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143-ロヤック大統領への不信任案採決をめぐる議会の混乱

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ロヤック大統領への不信任案採決をめぐる議会の混乱

-マーシャル諸島における過去の不信任案提出事例との比較を中心に-

研究員 黒崎岳大


1.はじめに

 2014年2月12日から16日にかけて、マーシャル諸島共和国のクリストファー・ロヤック大統領はフィリップ・ムラー外相など多くの議員官僚を引き連れて日本を訪問した(1)。マーシャル諸島大統領の単独公式訪問は2008年4月のリトクワ・トメイン大統領以来である。今回の実務訪問では、14日に天皇皇后両陛下との御会見に引き続き、同晩には安倍総理大臣との間で首脳会談が行われた。同首脳会談では、両国間の経済協力および人的交流の強化について話し合われたが、とりわけ両国の関係強化の象徴として、来年1月には現在マジュロに設置されている出張駐在官事務所を正式な大使館に格上げし、常駐の特命全権大使を派遣することが約束された。また、マーシャル諸島は戦後ビキニ環礁・エヌエタック環礁で67回の米国による核実験が実施されたことで知られているが、15日には同国大統領としては初めて広島を訪問した。来る3月1日はビキニ環礁でのブラボー核実験から60周年という記念すべき年でもあり、同実験では第五福竜丸が被曝したこともあり、多くの国内外メディアが大統領の広島訪問を注目した。東日本を中心に記録的な大雪が襲う日本列島を縦断し、各地での公式行事を積極的にこなしていくロヤック大統領の姿は、通常の実務訪問という面だけではとらえられない、むしろ日本との関係に対する強い期待の表れとしてみることができるだろう。
 何故ロヤック政権は、ここに来て日本に対する外交的アプローチを強めてきたのであろう。この問題を考えるためには、2012年1月の同政権誕生から今日までの約2年間にわたるロヤック大統領による政権運営、とりわけ外交交渉の足跡について振り返ってみることが必要である。特に、昨年10月に議会に提出されたロヤック大統領に対する不信任案の提出までの経緯、およびその採決をめぐる与野党の攻防は、マーシャル諸島における政局に対して外交問題がいかに大きな影響を及ぼしているかを考える上で、極めて興味深い事例といえるだろう。
 本稿では、2011年の総選挙から13年10月の不信任案の採決までのおよそ2年間のロヤック大統領の政権運営に注目し、不信任案が提出されるにいたった経緯及び同案の否決までの与野党内での攻防について時系列的にまとめていく。とりわけ、同不信任案の提出理由にもつながった、マーシャル諸島の2大ドナー国である米国と台湾(中華民国)との外交関係をめぐる危機を取り上げ、その背景にある問題(現政権の主要閣僚と米国との険悪な外交関係及び2012年9月にマジュロで開催された太平洋諸島フォーラム(PIF)年次総会における台湾政府関係者への不適切な対応)の面について指摘していく。さらに、不信任案否決となった経緯については、過去の5回の不信任案のケースと比較して、不信任案が大統領を中心とした与党陣営に与える影響について、そのカギとなる条件を示しながら分析していく。

 

2.大統領不信任決議案提出への経緯

 

