一般社団法人太平洋協会のウェブサイトです

140-サモアの政体についての一考察

  • HOME »
  • 140-サモアの政体についての一考察

サモアの政体についての一考察

-立憲君主制・共和制・選挙元首制-

苫小牧駒澤大学教授 東  裕


1.問題の所在

 サモアの政体を立憲君主制とすることに、これまで筆者自身、違和感を抱いてきた。しかし、一方で、共和制と理解することは無理があると思っていた。太平洋島嶼地域では、サモアの隣国トンガが域内で唯一の王国といわれ、そのトンガと比較して、サモアを立憲君主制とすることに誰しも抵抗を感じざるを得ないだろう。なぜなら、トンガにはただ一つの王家があるが、サモアにはそれがないからである。かといって、サモアを君主制ではなく、共和制であるとすることも難しい。サモアの国家元首は、特定の家系に属する者が独立時に就任し、その後議会選出となってからも、事実として特定の家系の者がその地位を占めるという、一般に君主制に不可欠とみなされている世襲による地位の継承という要素が見られるからである。
 たとえば、わが国の外務省のホームページの各国・地域情勢の頁(*1)を開くと、その国の「一般事情」の次に「政治体制・内政」の説明があり、その最初に「政体」について記載されている。サモアについては、「立憲君主制」とある。次に「元首」として、トゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ(Tuiatua Tupua Tamasese Efi)殿下の名が記され、サモアは同殿下を君主とする立憲君主制政体をとっているとの理解が窺える。このような記述は、サモアの国家元首のもつ世襲的な要素に配慮したものといえよう。
 サモア憲法(*2)の第3章(Part Ⅲ)には「国家元首」(The Head of State)の章が置かれている。章の冒頭の条項では「オ・レ・アオ・オ・レ・マロ(O le Ao o le Malo)として知られるサモアの国家元首をおく」(16条)と規定され、続いて「トゥプア・タマセセ・メアオレ(Tupua Tamasese Mea’ole)とマリエトア・タマヌマフィリ2世(Malietoa Tamanumafili Ⅱ)が独立の日に共同して国家元首に就任する」(17条1項)として共同国家元首制がとられた。独立以後、いずれか一方が死去したときは、残された1人がそのまま国家元首の地位を保持し(同条2項)、両元首が死去するか、又は辞職したときに同条は効力を失い(同条5項)、その後は議会で国家元首が選出され(18条1項)、任期は5年と定められている(19条1項)。
 現在のトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ殿下は、独立時の共同国家元首の一人で1963年4月5日からは単独国家元首の地位にあったマリエトア・タマヌマフィリ2世前元首が2007年5月11日に死去したため、同年6月15日に憲法の規定により、サモア議会で5年任期で選出され、さらに任期終了後の2012年7月に再選されて、今日に至っている。ちなみに、同殿下の父は、トゥプア・タマセセ・メアオレ元共同国家元首(1963年4月5日逝去)である。

 このようにサモア憲法において、国家元首は独立時に特定の家系に属する2人の人物を共同国家元首と定め、その2人が死去した後の国家元首は議会選出としていた。そのため、独立時から2007年にマリエトア・タマヌマフィリ2世が死去するまでは、立憲君主制とみなすに足る十分な理由があったが、2007年6月15日以降は議会選出の国家元首となったため、立憲君主制ではなく共和制ではないのか、との疑問が浮かぶ。そこで、この問題について、論点を整理・検討し、一応の結論を導いてみたい。

