パラオ共和国における日本ODAの効果と影響
-小規模漁業開発計画導入後の住民の視点より-
三田 貴
1. はじめに
本研究では、日本の行った援助が、援助を受ける側にどのような効果や影響を与えるかについて議論することを通し、パラオが直面する開発や近代化に関する問題について考察する(注1)。本調査の目的は、個別の事例を詳細に観察することによって開発によるコミュニティの変化を見定め、よりよい援助が実施されるための教訓を導き出すことである。そのために、パラオ国内の二ヶ所のコミュニティにおける小規模な漁業開発(漁業協同組合の施設拡充プロジェクト)を事例として取り上げ、現地で聞き取り調査を行った。
2. パラオにおける日本のODAと調査対象プロジェクト
これまでに実施された無償資金協力の主要な分野は、漁村開発、 送電線開発、道路整備、給水改善、電力供給改善、農業振興、橋梁建設などである(外務省 1999)。技術協力としては研修員の受け入れや調査団派遣、機材供与のほかに、1997年度からは海外青年協力隊員の派遣も実施されており、1999年の調査実施時で20余人の協力隊員がパラオの社会・経済開発に取り組んでいる。また1999年度からは草の根無償援助も開始された。日本によるパラオへの援助は漁業開発関連の計画が最も多く、1981年から99年までに実施した18の無償資金協力案件のうち、8つを占めた(注3)(外務省 1997; 1999)。本研究では、そのなかでも1990年代半ばにペリリュー州およびアルモノグイ州において実施された漁業部門の開発プロジェクトを事例として取り上げる。
パラオの海洋生物資源は、「豊かであると同時に多様性にも富み、歴史的にもパラオ住民にとって最も重要な食糧資源の一つ」であった(Otobed and Maiava 1994: 23)。パラオは豊かな珊瑚礁に囲まれ、そこには1357種あまりの魚類が生息する(Otobed and Maiava 1994: 23)。魚は、長年パラオの主食であり、珊瑚礁域で行う漁は、パラオ人にとって基本的な生業活動であった。H. G. Barnettは、「パラオ人にとってタロと魚は、アメリカ人にとってのパンと肉のようなものだ」と表現する(Barnett 1960: 25)。Barnettによると、パラオで一般的な漁法は、長い柄のモリやヤスを使ったものである(Barnett 1960: 28)。またMaura M. Gordonによると、魚を捕ることは伝統的にコミュニティーの共同作業であり、とくにケソケスという、網を浅瀬に張って行う漁をするときは村全体が協力して魚を捕った(Gordon 199?: 11)。今日における典型的な漁法は、船外機付きのボートを使った手釣り(底釣り)、素潜りのヤス、投網、刺網などである(海外漁業協力財団 1999: 23)。多くの漁民は、漁獲物を地元や首都・コロールのパラオ漁業協同組合連合会(パラオ漁連)や鮮魚販売店で買い上げてもらうが、なかには直接コロールのレストランやホテルに買い取ってもらう人もいる。販売を目的にしない場合は、自家消費をするか、親戚や近所に配る。海外漁業協力財団の推定によると、政府の漁獲統計で把握されていない、直接販売や自家消費に回される漁獲は、漁協や販売店を経由する漁獲の3~4倍あるとされている(注4)(海外漁業協力財団 1999: 22)。多くのパラオ人は魚を自家消費のために捕るが、同時に、魚は貴重な現金収入源としても位置付けられる。このように、海に囲まれた島嶼国・パラオにとっての漁業とは、自給自足の手段としても商業的活動の手段としても重要である。
本研究の対象事例として、「ペリリュー州小規模漁業開発計画」(93年度)と「水産物流改善計画」(94年度)を選定した。その理由は、小規模漁業開発のプロジェクトは地元住民の生活に密着しているため、調査者にとって観察が比較的容易であることと、当該プロジェクトは援助実施時期から数年の年月が経過しており、地元住民や関係者にとって、援助実施以前の状況と比較することが可能であったためである。また、ペリリュー州およびアルモノグイ州は、パラオ国内でも有数の漁業活動の盛んな地域であるため、他州に比べて漁業開発プロジェクトへの住民の関心が高いことが予想された。そのため、パラオにおけるODAプロジェクトの選定にあたっては、これら2州で実施された漁業関連の援助案件を事例として取り上げた。
