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141-<パラオ選挙報告>パラオ初の大統領3選

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<パラオ選挙報告>

トミー・レメンゲソウ・Jr. - パラオ初の大統領3選
総選挙報告と2012年のパラオ

上原 伸一


 2012年はパラオの総選挙の年であった。9月26日(水)に大統領および副大統領の予備選挙が行われ、11月6日(火)に正副大統領、上院、下院の選挙がまとめて行われた。大統領及び副大統領の選挙については、3人以上の立候補があれば、事前に予備選を行い、上位2名が本選に進むシステムになっており、今回も正副大統領とも3人以上の立候補があったため予備選挙が行われた(*1)。また、前回2008年の正副大統領選は、ランニングメイト制(アメリカの大統領選のように大統領候補と副大統領候補が一組となって選挙されるシステム)で行われたが(*2)、同時に行われた憲法改正の国民投票でランニングメイト制廃止が承認されたため、今回の正副大統領選はそれぞれ個別に選出された。

 筆者は、9月の予備選挙直前に現地取材を行った。その様子を含めて、選挙結果並びに昨年のパラオの状況について報告する。

<Ⅰ> 選挙報告

(1)正副大統領選挙
 前述のように、 前回2008年の選挙とは違い、正副大統領選挙はランニングメイト制ではなくなったが、現職のジャンセン・トリビヨン大統領(当時)、ケライ・マリウル副大統領(当時)はコンビを組んで実質的にランニングメイトとして選挙運動を展開した。
 これに対し、大統領選には、 2001年から2008年まで2期大統領を務めたトミー・レメンゲソウ・Jr.上院議員(当時)、2001年から2004年まで副大統領を務めたサンドラ・ピエラントッチ氏が立候補した。パラオの憲法では、大統領は3期以上連続して務める事はできないと定められている(*3)。2期連続して大統領を務めた後、何期か間をあけて立候補することは可能であるが、3期目の大統領に挑戦したのは、レメンゲソウ氏が初めてである(*4)。一方、サンドラ氏は、女性で初めての上院議員、女性で初めての副大統領を務めてきたパラオの女性政治家のパイオニア。今回は、初めての女性としての大統領立候補である。
 前回の大統領選で、予備選挙で首位になりながら本選挙でわずか212票差で逆転されたカムセック・エリアス・チン氏に対しては、早い段階から立候補の期待が寄せられ、実際にかなりの数の支持者から立候補の要請を受けていた。しかし、チン氏は態度をなかなか明確にせず、レメンゲソウ氏の大統領立候補表明後に上院議員への立候補を表明した。レメンゲソウ氏とチン氏は親戚であり、話し合いの結果チン氏が上院議員に回ったと言われていた。チン氏によれば、議会とりわけ上院と大統領の良い関係が必要であり、チン氏は上院議員死亡に伴う特別選挙で選ばれ、まだ2年間しか上院議員をやっていないので、もう少し上院の仕事を続けて、大統領との良い関係を築いて財政を始めとするパラオの諸問題に対応することにしたということであった。パラオでは、親戚関係は非常に重要視されるので、親戚同士が選挙で争う状況が生じそうになると調整が図られるのが通常であるが(*5)、今回はそれと共に、トリビヨン氏の再選を何としても阻止すべきとの声が強く、反トリビヨン票が分散しないように一本化の圧力が強く働いたものと思われる。

 副大統領選には、トリビヨン氏とチームを組んで立候補した現職のケライ・マリウル氏の他に、スティーブン・クワルティ厚生大臣(当時)、ジャクソン・ギライガス経済産業大臣(当時)、アントニオ・ベルス元下院議長の4人が立候補した。

