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145-フィジー総選挙・2014・雑感

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フィジー総選挙・2014・雑感

 

東  裕(近大姫路大学教授)


国際社会注目の総選挙

 2014年9月17日、フィジーで8年ぶりの総選挙の投票が滞りなく実施された。即日開票され、バイニマラマ党首のフィジーファースト党が単独で過半数の32議席(全50議席)を獲得した。民主的正統性と正当性を備えたバイニマラマ首相が誕生した。今回の総選挙は8年ぶりの民主政復帰のための総選挙ということで、海外からも注目された。わが国のマスメディアも相当な関心をもって現地取材に臨んだようだ。筆者も電話取材を受けたり、現地で日本人記者と意見交換する機会もあった。わが国での報道を振り返ると、比較的客観的な報道がなされているとの印象を持ったが、中には相変わらずフィジーに対する無知や偏見が垣間見られるような記事があった。
 日本の大新聞や通信社の配信するフィジー情報は、たいていがシドニー発である。フィジーの現地取材を踏まえず、オーストラリアの新聞社や放送局の報道をもとに記事が作成されているのだろう。オーストラリアの目から見たフィジーが出来上がる。その顕著な例が、2009年4月11日以降、バイニマラマは「首相」なのか「暫定首相」なのか、ということだった。
 2006年12月のクーデタ後、2007年1月5日にバイニマラマは「暫定首相」(interim Prime Minister)に任命されたが、この暫定政権は2009年4月10月のイロイロ大統領による憲法破棄とともに終焉を迎え、同時に同大統領が自らを新たに国家元首に任命することで新体制が成立し、翌11日にバイニマラマは新たに「首相」(Prime Minister)に任命されたのだ。
 しかし、オーストラリアやニュージーランドの報道ではこれ以降も常に暫定首相を意味するinterimという形容詞がつけられ、この度の総選挙までその形容詞が消えることがなかった。これは明らかに、オーストラリアやニュージーランドのマスメディアの主観に基づく報道であったといえる。憲法が廃止され、民主的正統性をもたない首相はあくまで暫定首相ということなのだろう。いずれ総選挙を実施して民主政に復帰することを目標とする内閣だったから、その意味では選挙管理内閣といえなくもなかった。だから選挙管理(caretaker)の意味を込めて「暫定」という形容詞を関したのかもしれない。が、いずれにしてもオーストラリアのメディア独自の解釈による主観的報道であったことに違いはない。

 もちろん、フィジー国内の報道には暫定を意味する形容詞などなく、ただ「首相」とだけ記され、それはフィジー政府の立場でもあった。しかるに、わが国のマスメディアの報道では首相の前に「暫定」の二文字が常に付されていた。それがわが国の新聞社や通信社の独自の解釈に基づくものならともかく、オーストラリアの報道の受け売りであることは間違いないだろう。なぜなら実際にフィジーに関心をもち日頃から取材をしているような記者の存在など聞いたこともないからだ。現地取材とまでいわずとも、せめてフィジー発の情報くらいは見て欲しいものである。そうすればもっと違った目でフィジーを見ることができるだろうに、その程度の関心すら持ち合わせた記者はいないのだろうか。これは何もフィジーだけに限ったことではなく、太平洋島嶼国一般にいえることであろうが。

ブラックアウトと投票日の静けさ

 筆者は、9月14日(日)に日本を発って仁川経由で翌15日(月)の朝ナンディに到着し、午後スバに入った。16日(火)から投票日の17日(水)をはさんで18日(木)まで滞在し、翌日19日(金)朝ナンディを発ち帰国の途に就いた。短期間の滞在であったが投票日前後のスバの雰囲気を肌で感じることが出来たのは大きな収穫であった。
 投票日の2日前の15日午前7時30分から投票が終了する17日午後6時までブラックアウト(blackout)として選挙運動とメディアによる選挙絡みの報道が規制されることになったため、スバの市街は選挙運動の喧噪とは無縁の平穏な日常で、以前経験した2001年8月の総選挙の時のような各政党のごとの支持者がたむろする道端の選挙運動小屋(shed)も見られず、あと数日早く来ていればと悔やまれた。
 このブラックアウトは、投票日直前の2日間と投票日当日の3日間の間、有権者の冷静な判断を求めるために設けられたものであった。投票日間近の選挙運動や報道などが有権者の急激な投票行動の変化を引き起こしかねないことはよく知られているし、投票日当日の選挙運動が禁じられていることはわが国でも同じである。ところが、この措置を捉えて「南太平洋のフィジーの軍事独裁政権は15日、8年ぶりの民政移管に向けた総選挙(一院制、定数50)を17日に控え、新聞やテレビの選挙報道を禁じる報道管制を導入した。違反者には最大5年の禁固刑を科す。選挙には民主化進展を国際社会にアピールする狙いもあったが、投票を前に言論抑圧体質が露呈した格好だ」(シドニー時事・2014/09/15-17:47)との報道があったのには驚いた。選挙のひと月前には「裕福なインド系にフィジー系が不満を強めたことが、クーデターの遠因になった」(シドニー時事・2014/08/17-14:35)とオーストラリアのメディアでも見かけない独自の分析をしていたのにもびっくりした。冒頭で触れた偏見や無知の一例である。

