営みながら、国交を結んでいた時代より住み続けている中国本土から来た中国人移住者が300人以上住んでいる。特に小売業に関しては全体の3分の1を中国人が経営しており、こうしたビジネスを通じた中国人とマーシャル諸島政府関係者のつながりについても常に目を光らせておく必要があるのだろう。
 一方、マーシャル諸島政府としても、同じ太平洋島嶼国の中で、資源を多く確保しているパプアニューギニアや国際機関の地域内の出先機関が置かれているフィジーなどと比べて、マーシャル諸島が他の島嶼国よりも中国にメリットが少ないことは十分認識している。その点から考えれば、現在の台湾政府との関係を継続させる方が有利だと十分認識しているようである。

 ただし、マーシャル諸島政府も中国政府との間で関係を完全に閉じているわけではない。国交を断絶させて以降も、中心部に建設された旧駐マーシャル中国大使館の建物はそのまま中国政府の管理下に置かれ、中国政府の外交官が駐在している。また4年おきに実施される選挙が近づくと、与野党の有力議員がマカオや香港を滞在する動きが頻繁に確認されている。こうした動きは実際に中国政府との交流をしている可能性があると同時に、台湾政府に対しても外交関係をめぐる駆け引きが常に行われていることを意識させる外交交渉のツールとして利用されているのである。

3.日本との安定かつ長期的な外交関係の構築
 米国と同時に、独立直後からマーシャル諸島の経済開発を支えた主要ドナー国として、日本がある。第二次世界大戦以前には、マーシャル諸島は旧南洋群島の一部として日本の委任統治領下に置かれ、多くの日本からの移住者が、当時のマーシャル諸島の中心地であったジャルート環礁を中心に移り住んだ。その結果、パラオやミクロネシア連邦と同様に、第二次世界大戦後も同国の文化な言葉の中に色濃く反映されたり、日系人が政界・財界のトップとして君臨することとなった(4)。
 日本政府は独立前の1981年からマーシャル諸島との間で、政府間漁業協定を締結し、水産無償資金協力を通じて、国内の離島にある漁業基地の整備を実施し、また1990年代以降は高等学校や病院などの建設、首都マジュロの幹線道路の整備など社会インフラ整備などを次々と実施していき、現地でも高く評価されている。2000年代以降に入ると、日本国内の景気の停滞によりプロジェクトの数は減少傾向を見せているが、それでも離島間の輸送船が供与されるなど、現在も米国・台湾に次ぐ有力なドナー国として認識されている。
 マーシャル諸島を含む太平洋海域は、日本国内で消費されるカツオ・マグロの約80%が漁獲される地域である。また、国際連合や国際捕鯨委員会をはじめとした国際場裏において、マーシャル諸島は日本の提案に対して共同提案国になるなどほぼ一貫して協力する立場をとってきている。円借款の経験はなく、無償資金援助と技術協力が中心で、ビジネスとしてのメリットはほとんどないものの、ほぼ2~3年に一度のペースで10億円規模の無償資金協力が実施されている。
 一方で、マーシャル諸島政府も、日本側の意図を十分認識している。その中で、米国や台湾からの経済支援を念頭に置きながら、日本政府の経済支援の方針に合う形の支援要請を行ってきている。具体的には、日本に支援要請するプロジェクトについては、長期スパンで、かつ高い技術を必要とするものが多い。マーシャル諸島政府も、台湾政府の支援と比較して、決定までに時間がかかるものの、一度プロジェクトが開始されれば、その品質は信用できるという認識が強く、近年のプロジェクトも国内輸送や医療部門への要請が多くあげられている。
 もちろん、マーシャル政府からも日本政府に対して、近年は厳しい要請をつきつけてくることもある。日本は従来島嶼国との間で二国間漁業協定を結び、水産無償資金援助を実施してきた。しかし近年、島嶼国側が日本を含む域外国に対して、ナウル協定という8つの島嶼国による域外国への操業日数の制限に関する協定を締結し、島嶼国域内で協力して域外国に対抗する姿勢を強めている。また、平均海抜が3メートル以下という環礁で構成されたマーシャル諸島は、ツバルやキリバスといった同様の地理的条件の太平洋島嶼国と協力して、2013年9月にマーシャル諸島の首都マジュロで開催された日本をはじめとした先進国に気候変動対策に向けて目に見える行動計画を示すことを要求してきた。こうした取り組みは一方では、先進国である日本に厳しい対応を示しているように見えるが、他方で、ナウル協定に関しては各国への投資や経済開発を促進させたことへの貢献度で操業日の拡大を決めたり、日本が2015年に開催された第7回太平洋・島サミットで太平洋島嶼国への重点協力分野として環境・防災対策を一つの柱として掲げていることを見越した上での対応なのである。