〇予備選前の状況-厳しい批判に包囲されたトリビヨン氏
 大統領選に関しては、3者の争いというよりトリビヨン派対反トリビヨン派の様相を呈していた。1988年以来パラオの選挙の取材を続けているが、今回ほど現職大統領に対して厳しい非難が寄せられていることはなかった。有力者の多くは、口を極めてトリビヨン氏を非難した。トリビヨン氏は、弁護士で論理的且つ演説上手である。任期前半は、それまでの大統領であったクニヲ・ナカムラ、トミー・レメンゲソウ・Jr.とは反対のグループに属していたトリビヨン氏の理屈は国民の目には新鮮であり、期待を受けて評判はかなり良かった。2期連続で大統領を務めた前職のトミー・レメンゲソウ・Jr.氏が、任期の最終年には個人財産の膨張や不透明な財政支出で評判が悪くなっていたことの反動もあった。トリビヨン氏は、パラオ財政を健全なものにするために小さな政府を目指し、一方で外国の投資を導入するなどして民間経済を発展させる方針を掲げた。しかし、財政状況は改善せず、彼の理論通りの展開にはならず、社会基盤の不備が前面に出てくるようになって批判が集中するようになった。新しい理屈は当初は新鮮であったが、それが実現しないことに国民はいらだちを覚えるようになった。
 さらに、現実に自分に繋がる人たちへの面倒見の良さに反比例して、自分との繋がりが薄い人たちに対しては、冷たいといってよい対応が目立つようになってきたことも不評の大きな原因であろう。一国の大統領がそのような細かい対応を要求されるのか、或いはそのようなことで政治的な非難を浴びるのかという疑問が出るかもしれない。しかし、パラオは人口2万人の国である。日本では市にもならない(*6)。大統領が、個々人の要求を聞いて一定の解決を図るのは珍しいことでは無い。信託統治領として、戦後アメリカの統治下にあったパラオではアメリカ同様に行政トップの変更に伴い、行政の上級職が変わる猟官制が取り入れられており、大統領が親しい人間や友好グループの人材を取り立てるのは当たり前であるが特段に親しい人間でなくても、ある程度の対応をすることは歴代の大統領が行ってきたし、国民も期待してきたことである。
 また、自分が外務大臣に指名したサンドラ・ピエラントッチ氏を更迭したり、2011年11月のアイミリキの発電所の火事による電力不足危機に際し酋長評議会に説明・報告を行わず多くの酋長達から不興を被るなど、リーダー達との対立も目立つようになっていた。ここ1~2年、パラオとしては今まで考えられなかった凶悪事件が相当数起きており、「社会的危機」との認識も出ているが、それへの対応についてもリーダー達からは、「何もしていない」との強い批判が浴びせられていた。
 前回2004年に、トリビヨン氏の本選挙での逆転勝利の大きな原動力となったのが、予備選で敗退したスランゲル・ウィップス・Sr.氏の支持であったが、息子で前回の選挙でライト・イン(*7)で当選したスランゲル・ウィップス・Jr.上院議員は今回の選挙ではトリビヨン氏批判の急先鋒となった。有力酋長たちの多くはレメンゲソウ氏を支持した。トリビヨン氏を支持した酋長は、北部大酋長レクライ、コロールの女性第1酋長ビルン等少数にとどまった。現職のマリウル副大統領が、トリビヨン氏とチームを組んで立候補しているにもかかわらず、閣僚から2人が副大統領に立候補するなど、自らの閣僚をまとめることも叶わなかった。
 こうした中でのトリビヨン氏の選挙運動は、批判に真っ正面からぶつかる形で行われた。つまり、自分の3年半の大統領としての実績を前面に掲げ、その継続への支持を呼びかけた。確かに、小さな政府による財政バランスの実現や経済発展、外国投資の拡充等について、明確な成果を2~3年で示すのは困難であろう。従って、日本やEUからの援助、日本財団からのボートの寄付など具体的な成果を挙げつつ基本政策の継続を、「Moving forward to a better and more secure future」というスローガンの下で訴えた。赤をシンボルマークにし、コロールのメインストリートのビルに選挙本部を設けた。選挙本部の部屋の中には、カウンターが有り、中に選挙運動事務員が入って対応する近代的形式をとっており、選挙本部はいつも多くの人が集まっていた。
 他方、レメンゲソウ氏は、グラスルーツを全面に掲げ、ジーパンにシャツ、時には短パン姿の庶民的なスタイルで、「Together, we can make tomorrow better」をスローガンに、年金制度などのソフト面も含めた社会インフラ整備や政治の透明性を主張し、反トリビヨン派を広く取り込む運動を展開した。シンボルカラーは青。選挙本部は、コロールからアラカベサンに向かう交差点のすぐ側で、吹き抜けの昔ながらの集会所スタイル。奥にプレハブの小部屋があり、そこにコンピュータと小さな机が置いてある。午前中は2,3人の人が来ているだけで、午後でも特段の集まりが無い限り数人がパラパラと小屋で涼んでいる感じであった。
 2人が、大小の集会を通じ広く運動を展開したのに対し、ピエラントッチ氏は小規模なタウンミーティングで女性を中心にした集まりを行い、討論をしながら支持を広げる方法をとっていた。彼女は、「私は、お金を配るのはもちろん、バーベキューパーティもしないし、シャツを配ることもしない(*8)。支持者には、騒がずにサイレントサポートをと呼びかけている。」と語っていた。かつてエピソン政権時に財務大臣として均衡予算を作成、履行したことや副大統領時代に厚生大臣として医療の質の向上に取り組んだ実績を強調、また実業家としての成果もあることからマネージメントの腕をアピールすると共に、女性の視点から、男性大統領は物理的インフラしか考えないが、精神的インフラが重要として教育の重視を主張。具体的には、学生にiPadを配布しITを通じての教育を提案していた。今回選挙では、若者がフェースブック等のSNSを使って様々な動きを見せていたので、それを意識した部分も多分にあると思われる(*9)。彼女のスローガンは、「Change」。
 9月16日(日)には、予備選を控えトリビヨン、レメンゲソウ両陣営は大々的なキャンペーン集会をコロールで行った。両者の集会も対照的な色合いであった。弁当や飲み物(ソフトドリンクのみ)が参加者に振る舞われ(*10)、歌やダンスが供されるのは同じだが、トリビヨン氏サイドは、シビックセンターの大ホール室内で行儀良く並んだ支持者に有力者や候補者が演説をしていくといういわば近代的な政治集会であったのに対し、グラスルーツを標榜するレメンゲソウ陣営は、ペリリュークラブの庭にテントを張って屋外にバラバラに椅子を置いて座り、随所で音楽に合わせて集まった支持者が踊ったり手拍子したりと、バーベキューこそないものの伝統的なパラオの選挙集会であった。人数的には、概算でトリビヨン陣営が1000人弱に対し、レメンゲソウ陣営は1000人強であった。トリビヨン陣営はバス数台でバベルダオブから支持者を集めていたが、出身のペリリューからも多数が参加したレメンゲソウ陣営に動員では及ばなかった。ピエラントッチ氏は、この日も小規模タウンミーティングを続け、特段のキャンペーン集会は行わなかった。
 レメンゲソウ氏は、ピエラントッチ氏とは共通点が多いとして、自分が予備選で落ちた場合にはピエラントッチ氏を支持すると筆者のインタビューに答えていた。また、ピエラントッチ氏もトリビヨン氏については強く批判するが、レメンゲソウ氏に対しては反トリビヨンという部分において共通していることを認めており、予備選で落選した場合には、レメンゲソウ氏支持になると見られていた。大統領候補の間でも、トリビヨン氏は孤立していた。

