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クーデタと司法権-フィジー控訴裁判所判決をめぐって-

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クーデタと司法権
-フィジー控訴裁判所判決(01/03/2001)をめぐって-

苫小牧駒沢大学 国際文化学部教授
東  裕(ひがし ゆたか)
出所:苫小牧駒澤大学紀要第6号、2001年9月28日発行


目 次

  はじめに
1.控訴裁判所の地位
2.新体制成立の条件
3.控訴裁判断の偏向
4.むすびにかえて-司法権の独立と国家の独立


はじめに

 昨年(2000年)11月15日にラウトカ高等裁判所(Lautoka High Court)で1997年憲法は現在も有効であり、暫定文民政権の任命は違法であるとの判決が出された。この判決は、5月19日の文民クーデタ以来の一連の事件の結果発生した事態によって不利益を被ったとするある農民が、現在のフィジー憲法の地位についての判断を求めて提訴したのに応えたものである。原告の主張の要点はおよそ7点に絞られ(1)、それに対しラウトカ高等裁判所のゲイツ(Anthony Gates)判事は「宣言的判決」(declaratory orders)としてそれぞれの主張に対し判断を下したが(2)、そのうち政治への影響という点で次の3点が特に重要と考えられる。
 ① マラ大統領による非常事態宣言は、憲法の定める条件の中で厳格に宣言され、その結果「必要性の法理」(doctrine of necessity)の下で当初から有効性が認められる。
 ②1997年憲法の破棄は「必要性の法理」の枠内でなされたものではなく、その破棄は違憲であり効力を有しない。1997年憲法は現在もフィジーにおける最高かつ有効な法規である。
 ③大統領・上院・及び下院で構成されるフィジー国会は現在もなお存在し、5月19日現在及びそれ以前の在職者は依然としてその職にある。辞任したラツー・カミセセ・マラ大統領は大酋長会議によって指名された時のまま大統領職にあり、上院議員は依然として上院議員であり、選挙によって選ばれた議会のメンバーは依然として下院議員である。原状は回復される。国会は大統領の裁量によりできるだけ早期に招集されるべきである。
 すなわち、この判決の最重要点は、軍事政権による憲法破棄を違憲とし、暫定政権の行為の有効性を否定することで1997年憲法の有効性を確認し、その結果暫定政府の法的正当性を否定するところにあった。
 この判決に対し、暫定政府のアリパテ・ゲタキ(Alipate Qetaki)法務総裁(Attorney-General)は、政府側の提出証拠が不十分な段階で原告側の提示した証拠に基づいて判断されたものであるとして、「国民が必要としているのは真の知恵と成熟に基づいた判決であるが、この判決にはそれが欠けている」と非難し(3)、暫定政府はこの判決を「宣言的判決(確認判決)」であり法律同様の強制力を持たないとしながらも、判決の執行停止命令(stay order)を求めてフィジー控訴裁判所(Fiji Court of Appeal)に上訴した。その判決が2001年3月1日に出され、それがフィジー暫定政権のこれまでの政策を一気に転換させるものとなったのである。控訴裁判所が次のような判決を下したためであった。
 ①1997年憲法は現在もフィジー諸島の最高法規であり破棄されてはいない。
 ②国会は解散されていない。国会は2000年5月27日に6か月間停会された。
 ③1997年憲法の下での大統領職は2000年12月15日にマラ大統領の辞任が有効となったときに空席となった。憲法88条の規定に従って、副大統領が2001年3月15日まで大統領の職務を代行する。
 暫定政権はこの判決に異議を唱えたものの、結局この判決に沿う方向に政策を転換した。それはまず、5月30日の憲法破棄の時点に遡り、そこからの法的連続性を維持するという観点から、政権の合法性を確保するための手続きがとられることになった。
 3月14日に、ラツー・ジョセファ・イロイロ(Ratu Josefa Iloilo)大統領代行が暫定政権首相のライセニア・ガラセ(Laisenia Qarase)の辞任を受けて、5月30日の時点で首相職を代行していたラツー・モモエドヌ(Ratu Momoedonu)を暫定政権首相に任命し、イロイロ大統領代行の代行期限が切れるその翌日3月15日にイロイロがフィジー大統領の就任宣誓を行い、その直後にかれは下院を解散した。翌16日の朝には、ガラセが選挙管理内閣の首相として再び任命された。そして、総選挙は8月25日から9月1日にかけて実施されることに決まった。
 こうして、この控訴審判決は、2000年7月以来、新憲法の制定とその憲法の下での総選挙の実施という立憲民主制への復帰に向けて独自の努力をつづけてきたガラセ暫定政権のスケジュールを白紙に戻し、「強引」に2000年5月まで時計の針を押し戻したのである。判決の中で、法的判断のみを行い政治的判断を行うものではないと明言してはいるが、そのことがかえって言い訳めいて聞こえてくるようである。司法の衣をまとった政治、それも先進民主主義諸国の価値観の一方的押しつけのような、あたかも司法権による「植民地支配」といっても過言ではないような印象を受ける。
 このような問題意識から、控訴審判決の問題点を指摘し分析してみたい。