(1)ロヤック政権の特徴と問題点
 2012年1月、新大統領に選出されたロヤック大統領は、1986年に行われたアイリンラプラプ選挙区の補欠選挙にて選出されて以来、18年間にわたり国会議員として活動してきたベテラン議員の一人である。長兄であるアンチュア・ロヤックはクワジェリンやジャルートを含む西部のラリック列島の4大伝統的首長の一人であり、他の兄弟も伝統的首長評議会の議長やアイリンラプラプ環礁地方政府市長を務めるなど同国における有力な一族であった。
 一方で、マーシャル諸島の政治においては、1996年末に同国建国の父とも言われ、カリスマ的なリーダーシップを発揮していたアマタ・カブア大統領が急逝して以降、2000~07年までのケサイ・ノート大統領の時代を除き、議会内で多数を占める政党が存在しないため、結果として過半数に達しない二大政党のいずれかと、その中間に位置する少数グループまたは無所属議員による連立政権が樹立されてきた。そのため、経済政策の失敗や米国との外交問題をめぐる行き詰まりなどをきっかけに、しばしば議会内での混乱が生じ、たびたび大統領への不信任案が提出された。
 ロヤック政権の議会内での基盤は、イマタ・カブア元大統領が影のリーダーとなり、旧来の伝統的首長階級の影響力が強い地域出身の議員からなる「我が祖国党」(AKA)である。大統領選出選挙の際は、この最大与党に、ノート元大統領を支持するグループ(ノート派)や、マーシャル諸島の有力一族の一つでもあるハイネ家出身の無所属議員からの支持も取り付けることに成功した。その結果、2012年の大統領選出選挙では、現職のチューレーラン・ゼドケア大統領を支持する「我が政府党」(KEA)を21-11の大差で破った(2)。国民の間でも、かつてのアマタ・カブア政権時代のような強力なリーダーシップを発揮して、国内外の問題に取り組む新たな指導者の誕生を求める空気が漂っていた。こうした中で2012年1月に誕生したのがロヤック大統領である。
 本格政権の誕生の期待が強いことを認識していたロヤック大統領は、組閣においても積極的にベテラン大物議員や各省次官経験者を大臣に任命した。財務大臣にはマーシャル諸島でもっとも成功したビジネスマンとしても有名なデニス・モモタロウ元資源開発大臣を任命した。また同国で最大の官僚と予算を動かすことになる教育大臣には、教育次官を経験し、同国で初めて博士号を取得したヒルダ・ハイネ議員を任命している。その他にも、マイク・コーネリアス元運輸通信大臣を資源開発大臣に、リエン・モリス元内務大臣を運輸通信大臣に、ヒロシ・ヤマムラ元内務大臣を公共事業大臣に次々と任命していくなど、重厚内閣という名に相応しいメンバーが揃えられた。
 その中でも、ロヤック大統領の政権を支えるツートップという存在として大臣に選ばれたのが、トニー・デブルム大統領補佐大臣とフィリップ・ムラー外務大臣である。
 トニー・デブルム大統領補佐大臣は、ロヤック政権における事実上の司令塔の役割を果たしている。デブルム大臣は、これまでの政権においても、与党議員として閣内にいる際は外務大臣や財務大臣などの主要大臣を歴任してきた。そのため、ときには大統領よりも存在感を発揮し、それがきっかけで大統領との政権運営で対立し更迭されるという事態が生じることさえあった。また、野党においては、政権与党以上に国内外の問題に精通していることもあり、クワジェリン環礁米軍基地使用交渉問題や核実験被害補償交渉で、政権与党が十分な対応ができない場合は急先鋒として担当大臣たちを糾弾し、また議会内で混乱が生じ政局となると、少数グループの取り込みに向けて裏工作も辞さない対応を見せるなど裏に表に活躍してきた。ロヤック大統領との関係で言えば、クワジェリン米軍基地使用権交渉の住民側交渉人として闘ってきた同士であり、実際の閣内では副大統領級の役割を果たしている。
 外交の面から見ると、数少ない中国政府とのパイプを持っている人物でもあり、大臣就任後しばしば中国本土を訪問している(3)。また、若い頃から政治の表舞台で活躍してきたこともあり、ミクロネシア地域の政財界のリーダーたちとの間で幅広いネットワークを作り上げている(4)。特に、ロヤック政権下では、気候変動・環境問題を所管内に置いていることから、この分野で欧米のメディアから積極的にインタビューを受けるなどして、ミクロネシア地域はもちろん、PIF域内においてリーダーとしての存在感を示そうとしてきた。さらに、ディーゼル等の価格高騰に伴うエネルギー問題について、クワジェリン環礁において、海水温度差発電(OTEC)による新エネルギー開発を推進すべく日本や米国などの研究機関と積極的にコンタクトを取り続けている(5)。
 一方、外務大臣に就任したフィリップ・ムラーは、アマタ・カブア大統領時代には最年少で外務大臣に就任し、同政権の多方面外交を支えた人物である。1999年の総選挙で落選をしたものの、長年の外交手腕をかわれ、国連大使に任命され、小島嶼国の代表として活躍した。2011年の総選挙で議員に返り咲き、ロヤック政権の誕生とともに、定位置と言える外務大臣のポジションに復帰し、外相や国連大使時代に培ってきた周辺諸国とのネットワークをいかんなく発揮することが求められた。
 このように、ロヤック政権のツートップとして活躍が期待された二人の大臣であるが、その一方で両者に共通する懸念材料も少なくなかった。一つは、汚職問題を含むブラックな噂が付きまとうということである。とりわけ、両者が各々財務大臣・外務大臣を務めたイマタ・カブア政権下では、両者を中心とした閣僚の汚職問題が非難され、結果として透明・説明責任を訴えた野党に政権を奪われ、両者とも落選するという事態を受けている。
 また、両者ともあまりにもリーダーとしての意識が強すぎるため、独断とも言える政治手法が見られるところが多い。その結果、周囲からは「我がまま」あるいは「利己主義」というイメージが付きまとい、そのことが国内外における信頼感を失わせることにつながっている。
 そして、実際の政治姿勢の上での懸念材料は、二人とも米国との関係は良くないということである。両者が外務大臣を務めた時期は、マーシャル諸島と米国との二国間で常に険悪なムードが漂ってきた時代であった。ムラー外相も就任時の地元紙からのインタビューで、米国との関係改善に取り組むと述べつつも、両国間に置かれた問題として、自由連合協定に伴う経済支援(コンパクト・マネー)をめぐる交渉や核実験被害者補償に関しては徹底的に協議していくと述べた。とりわけ、核実験被害者補償問題に関しては、「我々二国間の関係を取り組んでいくためには、マーシャル国民の抱えた核被害に伴う苦しみを決して忘れさせないことが必要だ」と主張したほどである。(Marshall Islands Journal (MIJ)、2012/01/27)

 