 副大統領選では、事前の調査や評判では、クワルティ氏、ベル氏、マリウル氏が優位と見られ、ギライガス氏は出遅れていた。予備選直前の9月3日早朝2人の若者が 2人の若者を襲い、 1人が死亡、 1人が重傷を負った。死亡したのは、副大統領候補のアントニー・ベル氏の息子で、犯人の1人はトリビヨン氏の側近のシート・アンドレス氏の息子であった。ベル氏の息子の葬儀は9月21日で、予備選直前の悲劇でベル氏は選挙運動どころではなくなってしまった。同情票が集まるのか、選挙運動不足が響くのか、副大統領予備選の大きな注目点となった。

〇予備選挙の結果

 当時の現職の正副大統領にとってはまさに大逆風の中での予備選挙となったが、やはり現職は強いので正副大統領とも現職は予備選挙を通るであろうと反トリビヨン派の人々も考えていた。大統領選では、トリビヨン氏とレメンゲソウ氏がほぼ40%ずつで、ピエラントッチ氏は20%程度というあたりが大方の予想であった。

正副大統領予備選結果(上位2名が本選挙に進む)

登録投票者数:15,005、投票者数:9,493(内国外票含む不在票1,547票、投票率63.26%)

大統領候補:
トーマス・レメンゲソウ・Jr. 4,618票(48.6%)
ジャンセン・トリビヨン      3,100票(32.6%)
サンドラ・ピエラントッチ       1,690票 (17.8%)

副大統領候補:
ケライ・マリウル       2,963票(31.2%)
アントニー・ベル       2,851票 (29.7%)
スティーブン・クワルティ   2,556票(26.9%)
ジャクソン・ギライガス     968票 (10.2%)

