この増加については、2011年の拙稿でも指摘したが、太平洋島嶼国内8ヵ国が締結してナウル協定に基づく加盟国内の取引枠の売買などの島嶼国側による水産物輸出戦略の影響も否定できない(*4)。そのことからも安易に東日本大震災の影響と島嶼国からのカツオ・マグロなどの輸出の拡大を結び付けることは危険であり、現地での流通関係者などへの聞き取り調査などをもとにした詳細な分析が必要になるだろう。また、この輸出量の拡大が被災地の復興に伴い、再び減少するのかなどの中長期的な分析も必要となるかもしれない。いずれにしても、東日本大震災のようなグローバル規模で世界経済に影響を与えるような事態が、太平洋島嶼国の輸入額の変化にも影響を与えていると思われる動きが統計上にも反映されていることは興味深い事実である。
以上のように、太平洋島嶼国全体としては、日本への貿易量は減少した一方、カツオ・マグロなどの水産物に関しては、全体としてやや増加傾向が確認された。このように、個別にみた場合は、様々な要因により新たな輸出品目の出現や、従来から存在していた潜在的な輸出品目への再確認がなされる事態も、統計データの分析から見出すことができる。本章では、地域別(メラネシア・ポリネシア・ミクロネシア)に確認できる日本への輸出品の動向について分析しながら、その要因となった背景について確認していく。
(1)メラネシア地域
表3 メラネシア4国の2011年データ
メラネシア4国(フィジー、パプアニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツ)から日本への輸出額は、太平洋島嶼国全体の約94%を占めている。
メラネシア地域から日本への輸出品目の特徴として、原料品の割合が大きいことである。とりわけ、パプアニューギニアからの金・銅など鉱物資源に代表される金属原料が大きな割合を占めており、メラネシアからの輸出品額の全体の70%を占めている。この割合は今後ソロモンでのニッケル鉱山の開発や、ブーゲンビルからの銅の生産の再開などが始まるとますます大きな割合を占めるようになることが予想される。また、この地域の輸出品の代表とも言える木材輸出もメラネシアからの輸出額全体の6%を占めている。とりわけパプアニューギニアでは住友林業系の木材企業が早くから進出しており、またフィジーでも日本の大手商社により木材チップの輸出が進められている。また、金額的には少ないものの、原皮・毛皮類の輸出も行われている。これはワニ皮であり、パプアニューギニアは日本にとって最大の鰐皮の輸入先相手国である。また輸入量の全体の7%を占める鉱物性燃料、とりわけ石油の割合にも注目していく必要がある。この割合は近年縮小傾向にあるものの、2014年からは本格的に液化天然ガス(LNG)の輸出が開始され、この割合は今後拡大することは確実である。
原料品に続いて大きな割合を占めるのが、食料品・動植物生産品部門(以下、「食料品、~」)であり、全体の約16%を占めている。この割合が90%を占めているポリネシアやミクロネシア地域との最大の違いとも言える。とはいえ、その内訳においては魚介類の割合が大きいのは他地域と同様で、「食料品~」品目の約80%を占めている。なかでもフィジーとバヌアツからの輸出が大きく、冷凍のキハダマグロやビンナガマグロが日本に輸出されている。また、近年輸出額が拡大傾向にある食料品としてパプアニューギニアのコーヒーが挙げられる。2011年は、グアテマラやエクアドル、ホンジュラスなどの中米地域からの輸出量が急激に増えたため日本のコーヒー輸入先のランキングは2010年の8位から10位に後退したものの、輸出額は前年比6%増と順調に輸出量を拡大している。また、フィジーにおける「加工食料品」は、天然飲料水である。とりわけ、フィジーの代表的な天然水ブランドである「フィジーウォーター」は、体内でコラーゲンを作るのに必要なシリカ(二酸化ケイ素)を豊富に含んでいるということで、米国映画スターなどのセレブ層を中心に広く知られている(*5)。この影響もあり、日本でもネット販売を中心に「ブランド水」としての地名度を高めてきている。また、輸出金額としては小さいものの、2007年以来4年ぶりに生鮮パパイヤの輸出が開始された。以前は、日本のパパイヤ輸入先第4位を占めていただけに、今後も拡大が期待される。