2.政体の分類について

 政体(formes of government)とは、国家の政治形態ないし統治形態をいい、アリストテレスの政体論以来、マキアヴェリ、モンテスキュー、ウェーバなど、多くの思想家や学者が様々な基準を設定し分類を試みてきた(山川:122頁以下)。その中で、18世紀にフランスのモンテスキューが行った分類が、今日の政体分類の基礎として大きな影響を与えていると考えられる。
 モンテスキューは、『法の精神』(1748)において、政体には三つの種類があるとして、それを「共和政体」、「君主政体」、および「専制政体」に分類する。「『共和政体は、人民が全体として、あるいは人民の一部だけが最高権力をもつところの政体であり、君主政体はただ一人が統治するが、しかし確固たる制定された法律によって統治するところの政体である。これに反して、専制政体においては、ただ一人が、法律も規則もなく、万事を彼の意思と気紛れとによって引きずって行く』。これこそ、私が各政体の本性と呼ぶところのものである」(モンテスキュー:51頁)とする。
 このように、モンテスキューは最高権力(=主権)が、人民の全体にあるか一部にあるか、それとも一人にあるかを基準に、共和政体と君主政体を分ける。さらに、共和政体は、人民が全体として最高権力をもつときを「民主政」、最高権力が人民の一部の手中にあるときを「貴族政」とよぶ(モンテスキュー:52頁)。また、「君主政体」と「専制政体」については、いずれも最高権力の保持者が一人である点で共通しているが、前者は制定された法律によって統治するが、後者はただ一人の意思と気紛れによって統治する点で、その本性が異なっている(モンテスキュー:70-71頁)。つまり、ここにいう「君主政体」は「立憲君主制」を意味するといえる(モンテスキュー:51頁,52頁,70-71頁)。
 ところが、今日行われている、政体を共和制と君主制に分類する際の基準は、モンテスキューの政体分類基準と必ずしも同じではない。こんにち一般に大統領職が存在する国を共和制、国王・女王・天皇など君主の存在する国を君主制として政体を分類しているが、この分類の基準は、国家を対外的に代表する存在という意味での国家元首が大統領であるか君主であるかによる分類と考えられ、モンテスキューの分類とは異なり、最高権力(主権)の保持者とは一致しない。なぜなら、わが国のように、国民主権に立脚する君主制があり、君主主権であっても君主の権能が憲法で大幅に制限された立憲君主制(*3)が一般的であるからで、そのような国家は、主権の帰属から見れば君主政体であり、かつ主権の行使の点では民主政体であるといえるからである。
 このように、現代国家では主権の帰属とその行使が必ずしも一致せず、モンテスキューの政体分類をそのまま適用することは適切ではない。むしろ国際関係においては、誰がその国家を代表する国家元首であるかという観点から、国家元首が大統領か君主かという事実に即して、前者を共和制、後者を君主制と、単純に形式的に分類することが実際的であり、かつ実用的であると考えられる。

 さて、ここで、君主制について、補足しておきたい。君主制といえば、一般には特定の一つの家系に属するものが王位を世襲により継承する世襲君主制を想起するが、君主制の分類原理として王位に就く者を決定する方法によって分類する観点からは、世襲によらず選挙によって王位継承者を決定する選挙君主制という類型がある(イエリネク:邦訳554頁以下)。選挙君主制では、被選挙人が一定の家族の成員に限定される場合もあれば、限定されない場合もあり、被選挙人が一定の家族に限定される場合は「選挙君主制と世襲君主制の混合形態」であり、マレーシアとサウジアラビアにその例がある(榎原猛:37頁)。サモアの政体の検討にあたり、この類型の存在には、特に留意する必要があると思われる。

3.太平洋島嶼諸国の政体

(1)独立時における国家元首の地位についての議論
太平洋島嶼諸国の国家元首については、ガイ(Y.P.Ghai)教授とコットレル(J.Cottrell)教授による『太平洋における国家元首-法的憲法的分析』(“Heads of State in the Pacific-A Legal and Constitutional Analysis”,USP,1990)の研究がある。以下、同書に即して議論を整理していく。
 同書によれば、太平洋島嶼諸国の国家元首に関する憲法規定は多様性であるが、このような多様性を生んだ背景には、①旧宗主国の伝統に由来するもの、②土着の伝統と組織に由来するもの、および③その両者の混合したもの、の3つがあるとされる。そして、独立を控えた時期における国家元首の形態と本質についての議論は、多くの場合、論争的であり、実際、いくつかの点で、より一層重要で本質的な問題である政府形態(system of government)の問題を上回る激しい論争が、国家元首について展開されたといわれる。
 こうした逆説的な議論が発生したのは、政府構造の十分な複雑さを把握することができない一般国民(時にエリートを含む)が、国家の形式的かつ象徴的局面に固執したからで、この傾向は、多くの太平洋のコミュニティでは(そして、実際は、宗主国によって)、儀礼、先例、および階層が強調されることで疑いなく強化された。
 そして、西サモア(現サモア)では、国家元首の形態と本質に関する議論が、憲法制定会議が直面したすべての問題の中で最も困難な問題であった。というのも、国家元首の地位は、その最もセンシティブなレベルで、すなわち最高位の伝統的称号であるタマアイガ(tama‘aiga)との関係で、サモアの慣習と衝突したからである。(2頁)
 このように、太平洋島嶼諸国において、国家元首をいかに定めるかの議論は、独立にあたって最も重要な論点であり、とりわけサモアにおいては最大の困難な問題であったことが指摘されている。

 