 大統領選では、予想通り当時現職のトリビヨン氏は予備選を通過した。ただ、事前の大半の予想よりは、レメンゲソウ氏との票差が開いた。海外票を中心とした不在者票が開くまでは、レメンゲソウ氏3,792票、トリビヨン氏2,622条、ピエラントッチ氏1,460票であった。通常海外票では、投票者への浸透度・有名度等により現職大統領が有利である。しかし、レメンゲソウ氏は副大統領2期8年、大統領2期8年勤めており、海外在住者にもその名前は知れ渡っている。結果として、トリビヨン氏は海外票で差を詰めるどころか逆に差を広げられてしまった。
副大統領選では、現職であったマリウル氏に続いて、ベル氏が予選を通過した。国内票では、ベル氏が100票リードしていたが、海外票でマリウル氏が逆転して予選を1位で通過した。

〇本選挙
 トリビヨン氏を厳しく非難していたピエラントッチ氏は、予備選終了後突然態度を変更し、トリビヨン氏支持を表明し、自分の支持者にも大統領本選挙ではトリビヨン氏に投票するように呼びかけた。と同時に、自らはライトインで上院議員に名乗りを上げた。 2000年の選挙で、彼女が副大統領に当選した大きな要因の1つが、コロールの女性第1酋長ビルンの支持であった。今回、ビルンはトリビヨン氏を支持しており、ピエラントッチ氏としては、ライトインで上院議員を目指す上でビルンの支持が必要と考えたものと思われる。ただ、それまでトリビヨン氏を強く批判してきただけに、本人がトリビヨン氏支持に変わったとしても、それまでのピエラントッチ支持者がトリビヨン氏支持に回る理由はないとの反発を受けた。
 単純に数字を見れば、ピエラントッチ氏の1,690票がトリビヨン氏に回れば、トリビヨン氏の逆転当選となる可能性が高い。前回2008年の選挙では、チン氏と立場の近いスランゲル・ウィップス・Sr.氏が本選挙ではトリビヨン氏支持に回り、逆転を果たしているので(この時、息子のスランゲル・ウィップス・Jr.氏がライトインで上院議員選に名乗りを上げ、トップ当選している)、トリビヨン氏サイドとしてもピエラントッチ氏の支持獲得に全力を挙げたと思われる。
本選挙は、 11月6日に行われた。トリビヨン氏は大統領令で選挙日を休日とした。しかし、投票率は68.9%と上がらず、総選挙としては過去に比べて低い数字となった。結果としては、レメンゲソウ氏が差を広げ、大差で当選した。ピエラントッチ氏の支持者の票は必ずしもトリビヨン氏に流れなかった。
 パラオの大統領選挙で、現職の大統領が破れたのは、4回目。そのうちの2回は、大統領暗殺に伴い副大統領から大統領に昇格したアルフォンソ・オイッテロン氏とトミー・レメンゲソウ・Sr.氏(*11)。選出大統領で、再選に臨んで敗れたのはニラケル・エピソン氏1人だけであった。エピソン氏は、戦後パラオの経済界の大物のひとりで、1代でエピソングループを作り上げた立志伝中の人物。1996年の選挙で、突然大統領に立候補し、僅差で盟友であったローマン・メチュール氏を破り大統領となった。行政、政治経験に乏しかったため、大統領として実質的な成果を上げることができず、2期目は予備選で敗退している(*12)。

 副大統領選では、ベル氏が、トリビヨン氏とチームを組んだ現職のマリウル副大統領に逆転勝利した。予備選では、海外票でマリウル氏に約200票差をつけられたベル氏であったが、本選では逆に海外票で100票強リードし、逆転を果たした。とはいえ、ベル氏の得票率は 50.0%弱であり、ギリギリの当選であった(*13)。

正副大統領本選結果
録投票者数:15,397、投票者数:10,603(内国外票含む不在票2387票、投票率68.8%)
大統領候補:
トーマス・レメンゲソウ・Jr.  6,140票(57.9%)
ジャンセン・トリビヨン     4,287票(40.4%)
副大統領候補:
アントニー・ベル        5,303票(50.0%)
ケライ・マリウル        4,847票 (45.7%)

 

(2)国会議員選挙
 上院・下院の国会議員選挙は11月6日正副大統領の選挙と同日に行われた。前回のスランゲル・ウィップス・Jr.氏のライトインでの上院選挙1位当選の影響か、今回は相当な数の人がライトインで当選を目指したが、当選を果たしたのは、下院ソンソル州のユタカ・ギボンズ・Jr.氏だけであった。彼は、南部大酋長アイバドルの息子で高校の教師である。前回ライトインで当選した現職に、今回は彼がライトインで挑戦して当選を果たした。