国別でみた場合に、圧倒的に大きな割合を占めているのがパプアニューギニアである。その日本への輸出額の割合は、メラネシア4国全体の約86%、太平洋島嶼国全体からみても80%以上を占めている。パプアニューギニアの場合、上記の金属資源、木材、コーヒーなどに加え、日本の輸出先第4位を占めるバニラビーンズなど特定の分野では日本の中でも重要な輸入相手先として認識されており、今後はLNGなどのエネルギー資源の新たな供給先として日本国内での知名度向上を進めると同時に、既存の貿易品の拡大を進めていくことが求められる。
パプアニューギニアに続く輸出国であるフィジーは木材や水産資源など日本国内でも一定の重要な輸入相手先として認識されている。また最近は在京大使館を中心に官民上げて日本市場への貿易の拡大を進めており、上記の飲料水やパパイヤなどが代表的な存在と言える。2009年のエアパシフィックの成田・ナンディ間直行便の撤退は、観光のみならず貿易にとってもマイナスではあるが、今後も積極的な日本の市場開拓を進める中で、南太平洋における重要な貿易相手先としてその存在を高めていくことが期待される。さらに、ソロモン諸島やバヌアツも食料品や木材資源の輸出に加え、レアメタルなどの鉱物資源や医療分野で注目される有用植物資源の発見(*6)などの新たな資源の宝庫として、今後の貿易の拡大が期待される地域と言えるだろう。
(2)ポリネシア地域
表4 ポリネシア5国・地域の2011年データ
ポリネシア5国・地域(クック諸島、ニウエ、サモア、トンガ、ツバル)から日本への輸出額は、太平洋島嶼国全体の約1.8%に過ぎず、3地域の中でもっとも輸出額が少ない地域である。これは日本市場に最も遠いという物理的な距離の隔たりが大きく影響している。
ポリネシアからの輸入額の96%以上が「食料品、~」である。なかでも多くの割合を占めているのは魚介類であり、全体の86%に及ぶ。魚介類の内訳を見た場合に特徴的なのは、メラネシアやミクロネシアにおいて、魚介類のほとんどがマグロ・カツオ類であるのに対して、ポリネシアでは魚のフィレの割合が大きいことである。もちろん、PNA加盟国でもあるツバルからは冷凍のキハダマグロやメバチマグロが日本に輸出されているが、特徴的なのはクック諸島からの輸出されている魚介類の99%が、マグロ・カツオ以外の魚であることだ。そのほとんどが高級魚として知られる金目鯛であり、多くはラロトンガ周辺で漁獲された後、中国で加工され日本で流通している。
国別でみた場合には、金目鯛の輸出を拡大させているクック諸島の割合が大きく、ポリネシア全体の3分の2以上(69%)の金額を占めている。ただし、日本への輸出を見た場合にポリネシアで存在感が大きいのは、トンガの方であろう。金額こそポリネシア全体の13%程度に過ぎず、マグロの輸出額が大きいツバルより少ないものの、日本へ輸出している品目のバリエーションは豊富である。1980年代以降、太平洋島嶼国からの輸入品の成功事例として知られたカボチャはもちろんのこと、近年では関西地域を中心にサトイモの輸出量が拡大している(*7)。こうした背景には、トンガ政府による積極的な商品作物の市場拡大に向けた取り組みが挙げられる。トンガ政府は、有力な商品作物を探るための市場視察に対して、積極的に民間企業を支援している。この民間支援プログラムを利用して、1980年代にはトンガの新進気鋭のビジネスマンであったフェレティ・セベレ(後の首相)が関西地域へのカボチャの輸出を成功させており、近年でもトンガ商工会議所の有力理事の一人であるポーシマ・アフェアキがサトイモの輸出を成功させている。もちろん、日本市場の成功には、太平洋諸島センターなどの国際機関や日本側企業の協力がなければなしえなかったわけだが、その一歩を踏み出すきっかけとなる支援としては重要な意味合いを持っている。