(2)米国政府との外交関係の悪化とPIF年次総会の米国代表格下げ問題
 このようにロヤック政権のツートップが積極的な外交を進める一方で、米国はロヤック政権に対して、政権樹立当初から好意的な姿勢を示さなかった。
上述の通り、従来からデブルム大臣やムラー外相が中心となった政権の場合には、米国との外交戦略において是々非々の姿勢で臨むという特徴が見られた。とりわけ、デブルム大臣の場合は、外相を務めた前期トメイン政権の際に、クワジェリン島の米軍基地における土地使用交渉やビキニ環礁核実験被害補償交渉で米国に対して強気の姿勢を示したことにより、米国・マーシャル諸島の二国間の関係は悪化し、米国からの支援プログラム等が滞る事態となった。ロヤック政権では、デブルム大臣は副大統領級の存在感を示していることから米国政府も警戒感を強めており、ロヤック政権の政治運営に対して当初から疑問を呈してきた。特に、コンパクト・マネーの使い道について両国の代表者が年に一度ハワイで話し合う共同会合(JEMFAC)においては、米国政府側はマーシャル諸島政府のプロジェクトの実施状況や監査報告の記載を取り上げ、米国側が期待する十分な成果や報告がなされていないということで会議が常に行き詰まり、両国間の関係は次第に悪化していった。こうした米国政府の交渉姿勢を、ムラー外相は就任当初から常に非難している。議会においてアービン・ジャックリック議員から対米政策に対する見解を求められると、同外相はコンパクト・マネーをめぐる協議などにおける米国の態度を「まるで信託統治領時代に戻ってしまったようだ」または「(米国は)我々の権利を奪い取っているかのようだ」と批判している。(MIJ2012/01/27)
 こうした中、マーシャル諸島政府が米国政府に対して公然と非難する姿勢を示したのは、PIF年次総会に対する米国の派遣ミッション代表の格下げ問題である。前年のクック諸島で開催されたPIF年次総会には米国政府の代表としてヒラリー・クリントン国務長官が出席した。マーシャル政府側は、米国との間で自由連合協定を結んでいるマーシャル諸島での年次総会の開催ということを考えれば、当然米国の代表としては、後任のジェン・ケリー国務長官が出席すると予想していた。ところが、米国政府は、ケリー長官に代えて、サリー・ジュエル内務長官を派遣することを決めた。このことに対して、ムラー外相はジェエル長官のマジュロ訪問直前に、「ジェリー内務長官への変更は、島嶼国に対する『あからさまな侮辱である』」と公に非難した。このことに対して、MIJは、同非難に対する明国政府からの公のコメントはなされなかったものの、地元新聞MIJの社説では、米国政府を怒らせるに十分な非難となったと指摘している。(MIJ 2013/10/25)

 

(3)太平洋諸島フォーラム年次総会での中台関係をめぐる混乱
 マーシャル諸島と米国との不協和音が水面下で指摘されてはいたものの、それ以上に大きくクローズアップされたのは、第44回PIF年次総会の際の、マーシャル諸島政府が、友好国の台湾政府に対して行った侮辱的行為であった。
2013年9月3日から7日にかけて、首都マジュロでPIF年次総会が開催された。同年次総会がマーシャル諸島で開催されるのは、1996年以来であり、同会合に向けて国内は道路の改修や街中の清掃など数ヵ月前から大規模なインフラ整備などの準備が行われた。
 同年次会合の中心的テーマは、気候変動問題であった。これは環礁国で構成されている低島嶼国である同国としては、地球温暖化を原因とされる海面上昇の影響を受けやすいというイメージもあり、またフォーラム域内にも数多く環礁国を抱えていることから、同地域におけるリーダーシップを示す意味でも非常に有意義なテーマであった。同テーマに関しては、気候変動・環境問題を所管しているデブルム大臣も積極的に会合に関わり、同年次総会では「気候へのリーダーシップに関するマジュロ宣言(マジュロ宣言)」が採択された。
 9月6日には、フォーラム域外国対話が開催され、日、米、中、韓、英、仏、EU、インド、マレーシア等が出席した。マジュロ宣言を受けて、ロヤック大統領及びデブルム大臣より気候変動分野について各国の取組を加速化すべきこと等を発言、これを受け、域外国各国からも太平洋島嶼国への支援・協力実績について発言がなされた。
 とりわけ注目されたのは、年次総会開催国であるマーシャル諸島と外交関係のない中国の参加であった。PIF加盟の太平洋島嶼国14ヵ国は、現在8ヵ国が中国と、6ヵ国が台湾との間で外交関係を締結している。2つの中国を認めない現状において、同年次総会の際に大きな問題となるのが、同会合の機会に実施される台湾と6ヵ国の同盟国との会合である。マーシャル諸島は中国の参加を促しつつも、外交関係を持つ台湾政府に対しても敬意を表することが必要という難しい対応を求められることになった。
 こうした中で、事件はまず9月4日に起きた。国際コンベンションセンター(ICC)で開催される気候変動会合が行われる数時間前に、同会合に参加する中国政府の高官より、ICCのロビーに掲げられた台湾の国旗が描かれた両国友好を記念する銘板を覆い隠すように命じられ、すぐに実行された(写真)。ICCは台湾政府の支援で建設された会議場であり、この銘板を覆い隠すということは台湾政府に対する重大な侮辱につながる行為であった。この行為が判明するとすぐに台湾政府及びマーシャル国会議員団より政府への非難の声が上がった。その結果、銘板を覆った布はすぐに剥がされたものの、一方で気候変動会合に参加する予定であった中国政府高官はホスト国マーシャル諸島に対する不快感を示すべく、同会合への参加を辞退した。