 上院では現職13人の内11人が立候補し、9人が再選された。今回の上院の選挙結果は、極めて明確な特徴を示している。上院で少数派であった5人が、大統領に3選されたレメンゲソウ氏を除いて圧倒的な支持を得て再選されたことである。上院は、全国1区で定数13人である。投票者は、上院議員に選びたい人間13人を投票する。得票数の1位から13位までが当選となるが、 1位スランゲル・ウィップス・Jr.氏、2位カムセック・エイリアス・チン氏、3位レイノルド・オイローウ氏と上位3位を今までの上院少数派が占めた。前期上院の少数派のもう1人ホッコンズ・バウレス氏も7位当選している。さらに、スランゲル・Jr.氏の弟のメイソン氏も立候補し、4位で当選している。この結果、上院ではチン氏が議長、バウレス氏が副議長、オイローウ氏が院内総務と前期の少数派が上院の要職を独占することになった。ただし、前期の上院多数派から5人が再選されており、上院の勢力関係はかなりシビアな状況となっている。なお、ピエラントッチ氏は2785票で24位にとどまり落選した。また、今回はパラオ人民委員会という政党に近いグループが結成され、共通の政策を掲げ、いわばマニフェスト選挙を行ったが、上院に立候補した6人全員が落選した。

 下院は各州1人計16人から構成されている。今回選挙では、オギワル州を除く15州で現職が立候補したが、 7人が落選し、定員16人の内半分の8人が入れ替わった。上院に比べると下院は、それほど現職が強くない傾向にはあるが、半数の入れ替わりは珍しい(*14)。

<2>2012年は「危機の年」
(1)2012年の概観
 パラオの2012年は様々な災厄に見舞われた年であった。前年の2011年11月5日にパラオの電力供給の中心を担っているアイミリキ火力発電所が火事になり、コロール及びバベルダオブ本島の多くの地域で電気がストップした。トリビヨン大統領は、憲法に基づき非常事態を宣言した。非常事態宣言下においては、 即座に具体的に救援するのに必要な立法権限を大統領が持ち得る。ただし、パラオ憲法8条14項の規定によれば、非常事態宣言を発することができるのは、「戦争、外部よりの侵略、人民反乱、又は自然災害によってパラオ市民の相当数の生命、財産が脅かされる場合」となっており、火事による火力発電所事故に伴う電力供給問題は、非常事態宣言の対象となっていない。この点につき、アレン・シード氏より違憲提訴があり、最高裁判所は2012年6月に違憲の判決を下した。この例に漏れず、トリビヨン大統領は、様々な場面で違法性を追求されたり、自らの要望が裁判で認められなかったりしたことが多く、パラオで最も高名な弁護士であるトリビヨン氏が、大統領の法遵守のレベルを下げたと非難された。
 2012年の4月には、カヤンゲル沖合で不法に漁を行っていた中国の漁船が発見され、パラオの警察が追跡したが、停止命令に応じなかったため、警官が漁船のエンジンに向けて発砲し、その流れ弾により中国人漁船員1人が死亡した。他の25 人の船員は逮捕されたが、外交交渉により、罰金を支払って中国に帰国した。中国人漁船員は自分たちの漁船に火をつけ沈めようとしたといわれている。この中国の漁船の証拠写真を撮影のために、警官を乗せた軽飛行機が捜索に飛び立ったが、燃料切れになり海に墜落。飛行機も、乗っていた警官2人とアメリカ人操縦士も発見されず、全員死亡と判断された。パラオでは、単なる密漁船ではなくスパイ船であったと推測している。この事件について、トリビヨン大統領は、パラオには軍隊はなく、海上での不法行為に対して対応が困難なため、アメリカに基地を作って常駐してもらいたい旨の発言を行い、物議を醸した。
 5月11日には、看護師のストライキが行われ、103人の看護師が署名した意見書が発表された。基本的には、給料を含む待遇全般に対する改善要求が受け入れられないことに対する抗議であり、厚生省の下に統一的な機関を設けることや看護師の確保などを要求した。
 8月には水道ポンプが破損し、アイライとコロールでは給水制限が行われた。かつては当たり前であった給水制限も、大掛かりなものは近年なかった。
 12月3日早朝に記録が残っている限りで最大の台風「ボーハ」がパラオを襲った。パラオとチュックの間が台風の発生地であり、次々と発生する台風の影響で海が荒れることは良くあるが、台風の多くは北東方向に移動していくので、直撃はあまりない。ただ、直撃を受けると海からそのまま小さな島に上陸するので被害は大きい。今回上陸したボーハは、過去最大の台風であり、バベルダオブ北東部分、ペリリュー、アンガウルでは多くの家が破壊され、インフラも打撃を受け、タロ芋にも大きな被害が出た。この台風に際しても、非常事態宣言が発令された(自然災害に対するものであるので、憲法上の問題は無い)。日本、アメリカ、台湾などが緊急援助を行った。
 こうした個別の「危機」以上に深刻なのは、ここ1~2年の間の凶悪犯罪の発生である。元々 、クランや親戚を中心とした助け合いによりサブシステンス社会をベースにしているパラオでは、政治上の対立を除けば治安は極めて良かった。9月予備選直前に アントニー・ベルス氏の子息が殺された事件では、犯人は鉈で襲撃したとのことである。2月には、日本レストランの日本人コックが店のすぐ前で刺殺された。8月には、ジョギング中の外国人女性が強姦未遂にあうという事件もあった。 2011年には、コロールの中心アサヒ球場脇でフィリピン人女性が刺殺されている。凶悪犯罪のこのような多発は、今までなかったことである。車の中に荷物を置いて外に出ると、鍵や窓ガラスを壊されて物を取られると言ういわゆる車上荒らしは昔から多かったが、身体に危害を加えることはほとんどなかった。熱帯に位置するパラオには、マリファナが多数自生しており、多くの人がマリファナを吸っている。法律では禁止されており、警察は年に1回大々的にマリファナを刈り取り、焼き捨てることも行っている。しかし、 6月に発表された国連の調査では世界でも最もマリファナが蔓延している地域に挙げられている。ただ、マリファナでは従来このような凶悪事件は起きておらず、近年強い麻薬が入り込んでいて、それを使用している若者が凶悪事件を起こしていると一般に言われている。にもかかわらず、麻薬の取り締まりは進んでおらず、徐々に深刻な状況になることが懸念される。
 また、助け合いの強いパラオでは、自殺は極めて少なかったが、近代化・西欧化に伴い増えてきている。それも、ここ数年急増しており、社会の変化に伴い人々の生活システム自体が本来のパターンから変化してきていることを示している。
 コンパクト道路のお陰で、バベルダオブ本島の人達はコロールに車で通勤・通学出来るようになった。それまでコロールの親戚の家に寄宿していた高校生は親許からバス通学出来るようになった。このバスの無料運行も、トリビヨン氏は成果の一つとしてあげていた。生活は便利になったが、生活パターン・社会システムは着実に変化している。

