フィジークーデタ(2006年)の経緯・論理・展望
東 裕 (ひがし ゆたか)
はじめに
本稿ではこのクーデターの発生から一応の収束に至る経緯を報告するとともに、クーデターの発生からおよそ3ヶ月を経過した時点でのフィジーの現状を伝えたい。
1.クーデターの背景と経緯
しかし、現地のさまざまな情報を総合すると、いまだ不分明な点は残されているものの、この時期にクーデターにまで至ったことについて、それなりに十分な合理的説明がつく理由もある。いずれ、今回のクーデターの「真相」が明らかになろうが、現時点では、これまでの報道をもとに、クーデターの背景と経緯を紹介したい。
ここに軍と政府の対立が顕在化し、以来この対立が根強く尾を引くことになる。というのも、この和解法案の恩赦対象者には2000年の国防軍内の反乱に関与して服役中の者も含まれるからで、この反乱ではバイニマラマ自身が狙われ、危うく命を落としそうになっていたからである。
その根底には、先住民フィジー人とインド系国民との間の権利関係の調整の問題(先住権原と憲法の保障する国民の諸権利の調整)があり、先住民の権限をより強く保障しようとする勢力と先住民の権利を尊重しつつその保障に一定の歯止めをかけようとする勢力との葛藤があった。前者を仮に民族主義派と呼ぶとすれば、後者は近代派とでも呼ぶことができよう。そうすると、ガラセ首相は民族派で、バイニマラマ国軍司令官は近代派ということになる。
このように、ガラセ政権は、5月の総選挙で勝利したにもかかわらず、山積する課題に有効な政策を打てず、ガバナンスの悪化が深刻な問題として顕在化していった。こうした諸問題を巡り、バイニマラマ国軍司令官は、繰り返しガラセ政権を批判し、軍と政府の亀裂が深まっていったのである。
時あたかも、ニュージーランドで、同国外相の仲介によるガラセ首相とバイニマラマ国軍司令官との会談が行われた日にこの事故が発生し、その後の事故報道の中でヘリコプターの乗組員の中に特殊部隊員がいたことが判明したのである。この一件が、最終的にバイニマラマの背中を押し、クーデターの実行へと事態は進行していったものと思われる。
2.クーデターの発生と展開
この時、29日に起こったオーストラリア海軍のヘリコプター墜落事故とそこに特殊部隊の隊員が含まれていたことが、すでにバイニマラマの耳に達していたものと推測される。このことが、バイニマラマの態度をいっそう硬化させ、クーデターの実行を決意させたものと思われる。会談を終えてフィジーに帰国後、バイニマラマ国軍司令官は「浄化作戦」の実行の準備に着手する。
こうしたフィジーの安定した状況に対しても、オーストラリア・アメリカ・EUなどは、依然としてバイニマラマ暫定政権を承認しない姿勢を維持し、早期の総選挙実施を求めてフィジーに対し「外圧」をかけ続けている。
3.クーデターの論理
この点について、バイニマラマ国軍司令官の声明(STATEMENT OF FIJI COMMANDER BAINIMARAMA(12/5/06))をもとに、その特殊性をみてみたい。
ここに示された見解を要約すると、和解法案、ゴリゴリ法案、土地審判所法案などの問題に対し、バイニマラマ国軍司令官は国益を考えてガラセ首相に幾度となく進言してきたが、腐敗の進行したガラセ政権は真摯な対応を怠り、バイニマラマの更迭と軍の分裂を仕掛けたため、国防軍がやむなく政権を奪取したということである。そして、この行動は、合憲かつ合法であるとする。ここには、いわゆるクーデターではないとの主張がこめられている。
このように、憲法解釈・慣習およびコモン・ローの判例にまで言及した軍人としては異例ともおもえる法理論に深く踏み込んだ発言をしている。次に述べる「必要性の原理」とともに、政権奪取後に予想される法的議論・紛争への布石とも考えられ、法律専門家の助言者の存在を窺わせるところである。
その一方では、厳密な意味ではクーデターではないという見解をとる論者がいることも紹介しており、今回のクーデターの法的性格を考えるにあたり、示唆的な内容を多々含んでいる。
4.クーデターの評価と今後の展望
また、暫定政権に対する国民の支持も広がっているようで、とりわけこれまでのクーデターとの最大の違いは、当初からインド系労働者層の支持を獲得している点である。ガラセ政権の先住民政策に対するインド系の不満や、噂される金銭絡みの政治腐敗に対する国民の不満の解消をバイニマラマ政権に期待する側面が強く、クーデターという手法そのものに対する批判を凌駕しているようにみえる。「バイニマラマは正しいことをしている(doing right things)」、というインド系のタクシー運転手の言葉が印象に残る。
にもかかわらず、このような法理を展開したのは、バイニマラマ国軍司令官の行為はクーデターに該当しないという解釈の可能性を開き、いずれ予想される「裁判闘争」に備えたというのが理由の一つではないだろうか。だとするなら、今後、ガラセ側との裁判の闘争が演じられたとき、その結論は、かつてのチョードリー対ガラセ事件と同じにはならない可能性が出てくる。かつてラウトカ高裁で2000年の文民クーデター事件の際に暴徒により家屋を破壊されたインド系住民の提起した訴訟の中で、2000年のクーデターは違憲であり、憲法の破棄も無効であるとの判断を下したゲイツ判事(Anthony Gates)が、最高裁判所主席判事代理に就任した点が注目されよう。
しかしながら、今回のクーデターの発生のように、一見安定しているように見えて、突然何が起こるかわからないのがここ20年のフィジー政治であり、今回の事件の帰趨を含めてこれからの事態の推移に十分な観察が必要であろう。また、現在のところバイニマラマ暫定政権に対しその退陣と総選挙の早期実施を要求するなど、強硬な姿勢をとり続けている「西欧民主主義諸国」からの外圧に対して、バイニマラマ暫定政権がどう対応していくかについても、十分な注意を払う必要があろう。