1.控訴裁判所の地位

 控訴裁判所の判決の要旨については、すでに別の機会に紹介した(4)。本稿ではそれをもとに要点を摘示しながらこの判決の問題点について考えてみたい。

 

(1)控訴裁判所の立場
 判決の冒頭で、司法機関としての裁判所の立場を次のように定義付ける。
 「司法裁判所として、その職務は法的問題の決定に限定される。我々は法的問題ではない問題、とりわけ政治的性格をもった問題について判決を下す権限も権威も備えてはいない。我々は事件の政治的メリットや知恵を考慮することなく、事件を実際に起こった事実と証拠に基づいて判断した。」(5)
 すなわち、事実と証拠に基づいて法的判断を下すものであって、政治判断を行うものではないことが宣言される。しかし、ここで「政治的性格をもった問題について判決を下す権限も権威も備えてはいない」とはいえ、文民クーデタに始まる一連の行為の中で行われた憲法の破棄という行為を法的判断の対象にし、憲法の有効性を判断することが、はたしてこの判決にいう「政治的性格をもった問題」に当たらないかどうか大いに疑問といわざるをえない。つづけて判決は、「我々の職務は1997年憲法がフィジーの最高法規としてなお存在しているかどうかを決することであり、憲法がフィジーにとって最善の憲法であるかどうかを決めることではなかった。憲法がなお有効であるかどうかを決めることは、法律問題としての裁判所のもつ純粋な法的機能であり、2000年5月29日にバイニマラマ軍司令官による憲法破棄の憲法的有効性を純粋に法的に判断するものである。」(6)とするが、このような法律判断を行うこと自体、「バイニマラマ軍司令官による憲法破棄」という法的問題を含んだ政治問題に介入することにほかならないのではないだろうか。
 そもそも、憲法が破棄され、その後暫定文民政権へ権限が委譲され、フィジーを平穏のうちに実効的に支配しているとみえることころに司法機関たる裁判所が憲法破棄についての法的判断を行いうる根拠は何なのか。言い換えれば、憲法破棄によって裁判所そのものの憲法的根拠が失われてしまっているのではないかとの疑問が呈せられて当然であろう。この点について判決は次のようにいう。

 

(2)裁判所の再設置
 「8月17日に裁判令2000年(命令第22号)(Judicature Decree 2000(Decree No.22))が布告され、7月13日に遡って施行された。これは、7月12日現在、最高裁判事、控訴裁判事、及び高裁判事の職にある者はその職を維持し、そして同命令はフィジー高等裁判所及び控訴裁判所を『再び設置』した。第8条2項は最高裁判事及び現在の高裁判事は忠誠宣言を、そして「以前フィジーにおいてそのような宣誓を行った者」については司法宣誓を要求されないと規定した。第13条2項は、控訴裁判事について同様の規定をおいている。スケジュールにおける忠誠宣誓及び司法宣誓は1997年憲法と同様ではなく、それらの中には裁判官は「あらゆる場合に憲法を支持する」という声明を含んではいなかった。第15条1項は、この裁判所を『フィジー共和国』の最終控訴裁判所とし、16条1項は1998年の最高裁判所法の廃止を定めている。」(7)
 すなわち、事実上バイニマラマ軍司令官による憲法の破棄以後もそれまでの裁判所の地位及び裁判官の職にほとんど変更がなく、暫定政権の「裁判令」(命令第22号)によって高等裁判所と控訴裁判所については、それらを「再び設置」すると宣言することで暫定政権は、両裁判所の組織と権限をクーデタ以前のままで、暫定政権の発足時点の7月13日に遡って認めたのである。ただし、最高裁判所についてはその廃止を決め、控訴裁判所を終審控訴裁判所として終審裁判所とする変更を行っている。(8)
 こうして判決の中で、控訴裁判所の権限に変更がなく、また最高裁判所の廃止に伴い最終審としての判断を行うことを明示し、この問題について判断することの正当性並びに判決の権威を強調している。