 一方で、 7月にはパラオが誇るロックアイランドがユネスコの世界遺産に登録された。観光客は2011年に初めて10万人を超えたが、2012年はさらに9%弱増加し、11万8,754人を記録した。これについて、トリビヨン氏は、自分の大統領任期中に観光客は10万人を超えさらに増加をしている事実を実績の1つに挙げていたが、反トリビヨン陣営の人たちの間では、 10万人は現在のパラオのインフラやホテル等の施設からみて受け入れの限界に近い(或いは限界を超えている)との意見が強い。実際、天気が良い日だと、ロックアイランドの上陸が許されている島は観光客で一杯であり、のどかで美しい「海の楽園」は時としてラッシュ状態になっている。

(2)困難な状況の中でスタートする3期目のレメンゲソウ政権
 パラオで初めて大統領として3期目を務めることになったレメンゲソウ氏だが、まさに荒海への航海になる。
 ここ数年起こっている凶悪犯罪への対応は、麻薬対応と同時に緊急の課題である。ただ、これら凶悪犯罪が麻薬の影響のみに寄るものとは言い切れない。1994年の独立後20年近くなるが、その間にパラオ社会は急速に変化している。この変化がもたらす国民の意識や生活慣習の変化をどう受け止め、どのような社会として確立したものにしていくのか。根底には、進む消費生活に比して、増加しない収入の問題がある。国家収入も増加しておらず、トリビヨン政権下では予算で認められた支出をオーバーする違法状態も招いた。今後急速に増える年金支払いに対し、資金不足が明らかになっている。外国人の投資をしやすくしたものの、小規模投資が多く、観光客の大幅増大にも拘わらず、トリビヨン政権下では大型ホテルの新設はなかった。コンパクト道路はあちこちで陥没や土砂の崩落が見られる。首都移転が果たされても、マルキヨクの居住者は300人程度である。おそらく世界で一番人口の少ない首都であろう。

