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沿革

【発足】

太平洋協会は、当時の経済団体連合会(経団連)の協力のもと、1974年(昭和49年)に外務省北米局北米第一課所管の社団法人日本ミクロネシア協会として発足しました。初代会長は岩田喜雄(財)アジア会館会長(元昭和ゴム(株)社長)。かつて日本の委任統治領であったミクロネシア地域(現在のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島および北マリアナ)と日本との友好交流を発展させたいとする経済界および旧南洋群島居住経験者らの声を受けて、財団法人アジア会館が母体となって民間人有志が設立したもので、稲垣平太郎(初代通産大臣)、江戸英雄(三井不動産(株)会長)、菊地庄次郎(日本郵船(株)社長)、若狭徳治(全日空(株社長)、らが設立発起人となり、理事には朝田静雄(日本航空(株)社長)、中田乙一(三菱地所(株)社長)、法華津孝太((株)極洋社長)など、太平洋の島々に格別な思いのある政財界の重鎮が名を連ねていました。

【日本ミクロネシア協会の時代】

以来、協会は、わが国とミクロネシア地域の経済、文化、人物の交流事業を通じた同地域との友好親善を推進するとともに、調査研究や地域情報提供などの活動を行ってきました。1976年(昭和51年)から1988年(昭和63年)まで実施した「太平洋こどもウィーク」では、航空機をチャーターしてそれぞれ100名のこどもたちが日本とミクロネシアを相互訪問し、交流事業を行いました。特に第4回から東宮御所を訪問して皇太子殿下(現在の上皇陛下)ご夫妻にお目にかかる機会を得たことは、ミクロネシア側で大きな反響を呼び、途絶えがちだった日本との絆を再構築する成果をあげました。今でもミクロネシア地域の一部世代には、現在の略称であるJAPIAよりも当時の呼び名であるJMA(Japan Micronesia Association)の方が通りがいいこともあります。

また1980年(昭和55年)からは在野の地域研究会として「オセアニア研究会」をスタートさせ、2010年(平成22年)までに計196回の研究会を開催しました。この研究会の積み重ねを下地にして、2012年(平成24年)には太平洋諸島学会が創設され、太平洋の島々に関わる研究者・実務者・民間事業者らが広く太平洋の島々に関する知見を深める場へと継承されています。

さらに当時の協会は、米国施政下で日本政府と直接接触のできなかった信託統治領ミクロネシアの島々と日本を結ぶ公益諸事業の窓口機関としての役割も担ってもいました。そして独立後のミクロネシア連邦大使館開設(1989年)やマーシャル諸島共和国大使館開設(1991年)に対しても、協会は開設準備や運営に関して、様々な助言と支援を行ってきました。

【太平洋諸島地域研究所へ】

1986年(昭和61年)に国連信託統治地域からミクロネシア連邦とマーシャル諸島が独立し、間もなく日本政府との外交関係を成立させました。それに伴い、外務省の担当課が北米第一課から欧亜局大洋州課へと移り、次々と開設される島嶼各国の在京大使館との連携や、1996年(平成8年)に設立された太平洋諸島センターの発足準備から初期の活動への支援など、当協会の活動もまた太平洋島嶼全域へと広がっていきました。

そして、当時はまだほとんど情報のなかった太平洋島嶼諸国の調査研究に対するニーズが拡大する中で、当協会も島嶼地域全体を視野に入れた数少ない専門の調査研究機関としての役割が増し、シンクタンクとしての機能とその評価が高まっていきました。しかし一方、こうした事業が活発化するほどに、「日本ミクロネシア協会」という組織名称からイメージされる活動内容と実際活動との乖離が生じ、業務上の不都合がしばしば起こるようになりました。そこで、1998年(平成10年)の定時総会において、歴史ある組織の名称変更が決議され、翌年に外務省の認可を受けて「社団法人 太平洋諸島地域研究所」へと組織名を変更しました。

【太平洋諸島地域研究所の時代】

このような経緯を経て、1990年代以降、当協会は太平洋島嶼の全てをカバーする日本で唯一の研究機関として、わが国における太平洋研究のレベルアップに寄与してきました。

定期的に開催する上述オセアニア研究会に加え、政府や民間から委託を受けた調査研究、さらには1996年(平成8年)に始まった太平洋島サミットと連動した国際シンポジウムの開催(2001年大阪、2002年金沢)、書籍の出版など活動は広範囲に及びます。さらに2003年(平成15年)には太平洋島嶼地域の文献、とりわけ委任統治時代の貴重な日本側資料を多数所蔵したアジア太平洋資料室も開設し、内外の研究者に広く公開も開始しました。

またその活動は、日本ミクロネシア協会発足時の設立主旨を引き継いでおり、調査研究事業だけに特化することなく、対象地域との親善、交流活動にも力を入れた地域協力機関としての事業も続けてきました。

【太平洋協会へ】

2012年(平成24年)、公益法人法の改正に伴い、当協会も新組織へ移行する手続きを開始しました。理事会では、この機会に調査研究に留まらない幅広い活動を行う実態に即した名称変更をすべしとの決定がなされ、内閣府の認可を受けて2013年(平成25年)4月に一般社団法人太平洋協会へと再度名称ならびに組織の変更が行われました。活動内容は従来と大きくは変わりませんが、調査研究部門は組織内で存続する太平洋諸島研究所が行い、交流・親善事業は太平洋協会の一般事業として実施しています。

2015年(平成27年)の第7回太平洋島サミットでは、経済交流拡大を目指しJETROと共催して各国首脳と日本経済界のトップとの間での「経済人サミット」を開催、また2018年(平成30年)の第8回太平洋島サミットでは文化交流事業「太平洋・島まつり」をいわき市民有志で結成された地元実行委員会とともに開催し、島サミットを政治イベントのみならず開催地市民も巻き込んだ広範な交流の機会として提案しました。この「島まつり」には安倍総理ご夫妻もサプライズで立ち寄るなど大きな反響を得ましたが、こうした諸活動は幅広いネットワークと経験・蓄積に裏打ちされた「太平洋協会ならでは」の事業です。これからも、関係官民と力を合わせて、日本と太平洋の島々との相互理解と友好親善を通じたよりよい21世紀の構築に向けて活動してまいります。

太平洋協会の歩み

1974年(昭和49年)6月18日

1999年(平成11年)5月25日

2013年(平成25年)4月1日

社団法人 日本ミクロネシア協会として発足

社団法人 太平洋諸島地域研究所に改称

一般社団法人 太平洋協会に改称・改組

歴代会長

1974年(昭和49年)~1984年(昭和59年) 岩田喜雄(財団法人アジア会館会長 元昭和ゴム社長)
1986年(昭和61年)~1999年(平成11年) 松本誠也(パイオニア株式会社社長・会長)
2007年(平成19年)~2013年(平成25年) 谷川寛三(財団法人アジア会館会長 元科学技術庁長官)
2013年(平成25年)~現在 北野貴裕(北野建設株式会社社長・会長)

(注)初代岩田会長、二代目松本会長逝去後はそれぞれ後任会長就任まで会長空席の期間がある。その間はともに小深田貞雄理事長(当時)が協会代表を務めた。

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