(2)太平洋島嶼国の政府形態
 同書では、太平洋島嶼諸国における政府形態(government system)の分類について、行政部と立法部の関係に着目して分類することが有益であるとして、この基準によって、議院内閣制のウエストミンスター型と大統領制のワシントン型に分類する。行政権は、議院内閣制型では合議体である内閣に、大統領制では国家元首である大統領にある。一般に、議院内閣制では国家の首長(head of state)と政府の首長(head of government)が分離され、大統領制では両者が大統領に一元化される。
 しかし、太平洋島嶼諸国では、例外がある。ナウル、キリバス、マーシャル諸島では、議会制大統領(parliamentary president)型で、国家元首と政府首長が同一人であるが、政府システムの本質は、大統領というよりも議会制民主主義(議院内閣制)で、行政権の真の担い手は大統領ではなく内閣であり、政府の存続は議会の信任に依拠している。アメリカ統治下から独立しながら議院内閣制をとるマーシャル諸島を除き、すべての太平洋島嶼諸国は、旧宗主国の政府形態を移入している。(6-7頁)
 そして、サモアに言及した部分では、西サモア(憲法制定時の国家元首亡き後)とバヌアツは、選挙元首(elected head of state)を有し、共和制的ウエストミンスター型(“republican Westminster”system)と呼ぶことができるとしながら、「西サモア憲法のどこにも「共和制」(republic)という表現は使用されていない」、との記述が見られる。(7頁)
 また、クック諸島憲法について述べた部分では、「共和制の西サモア憲法に、そして女王陛下の代表の地位は、西サモアの国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マロ(O le Ao o le Malo)の地位に極めてよく似ている」(5頁、下線部引用者)として、サモアを共和制に分類しているかのような記述も見られ、「共和制的ウエストミンスター型」と分類している意味は、どちらかといえば共和制に重心を置いた表現のように思われる。
 ところが、ここで注意すべきは、この分類は行政部と立法部の関係に着目した分類であり、国家元首の要件によるものではないという点である。すなわち、国家元首が議会によって選出されるという方法の点で、議会選出の大統領を擁する共和制の国々に近いとするもので、世襲という被選任資格要件については考慮されていない。

4.サモアは君主制か共和制か

(1)学説の見解
 ここでは、二つの学説の見解を紹介する。いずれもが、1990年代の前半に書かれたものである。

1)ガイ(Y.P.Ghai)教授とコットレル(J.Cottrell)教授の見解

 ガイ(Y.P.Ghai)教授とコットレル(J.Cottrell)教授による前掲書では、次のような記述が見られる。

「君主制か共和制かの選択の余地のあるところでは、その選択は多くの考慮に導かれた。独立を強調する意思の強いところでは、西サモアのように共和制が示唆された。共和制の方向へとの意図したもう一つの考慮は、同じくサモアで現れたよう に、伝統的な権威である酋長制(chieftaincies)を認める必要であったからである。西サモアは、強い、国家的な酋長制(“national”chieftaincies)をもっていた。そしてその権威と権力は歴史的に一致してきたところであり、このことは国家元首は単なる名目上の存在を越えたものであるべきことを示唆していた。西サモア憲法は、それ自身、国家元首の就任資格を四大王家の家系の首長に制限していないが、独立時の国家元首を二大王家の首長を共同元首と定め、一方が亡くなった後は、残った元首が終身元首となると定めた。これは、西サモア社会において、それら首長が享有してきた卓越した地位と敬意を認めるためであった。」(9頁・下線部引用者)

「西サモアでは、独立の際に共和国になったが、誕生したばかりの国家が、独立以前の政府で行政経験のある2人の人物の経験を利用できるように、共同国家元首の仕組みをおいた。これは純粋な儀礼的権能ではなく、2人の国家元首にいくつかの行政権限を与えるためであった。」(11頁・下線部引用者)

 以上の記述から、この見解はサモアを共和制と把握していることが窺える。ここでは、伝統的な権威と権力を持った存在を国家元首として戴くことが共和制の主たる意図であり、独立時の国家元首の選任にあたっては、それ以前の行政経験を有していることを理由として、四大家系のうちの2人を共同国家元首としたもので、伝統的首長の地位に対する敬意を認めたとはいえ、それは二義的なものであると解されている。そして、世襲の地位であるか否かは、考慮の外にある。

 

2)マイケル・ナツミー(Michael A. Ntumy)教授の見解
 次に、マイケル・ナツミー教授編の『南太平洋諸島の法システム』(Michael A. Ntumy, ed., South Pacific Islands Legal Systems, University of Hawaii Press, 1993)の中の記述を紹介する。