 こうした難問に対し、レメンゲソウ新大統領は、既にタスクフォースの立ち上げを含む対応に乗り出しているが、問題は巾広くそして根深いものになってきており、早急な解決は必ずしも望めない。レメンゲソウ氏の今回の圧勝は、彼の人気によるというより、トリビヨン氏の不人気によるところが多かったと言っても過言ではない。それは、パラオが厳しい現実に直面していることを意味してもいる。1994年の独立の際、レメンゲソウ氏は副大統領だった。独立20周年は3期目の大統領として迎える。将来に向けて大きな曲がり角にあるパラオを、彼はどの方向に向け、どのように将来への道筋をつけ、その礎を築くのか。現状では全く見えていない経済自立への道を付けることができるのか。今後のパラオにとって重要な4年間になろう。

<上院選挙結果>☆当選、*は選挙時現職

☆Surangel Whipps Jr. 7,411
☆Camsek E Chin 6,916
☆Raynold R Oilouch 6,640
☆Mason Whipps 6,121
☆Phillip Reklai 5,382
☆Mark U Rudimch 5,336
☆Hokkons Baules 5,195
☆J Uduch Sengebau Senior 4,391
☆Mlib Tmetuchel 4,332
☆Rukebai Inabo 4,189
☆Kathy Kesolei 4,163
☆Regis Akitaya 3,956
☆Joel Toribiong 3,756
Greg Ngirmang 3,715
Alan Seid 3,701
Earnest Ongidobel 3,654
John Skebong 3,533
Regina K Mesebeluu 3,477
Salvador Remoket 3,468
Laurentino Ulechong 3,404
Alan Marbou 3,275
Alfonso Diaz 2,870
Paul W Ueki 2,827
Sandra Sumang_Pierantozzi(Wright-in) 2,785
Dr Caleb Otto 2,582
Roman Yano 2,130
Dilmei Olkeriil 1,996
Santy Asanuma 1,956
Moses Uludong 1,696
J Risong Tarkong 1,682
Gale Ngirmidol 1,250
Robert Becheserrak 616
Semdiu Decherong(Wright-in) 525
Ismael Worswick (Wright-in) 265

<下院議員> 各州1人。☆が当選。*は立候補時の現職。

1.コロール選挙区 (Koror State)
☆Alexander Merep * 1,382
Salvador Tellames 753
Felix Francisco 800
2.アイライ選挙区 (Airai State)
Tmewang Rengulbai * 448
☆Frank Kiyota 463
3.ガラルド選挙区 (Ngaraard State)
☆Gibson Kanai * 391
Priscilla Subris 154
Martin Sokau 250
4.アルモノグイ選挙区 (Ngeremlengui State)
☆Swenny M. Ongidobel * 216
Portia K. Franz 199
5.エサール選挙区 (Ngchesar State)
Secilil Eldebechel * 187
☆ Sabino Anastacio 224
6.カヤンゲル選挙区 (Kayangel State)
☆ Noah Kernesong * 169
Edwin Chokoi 126
Florencio Yamada 39
7.アルコロン選挙区 (Ngarchelong State)
☆ Marhence Madrangchar * 314
Masao salvador 254
Don Bukurou 95
8.オギワル選挙区 (Ngiwal State)
Eugene Usin Termeteet  140
Francis X.Llecholch 95
☆Masasinge Arurang 178
Pablo Rrull   73
9.マルキョク選挙区 (Melekeok State)
☆Lencer P. Basilius * 278
Brian Malairei 150
10.アイメリーキ選挙区 (Aemeliik State)
Kalistus Ngirlurong * 236
☆Marino O. Ngemaes 340
11.ガラスマオ選挙区 (Ngardmau State)
Rebluu Kesolei * 129
☆Lucio Ngiraiwet 145
12.ガスパン選挙区 (Ngatpang State)
Jerry Nabeyama * 114
☆ Lee Otbed 122
13.ペリリュー選挙区 (Peleliu State)
☆Jonathan “Cio” Isechal* 206
Joseph Giramur 168
Charles Desengei Matsutaro164
14.アンガウル選挙区 (Angaur State)
Horace N. Rafael * 134
☆Mario Gulibert 158
15.ソンソル選挙区 (Sonsorol State)
Celestine Yangirmau * 76
☆Yutaka Gibbons Jr.(Write-in)93
16.トビ選挙区 (Hatohobei State)
Wayne Andrew * 48
☆ Sebastian R. Marino 50

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<トミー・レメンゲソウ・Jr.大統領略歴>
1956年2月28日、コロール生まれ。ミシガン州立グランドバレー大学で犯罪学 の学位を得る。その後、ミシガン州立大学で政治学の修士課程を収める。
1984年、 28歳で最年少の上院議員。 1985年~1992年上院議員
1992年、 36歳で最年少の副大統領。 1993年~2000年副大統領。
2000年、 44歳で最年少の大統領。 2000年~2008年大統領。
2008年~2012年上院議員。
2013年、パラオで初めて3期目の大統領に就任。