 

(3)戒厳令と憲法の破棄
 5月29日に軍司令官は憲法廃止命令(暫定軍事政権命令第1号(Interim Military Government Decree No.1))を布告するとともに、命令第3号(Decree No.3)で暫定軍事政府の樹立を布告し、その第5条2項でフィジー共和国の行政権は軍事政府の長たる軍司令官に与えられると規定した。命令第1号による軍事政府の樹立は戒厳令(Martial Law)の布告を含むと軍司令官は理解したが、このことについての宣言はなかった。しかしながら、6月11日の日曜に軍事評議会は「現在フィジーの人々に課されている戒厳令について説明するために」という公告を出し、その中で戒厳令について次のように述べた。
 「戒厳令は文民政府が公共の安全を維持できないときに軍事政府によって市民に課される一時的な支配であると定義されるだろう。戒厳令を宣言しそれを実施する権限は憲法から派生するだろうが、この場合戒厳令が宣言されるときにも憲法はその地位を維持する。我々フィジーの場合、憲法に戒厳令の宣言及びその実施規定がなく、それゆえ軍事政府は他の理由とともに、公共の安全と法と秩序を回復するためには憲法を排除することが適当であると判断した。」(9)
 ここに憲法破棄の直接の理由が戒厳令の布告と実施の必要にあったことが明らかにされている。「公共の安全と法と秩序の回復」が当時のフィジーにとっての最優先課題であり、そのためには戒厳令を布告することによって軍事政府が事態の収拾に当たることが必要であると軍当局は判断した。しかし、憲法には戒厳の規定がなく、憲法にその根拠を求めるわけにはいかない。憲法に戒厳の規定があれば、その規定に従って一時的に軍政に移管し、憲法の一時的停止を含むいわゆる委任独裁体制が成立する。それによって危機の収拾に当たり、平穏な状態の回復とともに再び通常の立憲民主制のプロセスに復帰する、というのが憲法で戒厳が規定されている場合のあり方である。しかし、戒厳の規定を欠くフィジー憲法の場合は、戒厳の法的根拠を超憲法的理由に求めざるをえず、それがすなわち「公共の安全と法秩序の回復」という「必要性」なのである。
ちなみに、この戒厳令下においても、次のような状態が見られたことが判決の中で語られる。
 「戒厳令が宣言されたあと、軍事当局は軍事評議会を設置し、命令によって支配している。戒厳令は軍当局に対し、最少の期間内に国を正常化するという目的を追求する際に、個人の権利を制限し、政府の武器使用を命じる権限を与える。当局は、この危機の間に文民を裁判にかける軍事法廷を特別に設置しないことに決めた。警察は通常の職務である法律の執行と捜査権を保持しつづけることを許され、裁判所はその権限を弱められることはなく、官僚機構はときに軍事当局から指令を受けつつ通常の機能を維持することを許された。」(10)
 すなわち、戒厳令下にあっても行政機構や司法機構がほぼ通常の機能を維持しつづけたことが指摘され、とりわけ裁判所の権限に変更がなかったことが3月1日の違憲判決の根拠となる、という逆説を生むのである。

 