 こうしたICCの銘板に覆いをかぶせる/剥がすという争いは翌日、翌々日も続いた。とりわけ、域外国対話が開催された6日は、さらなる混乱が生じていた。PIF年次総会では、通例として、中国は域外国対話に参加することができるのに対して、台湾は参加することが許されていなかった。その代わりに、国交を結んでいる6ヵ国との間で域外国対話終了後その日のうちに開発パートナー会合を開催することが慣例となっていた。今回の年次総会でも、マーシャル諸島政府は台湾政府高官に域外国対話終了の2時間後にICC開発パートナー会合を開催すると断言していた。駐マーシャル台湾大使は、前日、前々日の「銘文隠し事件」が気になり、当日朝ICCの正面玄関のロビーに来ていた。
 一方、中国政府高官との間では、域外国対話が行われるICCに入る際には、今度は台湾国旗が掲げられた銘文を見ないですむように、会場への裏口から入るように話し合いが行われていた。これに対して、当日一部の中国政府高官は正面玄関から入場してきた。この時、台湾大使を見かけて、すぐにマーシャル諸島外務省に対して、違反行為だと非難した。マーシャル外務省職員は台湾大使に対して、外務大臣の命令ということでその場を立ち去ることを要請した。台湾大使は侮辱的行為であると感じたものの、それを受け入れた。その後、ICCでの開催が予定されていた開発パートナー会合は急遽、同国最大のホテルであるマーシャル・アイランド・リゾート内の会議場に変更となった。こうした会議場変更の背景には、中国政府からのマーシャル政府に対する圧力があったものと推測される。

 

3.大統領不信任決議をめぐる議会の混乱

 

(1)大統領不信任決議案提出の動き
 大統領不信任案の動きが表面化したのは、9月末から10月初めにかけて大統領や外相たちの外遊期間に伴う議会の休会中においてであった。
 マジュロでのPIF総会が終了後、ロヤック大統領一行は次々と外遊を重ね、国際社会における存在感を示そうとしていた。9月下旬にはニューヨークを訪問し、国連でマジュロ宣言を軸とした気候変動問題に積極的に取り組んでいく演説を行い、潘基文国連事務総長に同宣言を手交した。また現在PIFを資格停止中であるフィジーのバイニマラマ首相とも会談し、マーシャル諸島・フィジーの二国間の協力をより一層進めていくことを約束し、またマジュロとナンディ間の航空路線の整備を通じて太平洋諸島間の南北の交通の結びつきを強めることを協議した。
続いて、10月1日には、大統領、外相、大統領補佐大臣一行は、パラオの独立記念式典に参加するためパラオを訪問した。ここでは、日本から訪問していた城内実総理特使(前外務大臣政務官)と会談し、気候変動問題や漁業問題での日本政府の協力の要請とともに、来年度にマジュロの日本国大使館を格上げし、特命全権大使を派遣することをめぐる会談が行われた。
 このように大統領一行が日本との間で外交成果を上げる取り組みをしている一方、休会中の議会内外で、大統領不信任案が提出されるという噂が出ていた。野党KEAのアービン・ジャックリック代表は、「それはもはや噂ではなく、我々グループは議会が開会したらすぐにでも不信任案を提出する」と話していた。(MIJ2013/ 10/04)
 既に昨年以来何度も野党議員からは不信任案提出をめぐる動きが出ていたが、過半数17議席を取る勝算がないことから、表面上は落ち着いていたが、実は、PIF年次総会の裏側では、野党側を中心とした議員たちの間で、不信任案提出に向けた準備が水面下で進んでいた。
 不信任案の可決をめぐって鍵を握ることになったのが、ケサイ・ノート元大統領が中心となった少数グループの動きである。同グループは5人ではあったが、ノート元大統領を除いて、現政権において閣僚や国会議長・副議長ポストに就いていた。2011年の総選挙では、ケサイ・ノート率いるこのグループが、ロヤック大統領の選出ということでAKAと政策合意がなされた結果、現政権が誕生したことから、大統領も同グループの主要メンバーを徴用せざるを得なかった。すなわち、ノート派は、ロヤック政権にとっては政権を維持していく上での重要な連立パートナーであった。
 一方で、ノート元大統領は前回の総選挙後の連立交渉で、大統領の座をロヤック大統領に譲ったものの、ひそかに自らが大統領のポストに返り咲くことを虎視眈々と狙い続けていた。2007年の総選挙で大統領の地位をリトクワ・トメイン元大統領に奪われて以降、大統領不信任案が議会に提出されるたびに、次期大統領候補に挙げられ、また自らもその意欲を示してきた。現野党陣営は、もしノート派が不信任案に同調してくれるのならば、次期大統領にノート大統領を推薦するという動きを示し、ノート派の与党連立からの離脱に向けて揺さぶりをかけていた。
 その一方で、ロヤック大統領への不信任案が可決された場合には、次に誰が大統領に選出されるかということが同時に大きな問題となった。MIJなどの報道では、意外にもノート元大統領やジャックリックKEA代表が選出されるという可能性には懐疑的で、むしろ妥協策としてドナルド・カペレ議長やジョン・シルク前外相が選出される可能性を示唆していた。この理由としては、KEAの重鎮であるリトクワ・トメイン元大統領の意向が大きく左右していると考えられる。彼は、不信任決議可決後の次期大統領に関しては、公然と「大統領経験者は好ましくない」と述べていた(MIJ 2013/10/25)。