<アントニー・ベルス副大統領>
1948年7月 6日生まれ、ガラルド州出身。モンタナ大学で経済の学位を取得。
パラオ高校教師、コロール州マネージャー、年金管理官などを務める。
1996年、ガラルド州下院議員に選出。 2008年まで3期(第5期~第7期)連続 で務める。第6期及び第7期は下院議長。
2013年、副大統領就任。

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(*1) 1988年の大統領選挙で、 1位のニラッケル・エピソン氏と2位のローマン・メチュール氏の票差が31票で、開票を巡り裁判となった。僅差によるトラブルを回避するために、1992年の選挙から、候補者が3名以上の場合には予備選挙を行い上位2名で本選挙を行うこ*とになった。
(*2) 2004年の総選挙の際に行われた憲法修正国民投票で、正副大統領選挙のランニングメイト制が認められた。結局、ランニングメ
イト制での正副大統領選挙は、 2008年の1回で終わった。
(*3) パラオ共和国憲法8条4項
(*4) 今までに2期連続して大統領に当選したのはハルオ・レメリク氏、 クニヲ・ナカムラ氏、トミー・レメンゲソウ・Jr.氏の3人。ハルオ・レメリク氏は2期目に暗殺されている。
(*5) 2000年の選挙では、叔母ー甥の関係に有るサンドラ・ピエラントッチ氏とアレン・シード氏が共に副大統領に立候補し、サンドラ氏が当選した。
(*6) わが国では地方自治法8条により、市は原則として人口5万人以上と定められている。
(*7) パラオの選挙(正副大統領、国会議員とも)では、立候補の届け出をした者は投票用紙に名前が印刷され、投票者はその中から自分が投票したい人にマークを付ける形が取られているが、これら立候補届出者とは別に、自分が選出したい人間の名前を直接書き込む欄が設けられている。これをライト・インと呼んでいる。立候補届け出をせずに、ライト・インでの投票を訴える人もいる。 2004年には、スランゲル・ウィップス・Sr.氏が大統領予備選で敗退した後に、長男のスランゲル・ウィップス・Jr.氏が、上院議員へのライト・インでの投票を呼びかけ、トップ当選した。
(*8)パラオでは、選挙の際に、支援者に候補者名やスローガンを印刷したシャツや帽子を配ることが普通に行われている。正副大統領候補だけでなく、上院議員候補などもよく行っている。今回、トリビヨン氏は赤のTシャツを、レメンゲソウ氏は青のポロシャツを配っていた。
(*9) 老齢の人たちは、今回は皆、若者はネットを使って選挙に関する意見・情報の交換などをして若者達なりの判断をしており、親の言うことを聞かないので、昔のように一家が同じ候補を応援することがなくなってきた、と語っていた。
(*10) 片方或いは両方の集会で弁当と飲み物だけ貰って帰る人がいるのも当たり前の風景である。
(*11) パラオでは、大統領職が空席になった場合、副大統領が継承すると憲法で規定されている(8条11項)。この場合、副大統領から昇格した大統領も正式な大統領として歴代大統領に数えられる。区別をするために、選挙で選ばれた大統領を「選出大統領」と呼んでいる。今までに、2人の大統領が暗殺されており、副大統領からの昇格のケースは2回ある。
(*12) エピソン大統領の最大の政治成果は、任期最後に自らのリードで住民発案で、「自由連合協定締結に当たっては、 13条6項の非核条項は適用されず、国民投票による過半数の賛成で承認される」との憲法修正を実現したことである。
(*13) 正副大統領及び国会議員の選挙に当たって、有効投票総数の何%以上の獲得を必要とするという要件はパラオにはないので、マリウル氏の得票率が50%をわずかに下回っていたとしても、当選には何の問題もない。但し、今回は、予選を3位で通過できなかったスティーブン・ クワルティ氏が本選挙でライトインを呼びかけ172票を獲得、その他のライトインが34票、白票が215票あり、これらの票の動向ではマリウル氏の当選もどうなっていたか分からない状況であった。
(*14) 前回2008年選挙では国会議員の立候補は、上院下院あわせて3期までという制限がかかったため上院でも大幅な入れ替えが起こったが、これはベテランが立候補できなくなった特殊事情に依る部分が大きい。

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