(4)「必要性」と憲法秩序変更の成否
 「必要性に基づいた軍司令官による憲法破棄という法秩序の変更の試みが成功したかどうか」(11) が判決の焦点になる。つまり、憲法が破棄された後、以前の法秩序に代わって成立した新たな法秩序が有効に機能しているかどうかが問題になる。このことについては、さまざまな理論的定式があるが、控訴裁判所はそのいずれにも拘束されるものではないという立場を明らかにし、とりわけハンス・ケルゼンの理論については「ケルゼンの著作に過剰な影響を受けているように思える者もあり、この理論によるとあまりにも容易に権力の簒奪者にくみすることになる」として、その事実の規範力の理論への警戒をあらわにしている。そして、代わりに「多くの権威者は国際条約の草案の中にある基本的人権の強調という現在の傾向と、さらには現在の目的のためにより重要である1997年憲法を前に決定している」(12)として、「基本的人権の尊重という国際的な傾向」と「1997年憲法」を基準に据えて必要性を理由とする憲法秩序変更の試みが成功したかどうかを判断する。
 このような基準に基づいて裁判を行うこと、とりわけ破棄された憲法をもとに憲法秩序の変更が成功したか否かを判断することに根本的な矛盾を感じるが、控訴裁判所の見解によれば、戒厳令下においても裁判所の機能に変更はなく、その裁判所は破棄された憲法を根拠にその地位と権能が認められているものであるから、その裁判所の機能に変化がないということは、逆に憲法が破棄されていないことを示す証拠であるというのである。(13)

2.新体制成立の条件

 

(1)革命政府が法的正当性を獲得するための一般的条件
 判決では、1979年にグレナダで発生したクーデタの事例が検討され、この判例(Mitchell v Director of Public Prosecutions (supra), a decision of the Court of Appeal of Grenada)の中で援用された条件、すなわちクーデタによって樹立された新体制が国内的に法的正当性を獲得するためにの次の4つの条件が提示される。
 (a)革命が成功し、政府が行政上確固として確立され、対抗する政府が存在しないこと。
 (b)新政府の法が有効であり、人々が全般的にその法に従って行動していること。
 (c)そのような遵法行動は人々の自発的な受け入れと支持によるもので、単に強制や暴力の恐怖によるものではないこと。
 (d)体制は抑圧的で非民主的なものではないこと。
これらの条件のすべてが満たされない限り、民主国家における裁判所は革命政府を正当なものと宣言すべきではない(グレナダ高等裁判所のヘイネス(P.Haynes)判事の見解)とするのが「有効性のテスト」(efficacy test)である。こうした4つの条件が満たされたとき革命やクーデタという憲法外の方法によって成立した政府であっても正当性を獲得するのである。(14)この理論はおよそ事実の認定にかかわるものであり、一見客観的な基準であるようにも見えるが、裁判所と新政府の関係次第では事実認定が政治的に左右される可能性があることはいうまでもないだろう。そのことはひとまずおくとして、控訴裁判所は判決の中で、フィジーのコモンローの文脈の中では、次のような条件が必要だと考えるとして、「有効性のテスト」を下敷きとしながらも、次の9つの要件((a)~(i))を付した(15)ことは、いっそう厳格な条件を付し要件の明確化を図ったとはいえるが、実はそこに政治的意図が秘められているのではないかと疑われるのである。判決では「フィジーのコモンローの文脈では」として、フィジーの事情が考慮されたことが示唆されているが、ここでのフィジーの事情は、いずれも暫定政府にとって不利な条件設定につながるものではないかと疑わざるをえないのである。次にその条件を紹介し、そのことを検討したい。

 