 

(2)大統領不信任案提出の理由
 残り6日間の会期を残して休会していた議会は、10月30日に再開された。本来はこの6日間で2015年度の予算案の可決に向けた委員会を実施することが中心テーマであった。
 11月7日、野党グループ側4人(アービン・ジャックリック、ブレンソン・ワセ、トニー・ムラー、ジョン・シルク各議員)の連名で、カペレ議長に大統領不信任案が提出された。
 提出理由は以下の通りである(MIJ 2013/11/15)。
 ①第44回PIF域外国対話における在マーシャル台湾大使に対する屈辱的な対応にみられる、マーシャル政府の台湾政府に対する非外交的な待遇措置
 ②米国との政府間の関係悪化及びコンパクト信託基金の強化に向けた対応策の欠如
 ③フォーラム会合開催のための特別口座を開設するという、違憲行為にも抵触しかねない不法行為
 ④マーシャル漁業資源局への特別会計資金を一般会計のために2百万米ドルに動かすようグアム銀行に指示したとする大統領及び財務大臣の不法行為
 ⑤公共事業省からの建物の強度などにおける否定的な報告にもかかわらず、政府公舎として1.5百万米ドルの建物を購入したという行為。
 ⑥ケニア・ナイロビから半官半民企業マーシャル航空の旅客機を購入したこと及びその際に同航空会社の理事会の許可なくケチョ・ビエン大使が購入契約を結んでしまったことへの質疑に対する政府側の拒否
 ⑦憲法8条第10項に違反する経過ファンド(lapse funds)の不法使用
 ⑧マイクロネシア・シッピング・コミッションへのマーシャル諸島政府の会員であることへの費用対効果分析の実施に対する政府の拒否
 ⑨マーシャル諸島国民の保健衛生に関する損害および政府の政策における権力の乱用に関する説明責任、透明性、良い統治の欠如。
 とりわけ、今回の大統領不信任案で注目されるのは、マーシャル諸島の外交上重要に位置にある二つの国、米国と台湾に対する現政権の不手際に対する批判という点であった。国連や周辺諸国との間でリーダーシップを示しながら次々と示していた外交の分野で成果を出そうとしていたロヤック大統領にとっては、マーシャル諸島の外交上非常に重要な関係を有し、国家運営上切っても切り離せない主要ドナー国である両国との関係の悪化が示されることは、現政権にとって極めて大きな痛手となると予想された。

 

(3)不信任案採決の結果
 2013年11月14日、曇り空の下、ロヤック大統領に対する不信任案の投票が行われた。当日は、採決の結果を知りたいと国会議事堂には一般市民はもちろんのこと、学生たちも駆け付け、一般市民用傍聴席に座りきれず、床にまで溢れかえるほど人々が集まっていた。議会の周辺や入り口付近では、市民たちは「我々は信頼できるリーダーが必要だ」というプラカードを持って議員が議事堂内に入っていくのを見ていた。
 議会内の一番高い席には、ロヤック大統領の長兄である、アンチュア・ロヤック伝統的大首長が陣取り、議場に入ってくる議員たちを見つめていた。議場を訪れた人々の印象としては、その姿は心配そうに見つめると言うよりも、「俺の弟に恥をかかせることは許さない」というように睨みつける様子であった。
 カペレ議長の宣言で10時に議会が開会すると、まずチューレーラン・ゼドケア前大統領とブレンソン・ワセ元財務大臣が、前週に不信任案が議会に提出されてから1週間議会が休会されていたことは憲法違反ではないかという疑問が出された。その後カペレ議長の下、不信任案賛成・反対事由を述べる発言が行われた。賛成側からは、ジョン・シルク前外相、リトクワ・トメイン元大統領、アービン・ジャックリック前議長が、反対側からはムラー外相、ハイネ教育相、ロヤック大統領が述べた。賛成側に立ったジャックリック議員は、ロヤック大統領のリーダーシップは、透明性が欠如しており、国民のためにそれが活かせないのならば辞めるべきだと指摘した。これは、暗に政権のツートップであるデブルム大臣とムラー外相に対して向けられた非難でもあった。
 また、同じく不信任賛成事由を述べたトメイン議員は、自らが大統領であった時に提出された不信任案は、「私自身に向けられた個人的な感情に基づくものであった」と当時不信任案を賛成する立場にあったロヤック大統領に対して、公私を分けられない人物であるというイメージを植え付けようとする批判を行った。これに対して、ロヤック大統領は、「私に対して向けられた批判は、それこそ私個人を対象にした、痛ましい申し立てであった」と述べ、国民に対しては、「今回の不信任案は私が大統領に就任して以来の根深い感情が背景にあることを理解してほしい」と述べ、今回の不信任案が野党側の感情的なものであり、ロヤック政権の運営の問題点を指摘する野党側の訴えは、「根拠のないこと」(ムラー大臣)であることを印象づけた。
 その後、ロンゲラップ出身のケネス・ケディ議員より、全ての議員による無制限の質疑応答を実施することを議長に対して提案されたが、カペレ議長は大声の怒号による政治的混乱を生むだけだとして、両陣営から3人ずつ意見を述べるにとどめた。
 ここで、ノート派の一人であるリエン・モリス議員より投票に移ることが提案された。野党側のシルク前外相からは、本投票を秘密投票で実施することが提案された。ここで、秘密投票の有無をめぐり挙手による採決が行われ、秘密投票は否決され、議長による点呼による投票となった。
 