 以上のように、マーシャル諸島は日本との間での経済支援を中心とした外交政策については、自分たちの国の経済開発に向けた要望や日本側の外交戦略を把握した上で、日本政府側が理解を示しやすいような展開を考えた上で、実際の交渉に臨んでいる。

4.外交をめぐるマーシャル諸島の認識
 このように独立以来、自由連合協定に基づくコンパクト・マネーを供与し、米軍基地問題や核実験被害補償などで対立関係を示唆しながらも、マーシャル諸島との間に「特別かつ独自の関係」を構築してきた米国、中国との外交関係樹立をめぐる争いを背景に経済支援を通じてマーシャル諸島と外交関係の維持を図っている台湾政府、そして委任統治領時代からの歴史的な関係および漁業などの水産資源を下に、長期的な友好関係を継続していく日本、の3国からの経済支援が、マーシャル諸島の国家財政及び経済開発に大きく関与してきた。
 こうした米国・台湾・日本のマーシャル諸島に対する外交戦略に対して、上述の通り、マーシャル諸島政府は相手国の経済支援の手続きや支援方針、あるいは相手国が置かれた国際情勢などを踏まえた上で、相手政府の戦略に合わせるように国際場裏での協力や実際のプロジェクトの要請を行う、また時には近隣の島嶼国や国際社会におけるNGOやマスメディアと提携しながら相手国と対立する姿勢を見せつつ譲歩を促すなど、各国との外交を実施してきている。
 こうしたマーシャル諸島政府の外交交渉の姿勢は、一見すると具体的な国家戦略をもたない場当たり的対応であると批判されるのかもしれない。これに対して、マーシャル諸島政府の政治家たちはどのように考えているのであろう。彼らの外交に関する考え方を垣間見ることができる一例として、初代大統領であり、同国建国の父と呼ばれたアマタ・カブアによる逸話が残されている。
 アマタ・カブア大統領は、自らの閣僚に外交関係を釣りに譬えて説明している。彼によれば、釣りをするためには、海の状況についての知識や魚を掴むための技術を磨き続ける必要がある。また、必ずしも常に成果を得られるわけではないため、大量に釣れるときには全力でチャンスをつかまなければならない。このことは、外交交渉でも同じであり、常に国際情勢の動きを把握し、交渉相手との関係を理解しながら、その状況で最善の結果を求めるということであった。
 アマタ・カブアは1979年に自治政府として他のミクロネシア地域から分離した後、米国との間で自由連合協定を締結して、独立を果たすと同時に、コンパクト・マネーという国家財政の基盤となる資金を手に入れた。また、上述の通り、台湾との国交を断絶しても、国連への加盟を優先して、中国と外交関係を結んでいる。さらに、彼は委任統治領時代に日本語での学校教育を受けており、その巧みな日本語で、日本政府といち早く二国間漁業協定を結んで、社会インフラ整備のための資金協力を獲得している。しかひ、その一方で、彼の生前の独善的な政治手法に対する批判的なコメントも多い。米国との自由連合協定の交渉はもう少し時間をかければ、有利な条件を引き出せたのではないか。台湾と国交を断絶するという行為が、その後の台湾政府による不信につながり、現在のリインバース方式の支援となっているのではないか。日本に対しては戦後補償なども含めた慎重な外交交渉が必要ではなかったのか。いずれの意見も在任中の1996年に急逝したアマタ・カブアから反論を聞くことはできない。

