フィジー・クーデタ、その後
-2001年新憲法の制定へ-
はじめに
ライセニア・ガラセ(Laisenia Qarase)を首相とする暫定文民政権が発足(2000年7月18日)してから4ヶ月経過し、その間にフィジーの立憲民主制の回復に向けてのいくつかの重要な政策が発表された。なかでも最重要課題が原住民フィジアン・ロトゥマンの諸権利を保障し、かつフィジーのすべての民族の権利を保障する新憲法の制定で、政府はこの目標の実現に向けて「憲法委員会」(Constitution Commission)を設置し、来年2001年3月までに同委員会は首相に報告書を提出、6月までに新憲法草案を作成、12月のはじめには新憲法を公布し、再来年2002年の3月から6月の間に総選挙を実施する方針を明らかにしている(PRESS RELEASES, 6th, October, 2000)。本稿では、これまでのガラセ政権が明らかにしてきた主要な政策文書を取り上げ、その中に示された新憲法構想を分析し、今後のフィジー政治の動向を展望するものである。
1.ガラセ政権の基本政策
このように、新憲法においては1997年憲法とは異なり、大統領と首相については人種要件が付されること、大酋長会議の意見に添ってフィジアンとロトゥマンの重要問題について憲法上の配慮がなされることを基本方針としている。そして、その他の憲法関連する事項としては、大酋長会議の権力強化、新憲法条項に基づいたフィジアンとロトゥマンのためのアファーマティブ・アクションに関する法律の制定が盛り込まれている。
2.1997年憲法の「欠陥」
1997年憲法の草案が同年に大酋長会議に提示され、国会で満場一致で採択されたとき、あたかもフィジーにとって究極の理想的な憲法ができたかのように見えた。その後、昨年(1999年)5月に1997年憲法の規定に従って総選挙が実施された。振り返ってみるとこの選挙は、とりわけフィジアンにとって、1997年憲法が、政府や政治の場において、フィジーにおける原住民コミュニティーとしてのフィジアンの将来を保護し確保するための真に最善の憲法であるかどうかを示す全能の神による祝福であったと、我々は今になって言うことができる。
(4)当選者が小選挙区で選出され、3つの異なる民族別議席の選挙区と全国民議席は、同じ地理的区分をカバーするものではなく、ある選挙区から選出された下院議員は国民に奉仕する際に協働しなかった。その結果、インド人の議員は選挙区のインド人に、フィジアンは選挙区のフィジアンのために集中して奉仕する傾向が見られた。そのため、議会においては議員がある選挙区のすべての人々のために複合人種集団として協働するようにはならなかった。これは1970年憲法と1990年憲法の弱点であり、1997年憲法でも改められなかった。シンガポールにおいては、グループ選挙区(multi-member constituencies)が選挙区の中の複合人種集団の代表を促進するために使われている。これによって異なった人種の国会議員が協働して国民に奉仕することを促すのである。
(d)大統領がNLTBとNLCの助言に基づいて行動するとした原住民土地信託法(Native Land Trust Act)の規定を緩和する効果を持つ憲法改正案は、国有地をフィジアンの必要性を満たすために留保している。提案されている改正は、もし実現すれば、原住民土地法によって大統領の処理に委ねられる問題さえも大統領が内閣の助言に従って行動しなければならなくなることを意味する。
結局フィジアンにとってはっきりとした結論は、我々はフィジアンのためによりよい憲法的保護を与えるような新しい憲法が必要であるということである。1997年憲法が示したことは、フィジアンが議会と政府で多数を占めているにもかかわらず、フィジアンが多くの政党に分裂しすぎていたため、政府の政策にほとんど影響を与えなかったということである。なかでも最も重要なことは、フィジアンが政府の首長という鍵となる重要な地位をコントロールしなかったということである。大統領、すなわち国家元首の地位は重要ではあるが、しかしそれはほとんど儀礼的なものであり、憲法の下で大統領は内閣の助言によって行動するのがふつうである。