「19世紀に国のリーダーシップをめぐる闘争は、ドイツ及びニュージーランドの統治下で終息させられ、唯1人の最高位の酋長すなわち君主の概念は成立しなかった。長年の政治の中で、4つのタマアイガ(tama‘aiga)(字義は「主要家系の息子」)の称号、すなわち、マリエトア(Malietoa)、ツプア・タマセセ(Tupua Tamasese)、マタ‘アファ(Mata‘afa)、およびツイマレアリ‘イファノ(Tuimaleali‘ifano)の4つの称号があった。ファウツア(fautua)の地位が当時の最高位のリーダーたちのため にドイツによって創設され、ニュージーランド統治下で独立の準備が行われているときにタマアイガの地位にあった2人が最終的に最初の共同国家元首となった。」(397頁)

国家元首の地位が最高位の伝統的称号であるタマアイガ(tama‘aiga)保有者に留保されているか否かという疑問は、解消されていない。国会(Lagislative Assembly)は決議によって自ら適切と考える国家元首の資格を要求することができるが、これまでそのような決議はされていない。国家元首は、新たに創設された栄誉称号 オ・レ・アオ・オ・レ・マロ(O le Ao o le Malo)をもち、その地位はそれ以前から存在するすべての称号とは区別される。」 (401頁・下線部引用者)

以上から、この見解は、サモアにおいては国の唯一の君主という概念は成立に至らず、4つの有力な酋長家系のうち独立当時に最高位の称号を有していた二大家系のリーダーが共同国家元首に選任され、サモア語で“O le Ao o le Malo”と表現される国家元首の地位が最高位の栄誉称号となったもので、国家元首は最高位の伝統的称号保有者に限られるか否か、という疑問が依然として存在し、国家元首の資格を定めることができる国会は、これまでこの点について決議を行っていないと述べ、特定の家系の者が国家元首に就任してきた事実を根拠に、君主制といわないものの、君主制的な要素をもつ伝統的首長制を基礎とした国家元首、と把握していることがここに窺える。いうまでもなく、この見解はサモアを共和制と見ていないことは確かである。

(2)主要諸国等の認識
 ここでは、サモアと関係の深い諸国の中から、アメリカ、ニュージーランド(NZ)、オーストラリア、およびイギリスの各政府外務担当省のサモアの政体関連の認識を示す見解を、各国政府のホームページから拾ってみたい。

 

 1)アメリカ国務省(*4)
 政府(Government)の標題の下に、次のような記述が見られる。  「議会制民主主義と“ファア・サモア”(サモアの伝統的慣習)の混合形態で、国内の部族的リーダーシップと国家の議会制が混合したシステム(Mix of parliamentary democracy and “Fa’a Samoa” (Samoan traditional custom), a system that blends local tribal leadership with national parliamentary system.)」。
 また、以前には「議会制民主主義と立憲君主制の混合形態(Mix of parliamentary democracy and constitutional monarchy.)」と記載されていたこともある(2008/03/21)。

 

 2)NZ外務・貿易省(*5)
 政治システム(Political System)として、「ウエストミンスター型内閣政治による議会制民主主義(Parliamentary democracy with a Westminster-style Cabinet government)」と記述。

 

 3)豪州外務・貿易省(*6)
 政治概観(Political overview)として、「サモアは安定した議会制民主主義である。サモアの憲法および政治システムはサモアの伝統と文化を実質的に考慮している(Samoa is a stable parliamentary democracy. Samoa’s constitution and its political system take substantial account of Samoan traditions and culture.)」と記述。

 

 4)英国外務・コモンウエルス省(*7)
 政治(Politics)として、「サモアはイギリス型内閣政治に基づく議会制民主主義で、サモアの慣習を考慮して修正されたもの(Samoa has a parliamentary democracy based on the UK-style cabinet government, modified to take account of Samoan customs.)」と記述。

 

 以上の見解は、いずれも立法部と行政部との関係に着目した政体の分類であり、国家元首の地位と権能による分類ではない。また、ここに紹介した分類の他に、国家元首に着目した政体の分類は見られない。
 なお、南太平洋大学(USP)法学部のデータベースのサモア政府システム情報(Paclii(*8))では、サモア政府(GOVERNMENT OF SAMOA)について、政府(Government)の標題の下に「共和制(Republic)」とだけ記載されている。ところが、国の政府(National Government)の行政部(Executive Branch)中の国家元首の説明では、「1962年1月1日から、二人の伝統的な王が、憲法で指名され、その職を共同で保持した(Head of State: O le Ao o le Mal-from 1 January 1962, 2 traditional kings, nominated by the Constitution, held the office jointly)」として、「伝統的な王」(traditional kings)という記述がみられる。
 また、サモア政府広報局(Press Secretariat)は、O le Ao o le Malo を「儀礼的大統領」(ceremonial president)と表現しているとの情報(*9)もあるが、未確認である。