 投票日の17日は休日とされたため、スバの市街はほとんどの商店は店を閉め、街角のあちこちに婦人警官を含む2人組の警察官が警備に当たっていたが、特に緊張感もなくのんびり静かな光景があるだけだった。午前中にスバの中心部にある投票所に出かけてみたが、入場を待つ各民族入り交じった人々が一本の列をなしている風景がみられた。フィジー選挙で初めて、民族別の有権者名簿が廃止され、誰もがフィジー人として単一の名簿に登載されて投票する方式が採用されたことによる大きな変化であった。

新選挙制度と即日開票

 同日の投票終了後、即日開票が行われ、地元のテレビ局フィジー・ワン(Fiji One)で開票の模様が深夜まで放送された。スタジオでは政治学者のスティーブン・ラツバ(Steven Ratuva)博士(前南太平洋大学、現オークランド大学)の解説を交えて選挙結果の分析が行われていた。何人かの党首も登場していた。翌日の朝には大勢が判明し、バイニマラマ首相率いるフィジーファーストの過半数確保が確実になった。かつては選挙結果の確定におよそ1週間程度を要していたのに比べると、隔世の感があった。これは選挙制度と投開票方式の変更によるものであった。(表1参照)

(表1)選挙制度・投票方式比較(2006年・2014年)

 この(表1)で分かるように、選挙制度と投票方式が変更された結果、開票集計作業が短時間で済むようになった。以前の方式であれば、各地の投票所で投票された票が中央の開票所に集められ、そこで開票作業が行われ、その作業も優先順位を付けて投票された票については複雑な票の割り振りが必要で、しかもそれが民族別議席とオープン・シートにそれぞれ投票されるという煩雑さがあった。しかし、今回の制度では、候補者の番号が印刷された投票用紙に〇又は×又は✓をつけるだけで、もちろん民族区別がなくなり各投票所ごとに開票されるため集計が短時間のうちに終了したのである。
 なお、各候補者の番号については、氏名・顔写真とともに掲載されたブックレットが用意されていたが、各政党は選挙運動期間中に新聞広告を出し、自党の候補者の番号と氏名と写真を掲げ、とくに党首の顔と番号は大々的に宣伝していたので、有権者には十分周知されていた。

フィジー・選挙関連

 非拘束名簿式比例代表制で議席配分はドント式である。すなわち、有権者は候補者個人を選んで投票し、その候補者に投ぜられた票はその候補者の所属政党の票として集計される。これはわが国の参議院議員選挙の比例代表でも採用されているが、わが国の場合は候補者個人だけでなく政党名での投票も認められている点が異なっている。そして、各政党ごとの得票数のうち有効投票数の5%に満たない得票の政党があれば、その政党へは議席が配分されない。これはドイツでも採用されている方式で、あまりにも小さな破片政党を認めることで極端な小党分立となるのを避けるためのものである。今回の選挙では、PDPとFLPにこの5%条項が適用されたため、この条項がなければそれぞれ獲得できたであろう1議席を得ることが出来なかった。ちなみに、インド系労働者の支持を中心に長い歴史をもち、2001年には政権を獲得したFLP(フィジー労働党)は議会政治の場から姿を消した。その支持者の多くが、フィジーファースト支持に回ったということである。
 さて、ドント式の配分方法であるが、まず各政党ごとの得票数を÷1、÷2、÷3,・・・と順次整数で割っていく。FijiFirstを例にとると、得票数293,714を1で割って293,714、次に2で割って146,857、3で割って97,904・・・と、なる。こうして各政党の得票数を割った数のうち、大きいものから順に全議席数の50番目まで選んでいく。そうすると、(表2)のように、FijiFirstが32議席、SOLDEPAは15議席、NFPは3議席となる。
 こうしてフィジーファーストが単独で過半数の議席を獲得する結果となったが、投票日の直近の世論調査では、第一党となることは確実でも過半数割れとなりかねない可能性も示されていた。テバット・タイムス(The Tebbutt-Times)が、9月1日から4日にかけて1,137人を対象に行った世論調査では、首相に望ましい人物としてバイニマラマを挙げるものが49%という結果が出ていたからである。2番目にはロ・テイムム・ケパ(SOLDEPA)が20%の支持を集めていた。

 この世論調査は、5月と8月にも実施され、バイニマラマはいずれも60%以上の支持を集めていたが、9月の調査では10%以上もの急激な支持率の低下を示したのである。これにより、連立政権の可能性が取り沙汰され、場合によってはフィジーファーストを除く諸政党の連立、そしてクーデタの発生・・・という観測もないではなかった。しかし、奇妙なのはこの世論調査の結果であった。2番目のケパは前回8月の支持率が17%でそれが9月に20%に上昇したわけであるが、これだけではバイニマラマの急激な支持率の低下を説明できない。かといって、筆者はこれ以外の結果を入手できず、また、バイニマラマの急激な支持率低下をもたらすような事件も思い当たらなかった。投票を間近に控えた時期の世論調査であり、調査方法か結果の操作があったのではないかと勘ぐりたくなるような数字であった。