(2)フィジーにおける新体制確立の条件
 (a)事実上の政府が全体としての国民の同意に基づいて確固として国の支配を確立しようとしていることの証明。
 (b)この証明が、その要求の重要性と深刻さのために高度の市民的水準に合致しなければならない。
 (c)憲法の破棄が、事実上の政府が行政上確立され、その対抗政府がないという意味で成功を収めなければならない。
 (d)対抗政府が存在するか否かを考慮するにあたって、審理の対象となるのは対抗勢力が事実上の政府を武力による力で排除しようと考えているかどうかには限定されない。この場合選挙によって選ばれた政府が権力を回復しようとしているか、憲法が承認されるべきだとしているかが関係する。
 (e)人々が事実上の政府の指令に従って行動していることが証明されなければならない。この文脈では、事実上の政府が以前の立憲政府下の多くの法律(例えば、刑法、商法、家族法など)を頻繁に再承認し、国民が日常生活の多くの局面で二つの体制の違いにほとんど気づいていないことがこの証明に関係する。普通、選挙権や個人の自由が対象とされる。証人の一人が述べたように、税金や土地権限担当の公務員はクーデタの間もそしてその後も通常どおりの勤務を行っていた。それらの職務は確立され、大臣の指示は必要とされなかった。われわれは、その種の事実から人々が新体制を承認しているという証拠をほとんど引き出すことはできない
 (f)人々の新体制への服従は、事実上の政府が強制や力の恐怖への無言の服従とは異なる人々の受容と支持によるものであるということによって証明される。
 (g)事実上の政府が支配を行ってきた時間の長さが関係する。明らかに、時間が長ければ長いほど、新体制が受容されている可能性が高い。
 (h)選挙は有効性の有力な証拠である。政府の中に選挙によって選ばれた代表をもたず、選挙権が認められない体制は、人々による受容があまり確立されているようにはみえないということになる
 (i)有効性は、決定を行う裁判所による聴聞の際に表明される
 以上の9つが、フィジーにおける新体制確立の条件として判決の中で提示されたものである。これらの条件の中に含まれる文言で特に厳格な条件、すなわち暫定政府に不利な条件を付したものと考えられる部分が太字の部分である。

 

(3)新体制確立の条件にみる政治性
以上の条件にみられる政治性を以下に指摘する。
①国民の支持: 事実上の政府(新政府)が確固として確立されていると判断されるためには、「全体としての国民の同意」がなければならず、しかもこのことの証明には「高度の市民的水準」への合致が要求されている。これは明らかに「有効性のテスト」に加重要件を付したものであり、事実上の政府を認めないための要件付与と考えざるをえない。しかも、国民の同意に「全体としての」という修飾語を付することで、いささかの反対でもあれば新政府への支持がないものと判断される恐れがあり、さらに「高度の市民的水準」への合致の要求という曖昧な基準にはフィジアンを中心とする「草の根」の人々の意見を一段低くみなす姿勢が窺える。
②対抗勢力の存在: 対抗勢力の存否の要件を見ても、「有効性のテスト」以上の加重要件が付されていることは明らかである。「選挙によって選ばれた政府が権力を回復しようとしているか、憲法が承認されるべきだとしているかが関係する」との一文は、明らかにチョードリー前首相とその支持者の存在を意識したものといえよう。恣意的な加重要件の付与がおおいに疑われるところである。
③政府の指令への国民の服従: 新政府と以前の政府との違いを意識せず国民が生活していることを新政府承認の証拠とすることができないとしているが、これこそ逆に新政府への国民の黙示の支持を証明するものではないだろうか。いうまでもなく、このような事実は、人々の新政府への「強制や力の恐怖」によらない無言の服従を表すものにほかならないからである。
④選挙を有効性の証拠とすること: クーデタや革命によって成立した政権が、その基盤が安定するまでの間、選挙が実施されないのはいわば当然のことであるろう。しかるに、政府の中に選挙によって選ばれた代表がいないことをもって政府の有効性が疑われるとすることは、事実上一切の非憲法的政治変動を裁判所は承認しないという立場の表明といえるのではないだろうか。そもそも裁判所がこのような権限を持ちうるのであろうか。ちなみに、「必要性のテスト」にはこのような条件はない。
以上の4点から見ても、控訴裁判所が提示した新体制成立の要件は、「必要性のテスト」に比べあまりにも過重な要件を付したものであり、このような要件の付与にあたっては、暫定政権に対する控訴裁判所の厳しい姿勢が反映されているようにみえる。「政治性」と呼ぶ所以である。

3.控訴裁判断の偏向

 

 控訴裁判所は、以上の要件を次の二つに集約して判断を行っている。すなわち、①暫定文民政府は確固として確立され対抗政府が存在しないこと、②人々がその政府の受容を推測できるような状況の中で暫定文民政府の指令に従って行動していること。この2つの要件が満たされているかどうか、控訴裁判所は提出された証拠に基づいて次のような判断を示した。

 