表1 ロヤック大統領に対する不信任案採決の結果

 投票に際しては、ルービン・ザカラス前副議長、マットン・ザカラス前資源開発大臣、ジャック・アディング前財務大臣、そしてトメイン大統領が棄権した。その結果、一度はKEAに寝返るのではないかと予想されていたノート派及びハイネ一族などの無所属グループは不信任案反対に回り、結果として20-9で否決された(表1)。投票が終わると大統領は議会閉会が宣言し、4時間半に及ぶ採決は終了した。
 圧倒的多数で否決されたにもかかわらず、野党陣営のジャックリック議長は、「KEAのメンバーは現政権が崩壊するまでに政権を取り戻そうと、以前よりも強力になってきている」と威勢よくインタビューに答えていた。
 これに対して、不信任案否決から数日後、インタビューを受けたロヤック大統領は、次のように語った。「PIF総会の成功や他の事業が行われた後すぐに、不信任決議が行われた。(不信任案を提出した議員は)政権がどんなことをしたとしても満足しないだろうし、関係なかったに違いない。彼らはただ権力が欲しかっただけなのだ。」(MIJ 2013/11/22)

 

4.考察-これまでの大統領不信任案との比較

 

 マーシャル諸島の政治制度は、大統領制を導入しているものの、むしろ日本や英国の議院内閣制度に近い。大統領は総選挙で選ばれた33人の国会議員の互選により選出され、大統領は議員の中から10人の大臣を選出する。そのため、議会内で過半数を獲得することが政権の安定に不可欠である。言い換えれば、議会内の構成によっては大統領への不信任案が可決され、選挙とは別に政権交代が起きる可能性を孕んでいる。一方で、議会で与党が過半数を獲得していれば、大統領は与党が多数を占める議会により選出されることから、次期総選挙までの期間は、予算を含めた法案は否決されることはなく、安定した政権運営を行っていくことができるのである。
 1979年に現行の憲法が成立して以降、17年間の政権を維持してきたアマタ・カブア大統領の時代は、まさにこの議院内閣制的な政治制度を上手く利用して、安定政権を樹立してきた時代である。当初は各地域の伝統的首長を背景に選ばれた各選挙区の議員との間で議会内での対立構図は見られたものの、1980年代以降は、有力官僚や地域の若手政治家を次々と対立する議員の地元から立候補させ、当選後大臣に任用するなど自らの基盤をしっかり固めていった。その結果、アマタ・カブア大統領を支持する与党(コーカス派)は常に議会の3分の2近くを占め、同大統領の「独断」とまで言われた政権運営を支えた。このことが、マジュロを中心とした都市部の積極的開発を可能とする、いわゆる「開発独裁」的な状況を生み出していった。すなわち大統領が議会をコントロールできた時代と言える。
 一方で、カリスマ的な指導者であったアマタ・カブア大統領亡きあとの17年間は、むしろ議会が大統領をコントロールしてきた時代ということもできるだろう。ノート大統領の8年間を除き、議会内で安定的に過半数を占める大政党が存在しなかったため、常に大統領を選出する上で、議会での多数派工作が繰り広げられた。ノート大統領の時代ですら、常にトメイン大統領グループが離脱する可能性を示唆しており、与党・統一民主党が一枚岩ではないことが指摘されていた。こうした中で、野党陣営が現職の大統領を揺さぶり、議会内での指導権を握るための最大の武器が不信任案の提出であった。
 大統領不信任案が議会に提出されたのは、1998年にイマタ・カブア大統領に対して提出されて以降、今回が6回目である(表2)(6)。この間、実際に不信任案が可決されたのは2009年のトメイン大統領の時の1回だけである。また回数以外にも、不信任案をめぐってその前後の政局に与えた影響について考えた場合、いくつかの特徴を見出すことができる。