 

5.結論

 最後に、以上の検討と考察をもとに一応の見解を披露し結びとしたい。現在のサモアの政体については、君主制と共和制の政体分類からは、明確にいずれとも分類できない。しかし、独立時の共同国家元首の時代(1962/01/01-63/04/05)から、独立時の国家元首のうちの一人が引き続きその地位にあった時代(1963/04/05-2007/05/11)は、特定の家系の者を国家元首と定めた憲法規定が効力を持った時代であり、世襲による地位に基づいた国家元首で、その地位が終身であったことから、その政体は君主制(立憲君主制)であったと考えられる。
 2007年6月15日以降は、終身ではない任期5年の議会選出の国家元首となったため、君主制の要素は憲法規定上はなくなった。ところが、サモア議会の議員の被選挙権は、人口の10%弱を占める「マタイ」(matai)の称号を有する者に限られる一種の貴族政であり、その議会で選出される国家元首の要件として、議員の被選挙権を有することが要求されている(憲法18条2項a号)。
 したがって、国家元首は、その数の多少は別として、特定の家系の者の中から選ばれることが憲法上の要請となっている。そして、実際は、2007年6月16日に任期5年で選出された初の選挙国家元首は、初代国家元首の子息であり、5年任期を終えた後、2012年7月に再選され、現在も国家元首の地位にある。このような事実から見ると、現在も最高位の称号をもつ二大家系に属する者の中から国家元首が選出されるというサモアの伝統・文化に即した憲法慣習が成立していると見ることもできる。
 よって、現在のサモアの国家元首も、その地位の点から見て、大統領というよりも君主に近い存在であると考えられ、国家形態としては立憲君主制の一形態である選挙君主制に近いと判断できるが、憲法の文言において共和制および君主制を示すいかなる文言も使用せず、国家元首は“O le Ao o le Malo”であるとするサモアにおいては、君主という用語の使用を回避せざるを得ず、「選挙元首制」とでも称する他ない、独自の伝統文化と融合した君主制と共和制の中間形態の政体ということになろう。

 

太平洋島嶼国の政治制度の基本データ-

 

参考文献
・イエリネク(邦訳)『一般国家学』学陽書房、1974年。
・榎原猛『君主制の比較憲法学的研究』有信堂、1969年。
・建林正彦・曽我謙悟・待鳥聡史『比較政治制度論』有斐閣、2008年。
・モンテスキュー(邦訳)『法の精神(上)』岩波文庫、1989年。
・山川雄巳『政治学概論[第2版]』有斐閣、1994年。
・Y.P.Ghai,J.Cottrell,Heads of State in the Pacific-A Legal and Constitutional Analysis,USP,1990.
・Michael A. Ntumy, ed., South Pacific Islands Legal Systems, University of Hawaii Press,     1993.
また、上記表の作成に必要な憲法条文は、次の文献およびホームページを参照。
・Don Paterson, Selected Constitutions of the South Pacific, Ijals, 2000.
・矢崎幸生編著『ミクロネシアの憲法集』暁印書館、1984年。
・萩野芳夫、畑博行、畑中和夫編『アジア憲法集【第2版】』明石書店、2007年
・PacLII Databases, http://www.paclii.org/databases.html

*****************************************************************************

(*1) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/(2012年8月15日現在)
(*2) ここでは1962年の独立時のテキストによる。その後、何度かの部分改正を経て今日に至っているが、基本原理に変更はない。
(*3) 2010年の憲法改正後のトンガもこの例に含まれる。東 裕「トンガ王国憲法改正(2010年)の要点-国王・内閣・国会-」(「パシフィックウェイ」通巻137号,7-11頁)参照。
(*4)  http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/1842.htm (2012/02/01更新、2012/08/25閲覧)    http://www.state.gov/outofdate/bgn/samoa/93209.htm(2008/03/21更新、2012/08/25閲覧)
(*5) http://www.mfat.govt.nz/Countries/Pacific/Samoa.php(2012/08/25閲覧)
(*6) http://www.dfat.gov.au/geo/samoa/samoa_brief.html(2012/08/25閲覧)
(*7)http://www.fco.gov.uk/en/travel-and-living-abroad/travel-advice-by-country/country-profile/asia– oceania/samoa/?    profile=politics(2012/08/25閲覧)
(*8) http://www.paclii.org/ws/government.html(2011/12/02閲覧)
(*9) http://en.wikipedia.org/wiki/O_le_Ao_o_le_Malo(2012/08/26閲覧)


刊行書籍のご案内

太平洋諸島センター

Copyright © 一般社団法人太平洋協会 All Rights Reserved.