本研究で扱う第一の援助案件は、「ペリリュー州小規模漁業開発計画」(1993年度、1.10億円)である。ペリリュー州は、首都・コロールから南西に約40キロメートルほどのところにあり、人口は575人である(Palau 1997)。ペリリュー州は漁場に恵まれているが、人口が少ないため、漁民が漁獲物の換金を州内の市場だけに依存することはできない。そのため、漁民は片道一時間をかけて、漁獲物を首都・コロールまで運搬していた。当該案件の「基本設計調査報告書」によると、この計画は、同州に漁業協同組合の管理事務所や製氷機、漁獲物運搬船、船外機、クレーン付きトラック、漁具資材等を援助するものである(水産エンジニアリング 1994)。これらの物資や施設の建設により、同州の漁業活動の活性化と、漁獲物の流通の向上を図ることが目的とされている(水産エンジニアリング 1994)。計画が実施されると、ペリリュー州の漁民は漁協で製造された氷を購入した後に出漁し、漁が終わると水揚げはコロールでなく、地元ペリリュー州の漁協で行うことができるようになる。そうなると、漁民は、コロールに漁獲物を運搬するための時間的負担と、ボートの燃料代という出費から解放されることになる。水揚げされた漁獲物は地元の漁協で一時的に保管され、漁獲物運搬船を使用して漁協がまとめてコロールに出荷することが可能となる。ペリリュー州の漁業協同組合は1994年より運営を開始した。
二つ目の事例「パラオ共和国水産物流改善計画」(1994年度、2.23億円)は、アルモノグイ州の漁業協同組合の施設を拡充するとともに、コロール州にあるパラオ漁業協同組合連合会(パラオ漁連)に加工・販売施設を設置するものである。アルモノグイ州は、バベルダオブ島西岸に位置し、人口281人の州である(Palau 1997)。援助プロジェクトではアルモノグイ州に製氷機、漁獲物運搬船、漁獲物運搬用トラック、船外機、クーラーボックスなどを導入・設置し、同時にコロールのパラオ漁連に、新しく鮮魚を扱う施設を建設するものであった。計画では、アルモノグイ州漁協の施設拡充により、同漁協をバベルダオブ島北部4州の集荷拠点にし、ここから集約的にコロールに出荷することにより、効率的に漁獲物を運搬することができるようになる。したがって、それまで州の漁協や漁民が個別に首都に出荷していた非効率性を是正する効果が期待される。新しい施設の共用は、1996年に開始された。
3. 援助プロジェクトの地域コミュニティへの効果と影響
インタビューでは、次のことに関して質問を行った。1)日本による援助プロジェクトは、受け入れコミュニティに恩恵を与えたか。2)援助は、援助実施地にどのような効果や影響を与えたか。3)援助プロジェクト実施後にどのような社会の変化が見られたか。4)またその変化は住民にとって望ましいことであったか(注6)。以下に、聞き取り調査で得た住民の意見をもとに、援助後の変化について記述し、分析する。
プロジェクト導入後に多くの漁民や住民が認知した変化は、製氷機の導入によって、漁業活動が便利になり、同時に、漁獲物を首都の市場へ出荷させる際の利便性が向上したことである。パラオのような熱帯地方では、氷を使用しないと漁獲物の鮮度は数時間しか保てないため、氷はこの地方での効率的な商業的漁業活動にはなくてはならない。以前は、アルモノグイ州では、既存の製氷機ではフレーク状の細かい氷しか製造できなかったため、魚を長時間の保冷することには適さなかった。そのため、漁民の中にはコロールで氷を買ってから漁をする者もいた。またペリリュー州の岸壁には州政府の運営する製氷機があったが、ペリリューは夜間12時間のみの給電であったため、以前は、氷は不足していた。両州とも、新しい製氷機の導入以降は、漁民は地元の漁協で氷を購入して、それをクーラーボックスに入れて出漁し、捕れた魚を保冷したまま長時間漁を続けることができるようになったという。またそれまではコロールに出荷していたが、漁民は、漁が終わるとコロールではなく地元に帰港し、そこで水揚げができるようになった。被調査者の誰しもが、こうした合理的な出漁や水揚げが可能になったことを高く評価している。