表2 マーシャル諸島における過去6回の内閣不信任決議をめぐる経緯

 一つは、可決・否決はともかく、野党側は与党陣営を揺さぶるために提出していることもあり、不信任案提出前後に与党内での分裂の動きが見られることが多い。唯一、その動きが見られなかったノート大統領に対して採決された不信任案も、野党側は与党の分裂を促すために起こしたものであり、この時は与党が過半数を確保していたことから、あっさりと否決された。むしろこのときは不必要に不信任案を提出した野党への非難の声が高まり、これがノート政権への信任として国民に意識づけることができたため、2003年の総選挙での与党勝利につながった。
 その一方で、これまで唯一大統領不信任案が可決された、トメイン大統領への3度目の不信任案の際は、野党側が水面下でトメイン政権の与党に属していたノート元大統領のグループを寝返らせる戦術を進めていた。大統領が外遊中にノート元大統領に近づき、不信任採決で賛成に回るよう強く働きかけていた。その見返りに、不信任案可決後に行われる大統領選出選挙でノート元大統領を担ぎ出すことも約束した。このノート派の造反に加え、大統領自身の指導力不足を問題視し始めた無所属議員たちの賛成もあり、初めての不信任可決につながった。ただし、ノート派とAKAの間の裏工作は無所属議員にはかえって疑問を与えることになり、むしろマジュロの伝統的首長であるゼドケア国会議長を掲げたトメイン大統領のグループを支持する方が正当というイメージを作りにつながった。
 また、結果として不信任が否決されたケースであっても、イマタ・カブア大統領への不信任案のケースのように、与党内を分裂させて、次期総選挙で過半数割れに追い込み政権交代を成し遂げることができるなど、与党側の分裂を促すために十分な効果を与えることにつながるケースも見られる。
 このように、大統領への不信任案をめぐる顛末を考える上では、次の3つの点から検討することが重要となるだろう。一つは、大統領不信任案が提出された前後の与党内部の構成である。大統領不信任案が提出されたとしても、与党内部が安定して大統領を支える状況ができていれば、粛々と否決し、むしろ提出した野党側に非難の矛先が向けられる。次に、大統領不信任案を提出した際の大統領自身に対する評価である。
 無所属議員を含め大統領への不信任案への可否を決める上で、大統領自身の仕事ぶりやリーダーシップに対する評価ということが大きく左右される。そして、最後に大統領への不信任案が可決した際の、次期大統領をめぐる具体的なイメージの有無があげられる。この点で言えば、唯一不信任案が可決されたリトクワ大統領のケースは、賛成に回ったノート派にとってはノート大統領がその具体的な次期大統領像としてイメージされていたのだろう。ただし、一緒に賛成に回った無所属議員たちは、ノート元大統領ではなくゼドケア大統領がイメージされていたのであろうが(7)。
 この3つの面から見た場合、ロヤック大統領に出された不信任案否決の経緯はどのように評価することができるのであろう。まず与党内部の構成としては、表面上は、ロヤック政権は安定多数にあったと言える。ただし、実際にはロヤック大統領は出身母体であるAKAと、ノート派及び無所属議員による連立政権であり、この両派の動き次第では与党は少数与党に転落する恐れがある。その意味では、必ずしも安定した与党という状況ではないと言えるだろう。ただ、これは言いかえるとノート派と無所属議員たちがともに造反した時に少数与党になるということでもある。仮にノート派が裏切ったとしても、無所属グループの多くが不信任案に反対したならば、同案は否決される。そのような大きなリスクのある状況で、大臣のポストを失ってまで寝返るという選択は極めて難しいだろう。ジャックリック議員が、不信任案否決後、現政権が崩壊する前にKEAをより強大にしていくと述べていたが、これは言いかえれば現時点では政権にとって代わるだけの力は得ていないということであろう。
 次に、大統領自身に対する仕事ぶりやリーダーシップに対する評価という点では若干説明が必要となる。マーシャル諸島の政治風土にもつながることではあるが、「大統領=イロージラプラプ(伝統的首長)」と捉える傾向が大きく関係しているものと考えられる。イロージラプラプは絶大な権限を持っており、自分の支配下にあるアラップなどの平民を排除することもできる。一方でアラップは、通常はイロージラプラプの意見を尊重しなくてはならず意見に反する場合は排除されるものの、イロージラプラプの行動があまりに疑問が多く、さらに代わりとなるイロージラプラプ候補が存在する場合は、アラップたちによる合議の下で廃位することができる。こうした伝統的政治風土に照らし合わせ、「大統領=イロージラプラプ」と看做して考えると、これまでの大統領が一度目の不信任案では否決されたという事実と共通することがわかる。今回のロヤック大統領の場合も、多くの議員にとっては政権における問題点は、デブルム大臣とムラー外相に負うところが多く、ロヤック大統領自身に対する批判は、彼らを徴用しているということ程度で、取り立てて大きなミスのないは指摘されない。
 さらに、仮にロヤック大統領に対する不信任決議が可決された場合でも、そのロヤック大統領にとって代わる決定的な大統領候補の欠如ということも指摘できる。前述の通り、地元新聞報道でも、ポスト・ロヤック大統領をめぐりノート元大統領、ジャックリック前議長、カペレ議長、シルク前外相などの様々な名前が挙がったものの、その人物も決定的な大統領候補として野党側が柱とするまでには至っていなかった。ポスト・ロヤック大統領の人物像に対する欠如している状況では、ロヤック大統領を辞めさせるまでの環境はできていないと考えた方が適当である。結局そのことが、無所属グループたちを政権につなぎ止めることにつながった。

 ただし、今回の不信任案の否決が今後もロヤック政権の安定ということにつながるわけではない。不信任案を提出されたイマタ・カブア大統領は、可決はされなかったものの、次期総選挙で政権を失っている。このことは、つまり一度は不信任案を乗り切ったとしても、不信任案を採決されたと言う事実が政権に対しては大きなダメージとなった。ノート大統領の時のように、米国との関係良好化による自由連合協定の改定の成功というような政権浮上につながる具体的な成果がないと、政権は結局総選挙もしくは不信任決議の再提出を通じて政権を失うことにつながる。こうした点から見ると、マーシャル諸島の政治における不信任案はいわば政権運営に対するイエローカードという役割を担っているのであろう(8)。