首相すなわち政府の首長のポストが重要である。それは、首相がヴィジョンと諸政策の方向を提示し、そして政府を動かすからである。もしフィジアンがフィジーにおける自らの安全のために憲法的及び政治的枠組みを強化しようとするなら、彼らは二つの鍵となる重要なポジションである首相すなわち政府の首長と大統領すなわち国家元首の地位に対する彼らのコントロールを容易にするような憲法をもつべきである。彼らがこの二つのポジションをコントロールするとき、初めてフィジーにおける経済的及び社会的生活のなかでの平等かつ公平な参加のための諸政策を通じて、その総体的な安全を強化することができる。
3.危機の原因と克服
9月17日にガラセ首相は、「フィジーの政治危機の解決のために」(RESOLVING THE POLITICAL CRISIS IN FIJI)というプレスリリースを発表し、フィジーの置かれている危機の発生原因を分析し、今後暫定政府がとるべき政策の基本方針を明示した(PRESS RELEASES, 17th September 2000)。以下にその全容を紹介する。
その結果、7000人を超える人々が職を失い、公務員給与は12.5%削減されるなどの経済的な影響もでたが、9月の時点では投資家も戻りはじめ、主要産業の一つである観光業も回復の兆しを見せ、雇用も回復しはじめている。そのような状況下にあって、目下の未解決の問題は政治的・憲法的危機の解決である。この問題の複雑さは、主要な2大人種である原住民フィジアンとインド人のコミュニティーが、現在、文字通りお互いに闘っているという事実から発生している。
(選択肢4)大酋長会議が賛成し暫定政府によって採用されたもので、1997年憲法の復活ではなく新憲法が制定されるべきだというもの。これは憲法委員会で着手されることになっていて、そこにはすべてのコミュニティーの代表が参加し、広く一般の人々からの提言を受け入れようというものである。憲法委員会は1997年憲法を主に参照しつつ新憲法を考える。暫定政府が設立する「国民の和解と統合の会議」(National Reconciliation and Unity Council)は、政府首長と国家元首レベルでのフィジアンのリーダーシップという考えを推し進め、そしてそれによって下位レベルでのすべてのコミュニティーによる権力の共有を援助できる。この考え方は、1997年憲法のコンパクトを基礎とした社会契約として具体化される。
(4)中心的・核心的問題、すなわちその将来の政治的地位についてフィジアンコミュニティーのなかにある心配や不安といった感情に対処しなければフィジーの政治危機の真の解決はないだろう。我々がこの問題を処理しなければ、永続的な平和、調和、および安定がフィジーに訪れることはあり得ない。我々がこれを行わなければ新憲法はまた失敗に終わるだろう。次のポイントは再び強調される。すなわち、原住民フィジアンは人口の52%を占め、年率1.8%で増加しているが、一方インド人人口は43%に低下しなお減少傾向にある。それは海外移住と低出生率によるものであり、年間増加率は0.3%である。
原住民フィジアンコミュニティーの支配喪失の恐怖は、フィジアンがすでにフィジーの経済と社会の発展において他の人種より大きく遅れていることに気づいたときに一層激しくなった。そしてもし彼らがその土地の84%を保有するフィジーにおいて、政治的支配権をも喪失するならば、世界中でただ一つの原住民フィジアンコミュニティーとして彼らの未来を守るためには、土地にしがみつくこと以外に方法がないのである。チョードリーがその父祖の地であるインドで歓迎されたとしても、フィジアンにはただ一つの母なる土地でありかつ父なる土地があるだけであり、それがフィジーなのである。