また漁民だけでなく、一般の住民にとっても生活上の利便性が向上した。ペリリュー州では、1998年までは一日に12時間しか給電されていなかったため、新しく導入された発電機付きの製氷機で作られた氷は、一般住民が食料を貯蔵するためにも利用できるようになったという。現在でも、冷蔵庫を買うことのできない住民にとっては、製氷機の氷は、家庭での食料の貯蔵に役立っているという。また、パラオでは伝統的慣習に則って、冠婚葬祭などでは親戚などを大勢集合させて食事を振る舞う。そうした時には魚の需要が特に増えるため、例えばアルモノグイ州の漁協には他州の住民も魚を購入しにくることがある。その際、魚を氷詰にして遠方の州まで運べるようになった。このように、ペリリュー州およびアルモノグイ州では、日本のODAによる小規模漁業開発プロジェクトによって漁業活動や生活上の利便性が向上し、漁民の所得の向上にも貢献したことが示された。
しかしながら、利用可能な範囲でのデータ推移から推測すると、1996年以降はパラオ漁連に水揚げした分がデータに含まれていないにも関わらず、ペリリューおよびアルモノグイ両州の漁獲高は増加している(注7)。このデータと、被調査者からの証言をあわせて考慮すると、実際の漁獲高は増加したと推定される。しかし、このことと援助の効用を直接的に結びつけることは多少問題があるかもしれない。例えば、援助によって漁業が効率的になり漁獲が増加したのか、それとも各漁協が正確に漁獲を記録するようになったことが漁獲高統計に反映されているのかを判断することは難しい。アルモノグイ州の漁協関係者や漁民によると、「1995年に漁獲高が増えた理由は、援助が来るのだからより多くの魚を捕ることを漁民に奨励した結果で、96年の増加は援助の効果だ」という(注8)。また97年の漁獲高の減少は州関係のプロジェクトに住民の労働力を使ったために漁に出られない人が多かったこと、98年の増加はフィリピン人漁師によって操業された2隻の漁船が漁獲高増加に貢献したこと、また、99年はパラオ漁連が漁獲物を買い取らなくなったので、出荷量は減少するであろうことが指摘された(注9)。
こうした輸入製品の増加は、経済のグローバル化に伴ってますます勢いを増し、コロールの人々の生活もそれに順応しながら変化することだろう。経済のグローバル化が進むこと自体は、パラオにおいても製品やサービスの選択の幅を広げるといったメリットがあるが、その一方で、水産物の消費動向から見てとれるように、地場産業の発展を妨げるといった反作用も生じている。
自らがナイロン製刺し網を使用して漁を行うペリリュー州の漁民は、次のように語る。「漁業援助プロジェクトがやってきたことで、援助の予備調査の時に言われたとおり、私たちの生活はよくなりました。200ドルする刺し網も買うことができるようになりました。しかし魚がいなくなったらどうするのでしょう?ここには保全の観念を持った人はいません。50年後はどうなるのでしょう。グアムのように開発され、乱獲が進むのでしょうか」(注12)。この被調査者らが示すように、援助プロジェクトは、新しい技術の導入と効率化によって直接的にも間接的にも漁民の収入を上げ、より豊かな生活へと導くことに成功しているが、漁業が効率的になってきた今、資源の減少・枯渇が懸念される。パラオのリーフ魚の具体的な資源量の推測は難しいが、Otobed & Maiavaによると魚の資源量は減少していて、なかでもハタ、アイゴ、ブダイ、ベラは特に減っているという (Otobed and Maiava 1994: 28)。また、トローリング、水中銃、ギルネット(刺し網)、投網、スキューバダイビングなどの近代的漁具・漁法の導入により、漁業は「破滅的」になってきているという(Otobed and Maiava 1994: 28)。パラオの海洋資源は、島嶼国ならではの狭小な基盤に依存しているため、海洋資源の利用を含む開発を行う場合、資源を持続的に利用できるような漁のあり方を考慮する必要があるといえる。
4. おわりに: 近代化と開発の意味
日本はODAを通して、新しい施設や道具の導入の支援だけでなく、それらを運営したときに生じる新しい問題への対処法を普及させるなど、ソフト面での支援を充実させていくことも必要だろう。魚を捕ることに関してパラオの人々が伝統的に受け継いできた土着の知識は、外部から急速に流入する新しい技術や産業化の流れに必ずしも対応できているわけではない。そこで、新しい技術に見合った持続可能な漁業の方法や、流通を含む漁業経営についての知識や方法を学習・普及させるために、援助実施地のコミュニティーを支援をすることも、日本が、援助国として役割を果たせる分野ではないだろうか。パラオにとって、援助それ自体は外部に依存したものであるが、そこにコミュニティの人々が自ら参画して独自の産業の発展に結びつけるのであれば、これからのパラオの「国づくり」にとって有意義であろう(注14)。