 ただし、少なからずともアマタ・カブアの残したこの逸話から判断できるのは、彼が行ってきた外交交渉は決してその場しのぎの、無計画な戦略ではなかったことである。彼は、生前より日本語・英語を含む複数の語学を操って、国際情勢に敏感に反応しながら自国の外交交渉を行ってきた。狭い国土の下では、他の近隣諸国に負けない競争力のある産品を育成することの困難さは十分認識している。産業の育成の必要性は彼自身も十分認識していただろうが、それ以上に国家を維持していくには外交交渉を通じて経済支援を獲得していくことが不可欠だったのである。

5.考察
 以上のマーシャル諸島の事例は、ミクロネシアの一島嶼国の事例であるが、他の太平洋島嶼国地域にも共通して確認できる特徴が見られる。
 一つは、圧倒的に自国に対して経済的に影響力を行使してくる旧宗主国を中心としたトップ・ドナー国の存在である。一般に、メラネシア地域にとってはオーストラリアであり、ポリネシア地域にとってはニュージーランド、そしてミクロネシア三国と呼ばれるパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島にとっての米国である。これらの国々は、各々の国にとっては、最大の貿易相手国でもあり、また多くの移民を受け入れている関係もあり、政治的にも文化的にも極めて近しい関係にある。その一方で、その圧倒的な経済力を中心とした影響力に対して反発を感じる動きも存在している。パプアニューギニア政府内には、多くのオーストラリア人が政府顧問として入っており、パプアニューギニアの国際政策に大きく関与している。彼らオーストラリア人顧問たちの支援がなければ、国家戦略に関わる法制度の作成が難しいことは理解している半面、国内の諸制度の作成に口を出してくることから、多くのパプアニューギニア人政治家たちは反発を感じている。また、2006年末のフィジーにおけるバイニマラマ司令官によるクーデタも、背景にはフィジーの伝統的首長たちと親密に結びついた豪州人たちによって、国内の改革が進まないことに対するバイニマラマ首相を支持する国民の反発があったと言われている。一方で、クーデタによるフィジー・オーストラリアの両政府間で関係が悪化している間も、経済面、とりわけ観光面での関係は良好であり、フィジーへ観光で訪れたオーストラリア人観光客の数は増加を続けてきた。このように、太平洋島嶼国のいずれの国も外交関係の機軸となる先進国が存在し、友好関係と対立関係を常に見せながら、その国との外交交渉が国家財政の中核をなしている。
 次に、多くの国々が中国と台湾の国交争いの渦中にあり、経済支援などの政策をめぐり、外交関係を変更させるなどの外交交渉が行われている。マーシャル諸島以外でも、2000年代以降も、2004年にキリバスが、そして2006年にナウルが、中国から台湾に国交を変更した。一方、トンガは1998年に台湾から中国に国交を変更し、2006年にはバヌアツが一時中国から台湾に乗り換えようとするも、翌日撤回した。また、クック諸島は中国と国交を有しており、毎年多額の経済援助がなされているものの、国内に住む中国人の数は数名に過ぎず、アフリカ諸国で懸念されるような経済支援に伴い現地のビジネスを支配してしまうという状況と全く異なる様相を見せている。このように中国と台湾の間の外交関係の対立を、経済援助を引き出すための駆け引きに利用する姿は、単純にドナー国からの経済支援に依存し、支配されるという途上国の姿とは異なるものであろう。