 (1)対抗勢力の存否について
 まず、対抗政府の存在に関する第一の要件については次のような判断が示された。
 「5月19日の事件後、暴力と無法状態が国を無政府状態の危険にさらしたが、暫定軍事政府は秩序回復の任務を成功裡に行った。11月2日の軍の混乱も効果的に鎮圧した。組織的な抵抗や暫定文民政府に取って代わろうとする武力による試みもない。しかし、そのことは、『対抗政府』が存在しないことを意味しない。
 チョードリー前首相と前内閣のメンバーが提出した宣誓供述書によると、人民連合は1997年憲法の下で進んで前職に復帰する用意があり、人民連合は下院の71議席中44議席という多数の支持を依然として有するため、政府を形成することが可能であるという。それに加え、高等裁判所に対し、人民連合のメンバーによる1997年憲法の破棄を問題とする2件の訴訟が提起されている。これは、裁判所を通じてその統治権の確認を求めている対抗政府が存在することを示す証拠である。」(16)
 このように、チョードリー前首相の人民連合が提出した宣誓供述書の記述を高く評価し、人民連合のメンバーによる憲法の破棄をめぐる2件の訴訟の提起という事実を重く見て、対抗政府の存在の証拠と評価している。なるほど、対抗政府の存在要件を武力による勢力に限らず広くとらえる立場をとった以上(あるいはこのような判断を示したいために要件を広くとらえた?)、このような判断も当然といえば当然ではあるが、ここには判断の恣意性が感じられてならない。政府が憲法外の力によって変更されるような事態にあっては対抗する政治勢力の存在が当然予定される。その相対立する勢力の一方が闘争に勝利し新政府を樹立するのであり、新政府の樹立後においても、反政府勢力の新政府への武力や言論による対抗が見られるのは通常の事態ではないだろうか。そのような抵抗が新政府を揺るがすような勢力となってはじめて対抗勢力(対抗政府)の存在といいうるのではないだろうか。控訴裁判所はあまりにも安易に対抗勢力の存在を認定しているといわざるを得ない。

 

 (2)国民の新政府受容について
 第2の要件については、次のような判断が示された。
 「暫定文民政府はクーデタ中もそれ以後も政府の行政が機能しつづけていることを人々の受容が推測できる証拠としているが、我々はこの事実はほとんど受容の証拠とはならないと考える。必要とされるのは暫定文民政府へ国民の広範な支持及び1997年憲法の破棄に対する人々の受容を裁判所が推測できるような事実、という証拠である。暫定文民政府はそのような証拠を提出していない。証拠はほとんどが公職にある者からのものである。パラサッド側からはフィジーの人々が概して暫定文民政府を支持していないことを示す5巻に及ぶ宣誓供述書が提出された。この証拠はフィジーの多くの人々が1997年憲法がフィジーにおける異なる民族集団の理想や希望を表現し保障するものであると信じていることを示唆している。提出された資料は、1997年憲法の破棄についてはそれを正当化する適切な理由がないと広く信じられていることを示している。
 2000年8月27日から9月5日にかけてコモンウエルス人権イニシアチブ(Commonwealth Human Rights Initiative)が後援する人権代表団がフィジーを訪問し、各地の市民団体と協議し報告書を作成したが、その7頁に次のような記述が見られる。『市民社会団体、とりわけ原住民フィジー人社会を代表する団体との協議の結果、軍が背後にある暫定政府への国民の支持がほとんどないことが明らかになった。』
 裁判所は、1997年憲法の存在の継続を承認してきた。ゲイツ判事がこの事件の聴聞を行った2000年8月23日から判決を下した11月15日の間に、1997年憲法の有効を基礎とする4件の判決が高等裁判所で出された。」(17)
 ここでも、暫定政府の主張をほとんど考慮せず、「必要とされるのは暫定文民政府へ国民の広範な支持及び1997年憲法の破棄に対する人々の受容を裁判所が推測できるような事実」という要件を持ち出し、原告側の提出した資料や海外の団体の作成した報告書の記述を重く評価するという偏向がみられるのである。

 