近年トンガが輸出の拡大を進めている商品作物がモズクである。モズクは、極めて限れられた地域にしか生息しない希少な海藻であり、同時に環境の変化により生産高が大きく影響を受ける水産資源である。日本でもかつては天然のモズクが各地で生産されていたが、現在は沖縄で生産される養殖モノが流通のほとんどを占めている。しかしながら、海水温の微妙な変化で取れ高が変化するため、エルニーニョなどの影響で海水温が上昇した場合にはモズクの生産量が激減する。この時に、代替地として注目されたのが、トンガの首都ヌクアロファがあるトンガタプ島である。同島には、世界でも数少ない天然のモズクの存在が確認されている。1990年代より断続的に日本に輸出を行っていたものの、乱獲をするとすぐに生産量が激減する負のスパイラルに陥り、これまで安定した輸出を行うことができなかった。そこで、トンガ政府はモズクの乾燥加工の技術を導入してモズクを安定的に輸出できるように試みる一方で、日本に対して市場の拡大を進めている。その結果、2011年には4年ぶりにかなりの量の輸出が行われた。
このように、日本市場への積極的な開拓を進めるトンガとは対照的に、日本への輸出に関しては存在感が小さいのがサモアである。人口・面積ともにポリネシア地域で最大であるにもかかわらず、日本への輸出額はニウエを除いては4ヵカ国で最も少なく、2011年においては全体の0.1%にも満たない。商品の種目でもノニジュース以外にはほとんどない状況である。しかしながら、こうした日本への輸入品の少なさが、そのままサモアからの魅力的な貿易品目が潜在的にないということを示しているわけではない。現実にサモアからはニュージーランドに生鮮野菜などの輸出は行われており、またチリソースやチョコレート製品などは、オークランドなどで大々的に宣伝を行い、輸出拡大を図っている。むしろ、サモアから日本への輸出が伸びないのは、その市場への距離や運搬コストの高騰などの物理的な距離と同時に、馴染みのなさという心理的な距離にも影響していると思われる。2012年1月にはサモアに日本大使館も開設されたこともあり、これまで親しい関係を続けてきた日・サモア両国の関係が今後は経済面も含めさらに身近になることを期待したい。
(3)ミクロネシア地域
表5 ミクロネシア5国の2011年データ
ミクロネシア5国(*8)(ミクロネシア連邦、キリバス、マーシャル諸島、ナウル、パラオ)から日本への輸出額は、太平洋島嶼国全体の約4.5%である。その割合の特徴といえば、輸出額全体の95.5%が魚介類であり、さらに魚介類全体の約92%が生鮮・冷蔵あるいは冷凍のカツオ・マグロの輸出が占めている。
世界市場の中でもこの地域の国々は、日本へのマグロ・カツオ輸出先として大きな割合を占めている。国別でみた場合でも、生鮮のメバチマグロの輸入先として、パラオ(2位)、マーシャル諸島(6位)、ミクロネシア連邦(9位)が上位に位置づけられており、生鮮のキハダマグロや冷凍のカツオにおいても、これら3国やキリバスは日本にとって重要な輸入相手国と言える。ミクロネシア3国はすべてナウル協定に加盟している国であることから、漁獲枠をめぐり日本や東アジアの国々とますます激しい交渉が行われる。と同時に、これまで太平洋島嶼国は、外国籍漁船に漁場を提供するという存在であったが、自分たちで漁獲し輸出するという意識へと変化していく姿勢をみせているだけに、今後マグロ・カツオの輸出量が拡大していくことが予想される。