5.結論にかえて~今次訪日との関係を踏まえて~
今回のロヤック大統領への不信任案をめぐる議会内の動向は、図らずも現在のマーシャル諸島の議会内の構図、および大統領を支える与党内の構図を確認することができるということにつながった。すなわち、ロヤック大統領を支える連立与党の構図は決して安定した政権地盤とは言えないものの、大統領に決定的な問題点が指摘されていない現状においては、すぐに不信任案が可決されるような状況にはない。むしろ国会議長のポジションを含め、連立パートナーを主要閣僚に任用している現状においては、簡単に造反をさせないような形を作り上げているという意味では、それほど不安定な政権というわけでもなさそうである。
とはいえ、今回の野党側が提出した不信任案は、全く意味のない動きであったというわけでもない。ロヤック大統領に対しては決定的な問題点を指摘するには至ってないものの、同政権を牽引するツートップであるデブルム大統領補佐相及びムラー外相に対しての評価は議会内でも問題視されている。そのため、二人の任命権者であるロヤック大統領に対しても、少なからず責任はあるわけで、そのことを印象付けるという意味で議会内外にアピールしたことにはつながったと言えるだろう。とりわけ、米国と台湾という同国の主要トップドナーの二国に対する微妙な関係を生み出した不適切な外交姿勢が見られるムラー外相の今後の動き次第では、ロヤック大統領への評価にも直接つながりかねない。
こうした外交上のミスに対して、ここに来てもう一つの重要なドナー国としてクローズアップされたのが、日本である。現在のロヤック政権の重要ポストを担っている閣僚たちのほとんどは、1980年代から90年代前半の日本のODAにより同国のインフラ整備が積極的に進展した当時の大臣及び各省次官であった。とりわけ、アマタ・カブア及びイマタ・カブア両政権で外相・財相を務めたトニー・デブルム大統領補佐相は、米国との外交関係は是々非々での対応を見せてきた半面、日本によるODAプロジェクトの実施を極めて高く評価している。今回のロヤック大統領による訪日ミッションも、ロヤック大統領にとって安定的な政権運営を担う上で、日本のプレゼンスを再評価し、国家運営における不可欠なパートナーとして関係強化を図ろうしていると現れとみることができるだろう。
日本にとっても、パラオやミクロネシア連邦と共に、マーシャル諸島との関係強化は、海洋を通じた隣国との友好関係を重視する現政権の外交戦略にとっても重要であり、来年度中の在マーシャル日本大使館の格上げという形にもその姿勢がはっきりと示されている。2014年は、日本とミクロネシアの関係を考える上で、新しい時代の幕開けとなるべき年という意味で、極めて重要な年になると言えるだろう。

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1)今回の大統領ミッションには、ムラー外相以外にも、ヒロシ・ヤマムラ公共事業大臣、ジャック・アディング議員、クリストファー・デブルム大統領補佐官、トーマス・マディソン港湾局長、ブレンダ・マディソン政府観光局長が参加した。
2)KEAは、ノート大統領時代の与党である統一民主党(UDP)とゼドキア大統領支持者によって設立された政党である。なお、ノート派が自らのグループをUDPと継承していると主張している場合もある。
3)マーシャル諸島は1990年から1998年まで中華人民共和国と国交を締結していた。特に国連加盟を念頭に中国との国交締結に向けて当時積極的に動いていたのが、デブルム大臣であった。
4)現在のミクロネシア3国における政財界のリーダーたちの多くは、ミクロネシア連邦のチューク州にあるザビエル高校で教育を受けており、その時の仲間意識が強い。デブルム大臣も、モリ・ミクロネシア連邦大統領やレメンゲサウ・パラオ大統領とは同高校の先輩後輩の関係にあたる。
5)デブルム大臣は、政権交代前の2011年10月に密かに日本を訪れ、OTEC技術の第一人者である上原春男・元佐賀大学学長(NPO法人海洋温度差発電推進機構理事長)との間で、クワジェリンでの同発電開発の協力を進めることで同意するなど、日本とのエネルギー分野での協力関係強化のために積極的な行動を行ってきている。
6)実際に不信任案が議会に提出されたのは6回であるが、トメイン大統領に対して最初に出された不信任案は途中で撤回されているので、実際に採決されたのは今回で5回目である。
7)実際に不信任案およびそれに続く大統領選出選挙に臨んだ無所属議員たちに筆者がインタビューをした際、大統領や大統領候補者たちのイメージについて尋ねた。その際、多くの議員たちは、地元支持者たちと話し合う中で、ノート大統領は「過去の人(リーダー)」というイメージを持っており、他方でマジュロのイロージラプラプでもあったゼドケア大統領にかつてのアマタ・カブア大統領の再来を期待したと述べている。
8)ロヤック大統領自身も今回の不信任案採決という事態に対して、圧倒的多数で否決をしたものの、支持基盤の万全化を図るために様々な動きを見せている。今回の訪日ミッションに無所属のヤマムラ議員(ウトリック環礁選出)と今回の不信任案で棄権に回ったアディング議員(エヌエタック環礁選出・KEA所属)を同行したのも、核実験被害環礁出身であるとしているが、大統領による懐柔策の表れと見ることもできる。

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本稿の執筆にあたり現地情報については、マジュロ在住の水谷正孝在マーシャル日本国大使館専門調査員にアドバイスをいただくなど大変お世話になりました。ここに記して感謝いたします。また、本稿の内容を理解する上で、これまでのマーシャル諸島の政治の変遷についてまとめた拙稿『マーシャル諸島の政治史』(明石書店、2013年10月)を参照いただければ幸いです。


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