 さらに、どの島嶼国も日本からの経済支援の影響が強く、友好関係を構築しているということも共通している。日本の全世界への経済支援総額のわずか2%に過ぎない太平洋島嶼地域であるが、島嶼国側からみれば日本はどの国でもほぼ上位第3位以内に入っており、キリバスやツバル、あるいはトンガのようにトップ・ドナー国となっているところも少なくない。また、日本の経済支援が青年海外協力隊に象徴されるように相手国と同じ目線で協力を行っていくイコール=パートナーとしての視点で行われていることから、各国にとって愛憎半ばするようなトップ・ドナー国との関係とは一線を画している。さらに、漁業資源はもちろん、近年はパプアニューギニアに代表されるように鉱物エネルギー資源の輸出相手国として重要なビジネスパートナーとしての認識が、島嶼国にとってはもちろん、日本側からも高まってきている。こうした関係が基盤にあるからこそ、3年に一度のペースで定期的に開催され、各島嶼国にとっても重要な外交上の会議として認識されるようになった太平洋・島サミットを構築することができたのであろう。太平洋島嶼国にとってドナー国としての日本は、太平洋島嶼地域の国際関係においてまさに欠くことのできないアクターなのである。

おわりに
 本稿では、経済協力を中心とした太平洋島嶼地域の国際関係に着目し、とりわけ太平洋島嶼国と域外ドナー国との関係を中心にについて検討した。その中で、各域外ドナー国側の太平洋島嶼国に向けられた外交戦略と、それに対応する島嶼国側の戦術の関係について、マーシャル諸島の事例を利用しながら、島嶼国に共通に見られる特徴について分析した。
 第二次世界大戦後、国連信託統治領としてマーシャル諸島を施政下に置き、独立後も自由連合協定を締結し、政治・経済などあらゆる分野において大きな影響をもたらしてきた米国は、クワジェリンの米軍基地の存在からも明らかなように、今後も同国との関係を維持強化していく姿勢は極めて強い。マーシャル諸島政府にしても、クワジェリン基地の土地使用権の問題やビキニ・エヌエタック環礁での核実験被害補償の問題などを抱えつつも、米国政府に対しては「特別で独特の関係」という言葉からも明らかなとおり、常に最重要な外交相手であり続けることは間違いないだろう。
 台湾政府としては、やはり太平洋島嶼地域で中台間の外交関係樹立をめぐる熾烈な争いの存在を意識せざるを得ない。中国との経済関係を重視する現在の馬政権下では沈静化しているが、今後民進党が政権を獲得すると、再び中台の争いが持ち上がる可能性も否定できない。そのためにも、数少ない外交関係を樹立している相手国であるマーシャル諸島との関係を維持強化していくことは、台湾政府の外交政策においては極めて重要な問題であり、経済協力面などで協力関係を深めていく動きを見せていくことが予想されている。
 こうした二つのドナー国の動きに対して、戦前の委任統治領時代から続く歴史的な関係や独立以降もODAを通じた社会インフラ整備に貢献してきた日本に対しては、今日マーシャル諸島においても極めて評価が高い。もちろん、その背景には、遅々として進まない補償問題などを含めた米国・マーシャル諸島間の複雑な外交関係やビジネス分野を中心とした中国人に対するマーシャル人側の嫌悪感などが強く関係している。こうした中で、ホノルルやサンフランシスコなどの米国各地の総領事館、あるいは重慶や香港などの中国各地の総領事館での勤務経験を持つ光岡大使の就任は、単に日・マーシャル諸島間の外交関係にとってのみならず、マーシャル諸島における外交関係全般を見ていく上でも極めて優れた人選であると評価することができるだろう。
 これらのドナー国の動きに対して、太平洋島嶼国はただドナー国の戦略を黙って受け入れているわけではない。マーシャル諸島の事例でも明らかなように、自由連合協定に基づく経済支援を供与する米国という圧倒的なドナー国との関係が最優先に捉えられているように、各国のトップ・ドナーとの関係は重要視されている。ただし、状況に応じてはその援助国との外交政策を非難するなどして、国際場裏において緊張関係を生みつつ、他の国々や国際NGOあるいはメディアの支持を背景に、米国との間で譲歩を生みだす戦略も利用している。また、中国と台湾の外交関係締結をめぐる攻防を利用して、経済支援の拡大や国連加盟などを成功させていく。第二次世界大戦以前からの歴史的関係に基づき、社会インフラ面整備支援を行ってきた日本との友好関係を継続していきながらも、中国と台湾との間の外交関係樹立をめぐる争いを利用して、両国の間を揺れ動く中で、経済支援の拡大や国際連合への加盟を獲得するなどしたたかな外交を行ってきた。
 もちろん、島嶼国側も経済援助に依存しきった国家経営を必ずしも好ましい事態であると考えているわけではない。広大な海域の漁業資源を協働管理し、域外諸国との間で漁業操業日数を決めていく太平洋島嶼国8ヵ国であるナウル協定の動きは、島嶼国での地域協力の重要性を認識している動きと見ることもできる。こうした中で、二国間交渉を重視する米国や中国などの域外大国はどのように島嶼国と対応していくのか、そしてこれらの域外大国の動きに島嶼国がどのように反応していくのか、太平洋島嶼地域をめぐる国際関係の最前線の現場で起きているこうした動きを注視していく必要があるだろう。