目下、原住民フィジアンの間に広がっている不安と心配の感情を考慮するなら、フィジーにおける現在の危機状況解決へのもっとも現実的で賢明なアプローチは、大酋長会議とともに作業を進めることである。1874年の英国への割譲以来、英国政府はフィジーにおける高位の酋長が国民のために行動する権威を備えていることを承認してきた(割譲証書第7節)。これはまさしく暫定政府が行っていることで、それは大酋長会議と協議し、大酋長会議に導かれることである。この解決を進めるためには一歩ごとに原住民フィジアンコミュニティとともに進むことが決定的に重要である。この意味するところは、フィジアンとすべてのレベルで、すなわち、村及びチキナ評議会(Village and Tikina Councils)、地域評議会(Provincial Councils)、そして大酋長会議と協議することである。暫定政府が立憲民主制への復帰に2年間の時間枠を設けたのは、こうした協議と総選挙の準備に十分な時間を提供するためである。新憲法は2001年の8月までに公布され2002年の9月までに総選挙が実施される予定である。
アプローチが進められるなかで、憲法委員会が準備しているのは新たな憲法である。1997年憲法の再検討とその改正に限定しない理由の一つは、多人種・多文化社会という複雑さを備えたフィジーにとって適切な政府システムを、憲法委員会によく検討してもらいたいからである。1970年憲法、1990年憲法、そして1997年憲法の3つの憲法はすべてウエストミンスター型が理想的であるということを前提にしていた。我々はそれをイギリス植民地の遺産として受け継いできたが、我々が問わなければならない問題は、それがフィジーにとって本当に理想的であるかということである。「合意」(consensus)よりも「多数」(majority)による議会決定システムは分裂を招くものであり、フィジーにおいてこれは人種的な意味をもつ。さらに、人種すなわち民族を基礎にした感情や偏りはきわめて強く根深いもので、人々は人種を基礎に投票し、たとえ下院議員が1人1票の共通名簿(common roll)を基礎にして投票されたとしても、選挙区に行けば依然として自分の属する民族や文化コミュニティーに票が集中する傾向をもつだろう。これがフィジーにおける宗教の違いと混ざり合っている。フィジアンはほとんどがキリスト教徒であり、インド人はほとんどがヒンズー教徒とイスラム教徒である。また、互いの文化を評価する点に欠けていて、誰もが英語で意思の伝達を行うが、互いの言語を話したり、互いの文化を理解したりすることはほとんどない。我々の社会構造と価値にも相違がある。インド人は、個人として権利の平等と権利の不可侵性を重視する。フィジアンは階層的社会構造をもち、民主的背景においては個人の権利に価値を置くが、しかし伝統的フィジアン社会においては、階層社会のなかでの自分の位置を自覚しそれを受け入れている。数値的・水平的な権利や特権の平等、または物質的な富の獲得と蓄積。こうしたものよりも、忠誠(loyalty)、従順(obedience)、相互扶助と共有(mutual care and sharing)、精神的な幸福(spiritual wellbeing)。それがフィジアンがもっとも大切にする価値である。
(3)我々は原住民フィジアンが他のコミュニティーに比べ、商業、工業、専門職、教育等への参加や成功度において遅れているという事実も表明する必要がある。フィジーでは税金の70%以上をインド人が支払っているが、これは彼らの80%以上が商業などの職業に従事し、定収入を得ているからである。1993年の家計収入分配調査でもフィジーではフィジアン家庭がもっとも貧しく、平均してもっとも低い週給水準にある。1997年憲法は、複数政党内閣によって政治権力共有の細部にまで踏み込んだが、経済的社会的発展の機会の公平については、一般的に利益へのアクセスの平等と公平な配分が規定されているだけである。しかし「社会正義」(Social Justice)の章は、その意図を広く一般的に表現している。これが暫定政府が憲法実践とフィジアンとロトゥマンの発展のための『青写真』に同等の重要性を与えている理由である。しかし、積極的支援と福祉援助は、すべてのコミュニティーのなかの貧窮した人や不利な状態に置かれた人にとっても利用可能であることもまた、強調されている。