このようなカツオ・マグロが中心のミクロネシアからの輸出品に対して、近年少しずつではあるが拡大傾向がみられる輸出品として、「その他の動植物生産品」の品目に位置づけられる熱帯魚などの室内水槽用観賞魚が挙げられる。とりわけ、この分野に力を入れているのはマーシャル諸島とキリバスである。両国は環礁国という地理的な条件もあり、ラグーン内に様々な種類の熱帯魚が生息している。一方、日本でも2000年代以降になり家庭やオフィスに室内水槽を装飾することが少しずつ定着していく中で、当初輸入先の中心であったインドネシアやフィリピンなどの東南アジア諸国から、新しい産地へと関心が向けられていくようになった。マーシャル諸島では、1990年代後半より、欧州向けにシャコ貝などを鑑賞用として輸出していたこともあり、日本からの需要に対して対応できる体制が整っていた。そのため、2000年代半ば以降、平均30万米ドルの熱帯魚類の輸出が行われている。この分野はニッチ市場であり、急激な拡大を期待することはできないものの、一定数ながら新しい種類の熱帯魚を求める意欲的な愛好家が存在するため、今後ミクロネシア地域はもちろん、太平洋全体にとって新たな輸出品に成長する可能性が期待される。
魚介類の輸出が中心のミクロネシア地域において、若干ユニークな存在と言えるのがナウル共和国である。特に2011年の統計データにおいて、最も大きな輸出額の増加としてインパクトを与えたのが、「非金属鉱物」品目の登場であった。これはナウルをかつて世界有数の裕福な国家に押し上げたリン鉱石の日本への輸出を意味している。日本へのリン鉱石の輸出のデータが登場するのは、『統計ハンドブック』が1996年に作成されて以来初めてであった。
ナウル共和国のリン鉱石は1980年代までは潤沢な国家財政を支えていた。90年代以降にはほぼ枯渇し、それに伴い国家財政も逼迫していった。しかしながら、放漫財政とリン鉱石の輸出で得た資金を利用したホテル投資などの運用の失敗の結果、国家は破綻状態と状況になった(*9)。2005年末には、国家再建の一環としてリン鉱石採掘事業を行ってきた国営公社は解散し、ナウル共和国リン鉱石公社を設立した。同社は豪州企業と契約して、初期の採掘の際に残った石灰柱の先に残るリン鉱石を集める「2次採掘」を再開し、この生産を維持していけば、30年ほどは採掘を続けることができるとしている(*10)。
一方で、日本側がナウルからのリン鉱石の輸入を再開した理由としては、一つには安定的な資源の輸入先を求める経済環境が影響している。とりわけ、日本のリン鉱石の最大の輸入相手先である中国に依存し過ぎることは、レアメタルの輸出制限をめぐる問題に代表されるように資源の安全保障上望ましい事態ではない。
加えて重要なのは、品質をめぐる問題である。ナウルのリン鉱石は、太平洋の絶海の孤島に立ち寄るアホウドリをはじめとした渡り鳥の糞の堆積により作られたものである。そのため、島であることから水分が多いというデメリットはあるものの、純度が極めて高いという特徴がある。不純物の割合が多い中国産や、土壌の影響で放射能の割合が高く出てしまうナミビアなどのアフリカ産といった、リン鉱石の生産国と比べた場合に、決して見劣りする品質ではなかった。ゆえに、単独では生産量が少なすぎるものの、他の生産地のモノと混ぜることで十分商品としての価値を見いだせるのである。
ただし、日本は今後リン鉱石の輸出量を拡大していけるかと言えば、それほど容易ではない。上述の通り、現在ナウルのリン鉱石公社の下で経営が行われているが、同社はリン鉱石の輸出に際して豪州など3つの企業に独占販売権を与えており、日本はそこと取引をしなくてはならない。国家財政の立て直しを進める上で、過剰な採掘はできないと同時に、輸入を望んでいる各企業やその企業の所属する国に対して同国への経済支援など貢献に基づいてその割り当て量を決定しているという噂も出ている。これまで世界有数の裕福な国としてナウルへのODA支援は限定していた日本にとっては、現状は決して有利な状況とは言えない。今後、同国のリン鉱石の輸出を考える上でも資源外交という視点を持つことも可能性として考える必要があるのかもしれない。