(3)結論について
 以上の2つの要件について審理し控訴裁判所は次のような判断を示した。すなわち、「本法廷は約7か月間しか経過せず、厳しく人々の抗議を制限してきた政府を人々が真に受け入れているという説得的な指標を、たいていの人々が前体制の下での日常生活との違いをほとんど気づかないという消極的な服従の様子から見いだすことはできない。真の受容を示す説得的な証拠の不在のため、暫定文民政府は同政府への人々の受容を証明できてはおらず、従ってフィジーの合法的な政府の確立に失敗したといわなければならない。」(18)
 こう判断して、控訴裁判所は次の結論を示した。
 ①1997年憲法は現在もフィジー諸島の最高法規であり破棄されてはいない。
 ②国会は解散されてはいない。国会は2000年5月27日に6か月間停会された。
 ③1997年憲法の下での大統領職は2000年12月15日にマラ大統領の辞任が有効となったときに空席となった。憲法88条の規定に従って、副大統領が2001年3月15日まで大統領の職務を代行する。
 この判決を受けて、暫定政権はその法的連続性を確保するための手続きをとり、8月の総選挙に向けて選挙管理内閣へと装いを改め、それまでの暫定政権の新憲法制定-総選挙実施というスケジュールを白紙に戻した。判決文の冒頭で純粋に法的判断に終始する旨を宣言した高裁判決ではあったが、判決もたらした政治的影響力の大きさは絶大なものがあった。

4.むすびにかえて-司法権の独立と国家の独立

 

 控訴裁判所の判決をきっかけに、2000年5月以来の混乱に法的決着が付けられたといえよう。その混乱の始まりが、失敗に終わった文民クーデタという反憲法的、反民主的事件によるものであっても、その後の軍事政権の成立、暫定文民政権への権力委譲、そして暫定文民政権による立憲民主制への復帰に向けた政策には、たとえそれがフィジアンを中心とするものであったとしても、国民的和解を視野に入れたその努力には見るべきものがあったのではないだろうか。クーデタ事件のさなかにも話し合いが継続され、最終的にスペイトらとの間に人質解放に関する協定(Muanicau Accord)が結ばれ、人質全員が無事に解放されることになったではないか。これが欧米のどこかの国での出来事であれば、あるいはわが国での出来事であれば、どのような結末が待っていたであろうか。想像に難くないだろう。ここには、やはりパシフィック・ウェイ(Pacific Way)が息づいているのだ。性急に結論を急ぐのではなく、合意形成に向けて話し合いを積み重ねていくその手法には、むしろ我々が学ぶべきものすらあるとはいえないだろうか。
 にもかかわらず、暫定政権のスケジュールは3月1日の控訴裁判所判決ですべて振り出しに戻されたのである。裁判所が憲法に基づいて司法判断を行い、政権の法的根拠を否定する判決を下し、その判決に従って政権が即座に合法性を確保するための手続きに着手する。
 ここには一見望ましい司法権と行政権の関係が成立しているように映るが、控訴裁判所の裁判官の構成に目をやると「司法権を通じた植民地支配」が行われているかのような感を強くする。5人の判事のなかにフィジー人は皆無で、裁判長は元ニュージーランド控訴裁判所判事、他の4人は元ニュージーランド控訴裁判所判事、元パプアニューギニア副主席判事、元トンガ主席判事、元オーストラリアニューサウスウエールズ州控訴裁判所上級判事と、裁判官全員が外国人で構成されているのである。しかもその名前から判断して少なくとも4名は白人であると推測される。(19)このような裁判所の実態にかんがみると、憲法の保障する司法権の独立(20)が国家の独立を阻害し、裁判過程を通じた西欧的価値観の「強制」を保障する機能を果たしているのではないかとの疑念を払拭することができないのである。本稿で指摘したように、控訴裁判所の判決に見られる「偏向」はこのような疑念を補強する証左ではないだろうか。
 「司法裁判所として、その職務は法的問題の決定に限定される。我々は法的問題ではない問題、とりわけ政治的性格をもった問題について判決を下す権限も権威も備えてはいない。我々は事件の政治的メリットや知恵を考慮することなく、事件を実際に起こった事実と証拠に基づいて判断した。」(21)
 この判決冒頭の宣言が、判決の政治性を覆い隠すための伏線のように感じられてならないのである。太平洋島嶼国の司法制度の実態的研究が待たれる。

(注)