最後に、フィジアンの要求には歴史的基礎がある。1874年10月10日の割譲以来の96年にわたるイギリスの統治、および1970年10月10日の独立以来、原住民フィジアンとロトゥマンは、つねに政府というものは両原住民に対し特別な受託責任を負っていると期待してきた。このことは1932年の英国のインド人問題担当大臣によって明確に表明された。彼は、1932年の「フィジーにおけるインド人の地位に関する調査」のなかで書いている。マヘンドラ・チョードリー首相によって実施されたいくつかの土地関連政策は、フィジアンの利益の至高性についての長年の政策及び原住民フィジアンとロトゥマンに対する政府の受託責任に直接的に違背するようにフィジアンの目に映った。1997年憲法のコンパクトはフィジアンの利益の至高性を指導原理と規定した。チョードリー首相はこれに違反する行動を行った。これがフィジアンの多数がチョードリー政府の復帰に反対している理由である。そして、このためにフィジアンは国家元首たる大統領職だけでなく政府首長たる首相職のコントロールをも望んでいるのである。フィジアンが自らの政治的命運を十分にコントロールするためには、今や憲法による保護に頼るだけでは十分でないと気づいている。フィジーにおいて過半数の人口を占める多数者のコミュニティーとして、そしてフィジーにおける最大の土地所有者として、フィジアンは決定的に重要な地位である政府首長と国家元首を含む政府を支配しなければならない。その他のコミュニティーについては、フィジーに居住することをフィジアンは歓迎する。フィジーは彼らの故郷であり、彼らは平等な基本的権利と自由を保持し、享受し続けるだろう。
原住民フィジアンはフィジーの土地の84%以上を所有しているが、その中のもっとも肥沃な耕地を他のコミュニティーのために借地として利用させてきた。借地人の多数、60%以上はインド人である。借地人はその土地から多大の利益を得てきた。たとえば、1975年から1999年の間に、欧州共同体とアフリカ・カリブ海・太平洋諸国との間のロメ協定の下で、協定による砂糖議定書によるフィジーからEUへの砂糖の輸出による利益総額は35億ドルに達した。およそこの半額が世界の自由砂糖市場価格より高いEU砂糖価格からの割り増し利益である。フィジーの砂糖産業において、この35億ドルのうちの30%が製糖業者であるフィジー製糖社に、残り70%が生産農家に行くが、その農家の75%以上がフィジアン所有地の借地人である。しかし、この思いがけない35億ドルの利益はフィジアンの土地所有者の手に直接渡る分は少しもない。これは、借地料がその土地のUCVの6%と決まっているからである。現実には、借地から土地所有者の手に入る収入は、小作農家がサトウキビの商業生産から手に入れる総収入の2~3%に過ぎない。国際エコノミスト達は、これを世界で最も低い水準であると指摘してきた。それゆえ、もし、土地所有者のフィジアンと借地人の多数を占めるインド人を巻き込む農地の借地期限の満了という重大問題に、受け入れ可能な解決があるとすれば、借地契約の更新を円滑にするための借地方式の再検討が必要である。はっきりしていることは、フィジーの二大コミュニティーであるフィジアンとインド人のコミュニティーが憲法問題と土地問題の両方について円満な解決に向けて協力しなければならないということである。この二つは複雑に分かち難く結びついている。
4.憲法委員会の設置と今後の展望
以上の点を総合的に勘案すると、結局のところ選挙制度の変更だけで、それ以外の目的がすべて達成できるのではないかと考えられ、そしてそうすることがフィジーにとって、対内的にも対外的にも最善の選択であるように思われる。その理由を以下に説明したい。
今後の憲法問題の展開をあえて予想すれば、新憲法問題は選挙制度問題であり、最終的にはこの点に議論が収束していくはずである。またそうならずに首相の人種要件等の「人種差別」的条項が新憲法に盛り込まれることになった場合、フィジーはまた1990年憲法下と同様の国際的非難にさらされることになろう。筆者はフィジーの特殊事情を理解する日本人の一人であると自負する者ではあるが、このような選択は決してフィジーにとって得策とはならないと考える。新憲法問題は下院議員選挙への比例代表制的選挙制度の導入に尽きると、最後にもう一度、強調しておきたい。