(表2)主要政党別得票数と議席配分

選挙結果の意味するもの―共産党一党独裁国家による民主化推進

 今回の選挙結果の意味するものは、第一にバイニマラマ首相のこれまでの民主化政策をはじめとするいわゆる「軍事独裁政権」下の諸政策が国民の支持を得たことである。第二に、フィジーファーストの過半数議席に貢献したのがバイニマラマ候補に投ぜられた圧倒的多数の支持票(202,459票、FijiFirst票の68.93%、投票総数の約41%!)であることは、バイニマラマ首相個人が疑いなく絶対的な信任を獲得したということである。そして、フィジー国民は、さらに今後4年間、バイニマラマ首相に国家の運営を委ねる決定をしたのである。
 2006年のクーデタ直後から、フィジー国内では一貫してバイニマラマ支持が多数を占めてきた。選挙によらずとも、国民の支持が多数に上ることはフィジー訪問者にもはっきりと感じ取れたものである。事実、2011年にオーストラリアのシンクタンクであるローウィー研究所(Lowy Institute)がフィジー国内の主要都市で実施した世論調査では、そのことが具体的数字の裏付けをもって証明されたこともあった。しかし、周辺先進民主主義国はその事実に目を閉ざして、民主的方法によらない政権交代を非難し、ひたすら総選挙の実施という「民主化」要求を突きつけ制裁措置を科してきたのである。
 そのような厳しい国際環境の中でもフィジーを支援してきたいくつかの国々があり、その最大国が中国だった。内政不干渉と開発途上国の盟主を旗印に、フィジーを支援し多額の経済援助を行った。そのことでフィジーは国際的な孤立化を免れるどころか、むしろ国際社会における地位を向上させたとも評価できる。G77の議長国にもなった。そして何よりもその経済援助によって国内のインフラ整備をはじめとする国民生活の基盤整備を実行し国民生活の向上を実現したのである。

 これが、バイニマラマ「軍事独裁政権」を国民多数が一貫して支持してきた理由の1つであったことは否定できない。そして、バイニマラマ首相が民主化の「ロードマップ」(2009年)で示した政策の実現を可能にし、最終目標である全国民が平等な政治的権利をもつ選挙制度を定めた2013年憲法の制定とその憲法の下での2014年の総選挙実施という「公約」の実行と実現につながったのである。共産党一党独裁国家の覇権主義が、フィジーの民主化に多大の貢献をしたというパラドキシカルな構図がここにある。

これからのフィジーとわが国の対フィジー政策

 2014年12月25日、ラツー・エペリ・ナイラティカウ(Ratu Epeli Nailatikau)大統領は、クリスマス演説の中で、「過去8年間フィジーの立場を理解し支援してくれた国々に対し、フィジーはその諸国の援助により独立国家の基礎を再び確固たるものとし、2014年9月の総選挙を経て民主政に復帰できた」(Fijilive,12.25)として、中国をはじめとする「軍事独裁政権」下のフィジーを支援し続けた諸国に対して感謝の意を表明した。その一方、バイニマラマ首相は、「軍事独裁政権」下のフィジーに冷淡だった日本に対し、昨年12月の衆議院議員選挙で大勝した安倍晋三首相の再選を祝福し、日本との関係をさらに拡大・強化していく意向を表明した(Fijilive,12.27)。
 ここには、過去8年間その依存を深めてきた中国との関係を確認するとともに、周辺先進民主主義諸国による制裁の包囲を飛び越えて外交関係の多様化を図ってきたフィジーのしたたかな外交姿勢が窺える。バイニマラマ「軍事独裁政権」下で国内の統治を強化し国際社会での地位を向上させ民主政に復帰したフィジーが、太平洋島嶼国のリーダーとして日本および中国との関係をさらに強化させることでオーストラリア、ニュージーランドとの関係を相対的に低下させ、今後のアジア太平洋地域における存在感を高めるべく船出する姿勢を示したものといえよう。
 第7回太平洋島サミットを5月に控えた今、わが国の政策担当者に望みたいのは、このようなフィジーのメッセージを率直に受け止め、事実を基礎にした正確な分析によるフィジー認識を形成し、対フィジー政策、ひいては対太平洋島嶼国政策を立案し実行することである。残念ながら、ここ数年間のわが国の対フィジー政策は、フィジー側から見ればオーストラリア追随と捉えられ、同じ太平洋島嶼国の友人としての信頼を毀損することになったのではないかとの危惧の念をぬぐい去ることが出来ない。今後は、関係の修復に努めるだけでなく、同じ民主主義の価値観を共有するアジア太平洋地域のリーダー国として対等なパートナーシップを構築することではないだろうか。大いなる期待を込めた要望である。 以 上


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