(1)ラウトカ高等裁判所の判決(ゲイツ判決)については、東 裕「フィジークーデタ(2000年)の憲法政治学的考察」苫小牧駒澤大学紀要第5号、2001年3月、pp.106-110、参照。なお、原告の主張は次の7点であった。①5月19日に試みられたクーデタは失敗だった。②「必要性の原理」のもとで、マラ大統領によって出された非常事態宣言は違憲であった。③暫定軍事政権の命令による1997年憲法の破棄は違憲であった。④1997年憲法は現在もなお効力を有している。⑤選挙によって選ばれた政府は依然として合法的に構成された政府である。(暫定軍事政権とスペイトグループがフィジーを統治することについて合意に達していないという点から見て)⑥選挙によって選ばれた政府(人民連合政府)はなお正統な政府である。⑦裁判所が公正で公平と考えるあらゆる救済を行うべきである。(p.107)
(2)この3点の他に次の2点が示された。①5月19日のクーデタは失敗だった。②政府の地位が不安定なため、大統領にはできるだけ早く首相を任命する任務が残され、下院議員は大統領の意見を入れて、憲法47条及び98条によって下院で信任を得られる政府を形成することができ、その政府がフィジーの政府となる。(同論文、pp.107-108)
(3)STATEMENT FROM THE ATTORNEY GENERAL AND MINISTER FOR JUSTICE, ALIPATE QETAKI, IN RELATION TO JUDGMENT DELIVERED YESTERDAY IN THE CHANDRIKA PRASAD CASE, November 16th, 2000. (http://www.fiji.gov.fj/press/2000_11/2000_11_16-01.shtml)
(4)控訴裁判所の判決の概要については、東 裕「フィジー控訴裁判決(01.3.1)要旨」、「パシフィック ウェイ」、2001年春号(通巻118号)、pp.4-14、参照。なお、判決の原文については、Fiji Sun, March 2, 2001, pp.14-15.参照。
(5)東「フィジー控訴裁判決(01.3.1)要旨」p.5.
(6)同、同頁。
(7)同、pp.8-9.
(8)1997年憲法によれば、フィジーの司法権は、高等裁判所(High Court)、控訴裁判所(Court of Appeal)、及び最高裁判所(Supreme Court)、並びに法律によって設置されるその他の裁判所に与えられており、最終審は最高裁判所である。(FIJI GOVERNMENT ONLINE / http://www.fiji.gov.fj/judiciary.shtml)
(9)東「フィジー控訴裁判決(01.3.1)要旨」p.7.
(10)同、同頁。
(11)同、p.10.
(12)同、同頁。
(13)同、p.7. ほか。
(14)同、pp.10-11. および東 裕「クーデタの法理について」(苫小牧駒澤大学紀要第4号、2000年9月)、pp.100-106. 参照。ここではヤシュ・ガイ教授の所説をもとに、クーデタと新体制成立の法理についての理論が紹介されている。本判決で引用されいるハイネス判事の「必要性のテスト」についてはこの中で「『成功したクーデタ』の法理」(The successful coup doctorine)として紹介されている。(pp.102 -103)
(15)東「フィジー控訴裁判決(01.3.1)要旨」pp.11-12.
(16)同、pp.12-13.
(17)同、p.13.
(18)同、pp.13-14.
(19)控訴裁判所の判事は、次の5名である。裁判長Sir Maurice Casey (元ニュージーランド控訴裁判所判事)、Sir Ian Barker(元ニュージーランド控訴裁判所判事)、Sir Mari Kapi(元パプアニューギニア副主席判事)、Justice Gordon Ward(元トンガ主席判事)、 Justice Kenneth Handley(元オーストラリアニューサウスウエールズ州控訴裁判所上級判事)。
(20)裁判官は政府の立法部及び行政部から独立し(第118条)、その任用資格としてフィジーまたは議会の定めるその他の国において裁判官として一定の高い地位にあるかまたはあったことが必要とされる (第130条(a))。
(21)東「フィジー控訴裁判決(01.3.1)要旨」p.5.

(参考)

Independence of judicial branch
118. The judges of the State are independent of the legislative and executive branches of government.
Juridiction of High Court
120.-(2) The High Court also has original jurisdiction in any matter arising under this Constitution or involving its interpretation.
Juridiction of Court of Appeal
121.-(2) Appeals lie to the Court of Appeal as of right from a final judgement of the High Court in any matter arising under this Constitution or involving its interpretation.
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