4.考察~太平洋島嶼国からの産品輸出拡大に向けた条件~
以上、太平洋島嶼国地域から日本への輸出の動向について、3地域ごとのその特徴を見ながら、各地域にみられる特徴について検討した。本章では、その特徴を踏まえながら、太平洋島嶼国が日本への貿易を拡大していく上で重要な視点について考察していく。
一つは、ニッチ市場への積極的な進出と、その市場でのコアな顧客(愛好者)を捉えるためのブランド化という視点である。太平洋島嶼国は面積・人口共に極めて限られており独自の市場のみでは十分な経済発展が望めないと同時に、一部のメラネシア地域の鉱物・エネルギー資源などを除き、欧米やアジアなどの巨大市場で満足できる大量供給を行えるだけの能力は持ち合わせていない。また、世界市場からの隔絶しているため輸送コストなどがかさみ、他の地域との価格競争では不利に働いてしまう。そうした中で、生き抜いていくためには、端境期や独自性などの特徴をもとに付加価値のある商品を生産・開発して、欧米などのニッチ市場に進出していくことがまず第一歩として必要であると言えよう。その点で言えば、トンガが市場開拓を進めているモズクや、ミクロネシア地域でみられる観賞用熱帯魚の輸出は、それぞれの地域にしかいない独自の商品を、ニッチではあるが市場側の高いニーズに基づき提供しているという意味で、供給量の安定性を保てば、中長期的な貿易を可能とするだろう。
ただし、それだけでは市場側のニーズが変化した場合にすぐに付加価値がなくなり、輸出量が激減するという事態を迎える。1980年代に端境期を利用して生産量を伸ばしながらも、北海道を中心とした国内の生産期間の延長と、メキシコなどの競争相手の出現で、輸出量を縮小させたトンガ産カボチャの展開はその好例と言える。こうした事態を避けるためには、次の展開として、ニッチ市場内で確立した地位を確固たるものとするためブランド化を図るということである。生産量は拡大しないまでも、品質のオリジナリティや希少価値などをブランドという形で市場において広報していき、そのブランドを付加価値にして、顧客に売り込んでいくという戦略である。ブルーマウンテンというブランドの下に他のコーヒー生産・輸出国と比べて、単価が高いにもかかわらず日本市場で安定的な輸出を続けているジャマイカの事例などが代表といえるだろう。この段階にまで進んだ輸出事例は、太平洋島嶼国では見当たらないものの、米国での人気をもとに徐々に拡大しつつある「フィジーウォーター」などは、その事例の萌芽ということができるのかもしれない。
一方、品質や付加価値などの輸出品の問題とは別に、重要なのは、その輸出品を提供する島嶼国側の姿勢である。すなわち、日本市場に継続的に商品を提供していくと共に、日本市場のニーズを継続的に把握し、即座に反応できるよう官民を挙げての市場拡大戦略の実施していく姿勢である。その点で言えば、トンガは1980年代以降、国家をあげて日本市場に対して注目した政策を取っている。もちろん、中心となる市場は移民をたくさん抱えている、豪州やニュージーランド、あるいはハワイを中心とした米国であることは否定できない。ただし、皇室・王室関係に始まり、ラグビーなどを通じた草の根の交流の中で生まれてきた人的交流を拡大させながら、カボチャ、サトイモ、そしてモズクという商品作物を日本市場に提供していったトンガの官民挙げた貿易拡大へ姿勢は、他の太平洋島嶼国も見倣習うべきである。また、在京大使館を中心に日本の経済界に積極的に働き掛けて、飲料水やパパイヤの輸出を再開させていったフィジーの取り組みも大いに評価すべきである。