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(1) 信託統治領ミクロネシア地域は、現在のミクロネシア連邦、パラオ共和国、米国の自治領の北マリアナ諸島 とマーシャル諸島を含む地域で、信託統治領の首府はサイパンにおかれた(黒崎 2013)。
〔参照文献〕
(2) 国連決議において、マーシャル諸島はパラオと並び、毎年ほぼ100%米国と同じ投票行動をとっている。
(3) 実際に2013年9月にマジュロで開催されたPIF年次会合ではマーシャル諸島政府による中国政府に対する 過度な対応が問題となり、台湾政府から非難を受けた。すなわち、PIFの年次会合における総会が開催され た国際会議場は台湾政府による資金供与で建設された建物であり、正面玄関にはそれを記念した台湾政府の  国旗の描かれたプレートが掲げられていた。PIFの正式な域外国として認められている中国政府はそのプレート に不快感を示し、PIF事務局に対してその国旗を覆い隠すように要請した。マーシャル諸島はPIFからの要 望で、同日台湾政府の国旗に布をかぶせる行為を採ったことで、現地の駐マーシャル台湾大使より公式の非 難を受けた。この件は、PIF議長として公式の域外国である中国政府と、自国が国交を締結している台湾政 府との間での板挟みになった事例として、地元紙で大きく扱われた(黒崎 2014a)。

(4) 米国は第二次世界大戦後、日本による委任統治領時代の影響を払拭するため、「動物園政策」と呼ばれる他   地域の住民とミクロネシアの住民との過度な接触を禁止し、また1960年代後半以降はエリート層を中心 に米国に留学させるなど親米化を図った。しかし、一方で、1970年代にミクロネシア地域で信託統治領 からの独立を目指す動きが活発化していったが、その中心的役割を果たしたのが日系人や委任統治領時代 に教育を受けた現地のエリート層であった(黒崎 2013)。
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<日本語文献>

外務省国際協力局編、2014、『政府開発援助(ODA)国別データブック2013』、外務省国際協力局。
黒崎岳大、2009、「国際政治と安全保障-マーシャル諸島の現代政治とアメリカ合衆国の安全保障政策」、吉岡政徳監修・遠藤央他編『オセアニア学』、361-374頁、京都大学学術出版会。
____、2010、「太平洋環境共同体に向けて-日本の大洋州島嶼国外交の経緯と課題」、塩田光喜編『グローバル化のオセアニア』独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所: 91-107。
____、2012、「第6章 太平洋島嶼国に対するドナー国の外交戦略:「太平洋・島サミット」に見る日本の太平洋島嶼国外交を中心に」、塩田光喜編『グローバル化とマネーの太平洋』独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所: 141-169。
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