さらに言えば、こうした各国の努力と同時に、日本側の企業やあるいは政府機関による献身的かつ継続的な貿易への支援も重要である。キリバス共和国のクリスマス島で生産している天然塩も、日本の塩田技術を現地の人々に提供して、生産量を向上させるという「開発投資」という手法の賜物と言える。また、日本への直接の輸出にはつながっていないものの、1990年代初めからサモアに進出し、自動車のワイヤーハーネスの生産を行っている矢崎サモア工場の事例も、日本からの投資であると同時に日本の生産方式の現地への技術支援という形でとらえることもできるだろう(*11)。
5.おわりに
以上のように、本稿では2012年に発表された統計ハンドブックのデータを利用しながら、2011年の日本と太平洋島嶼国の間の輸出動向を把握すると同時に、3つの地域別の輸出品の特徴を分析しながら、太平洋島嶼国から日本市場で成功させるための条件について検討した。2011年3月の東日本大震災の影響は、太平洋島嶼国にとっても全体の貿易額の減少という形で現れたように見えるものの、個別の品目を見ると、必ずしもマイナスに働いているばかりではなく、カツオやマグロの輸出のように増加傾向を示しているものも確認された。こうしたことから、全体としては島嶼国側から日本への輸出は拡大傾向を示しており、この傾向はパプアニューギニアでのLNG開発に代表されるエネルギー資源の輸出が始まる2014年以降も続くものと思われる。一方で、こうした鉱物エネルギー資源のような大量生産輸出品とは別に、ポリネシアやミクロネシアの多くの国々では、魚介類を中心とした水産資源が日本への輸出品の大部分を占めている。こうした水産資源に偏り過ぎる状況に対して、いくつかの国々ではニッチな市場に対応した新たな輸出商品が出現・再開されており、2011年のデータではその傾向が数字として示された。こうした新しい輸出商品をもとに太平洋島嶼国からの貿易の輸出の拡大を進めるためには、市場に適した輸出品の生産・開発、輸出品を生産する太平洋島嶼国側の研究と継続的な市場への働きかけ、そして日本側の太平洋島嶼国の発展に協力する献身的な支援の姿勢、の3つの条件が整っていくことが必要であるとおもわれる。今後、こうした条件に適った新たな輸出品が太平洋島嶼国から現れることを期待して止まない。
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(*1)Pacific Islands Forum Secretariat/ Aug.8, 12
(2)「日本と太平洋島嶼国との貿易に関する統計分析-2006年から2010年を中心に-」『パシフィックウェイ』通巻138号、2011年8月、13-30頁
(*3) 本稿で引用したデータの典拠もとである『統計データハンドブック』には太平洋島嶼国と日本との各国別輸入・輸出量データや品目別の輸出量データが掲載されている。『統計データハンドブック』の入手希望の方は、太平洋諸島センターまで連絡いただきたい。
(*4) 前掲書、 19頁。
(*5)フィジー産の天然飲料水としては、「フィジーウォーター」のブランドが有名だが、それ以外にも、「アイランド・チル(Island Chill)」などのブランドでも販売されている。
(*6) ソロモン諸島においては、多様な生物固有種の宝庫として、日本人を含む多くの研究者が医療分野に応用できる有用植物資源の調査分析を進めている。具体的な動きとしては、小山鐵夫牧野植物園長を中心としたグループが血栓治療に効果が見られる植物の採集・分析を進めている。また最近ではプロポリス研究において、ソロモン諸島産のプロポリスにおいて、強い抗菌活性及びガン血管新生抑制活性を有するフラボノイド類が含まれていることが紹介されている。
(*7) トンガにおける日本への農産品輸出の展開については、同書25-28頁を参照されたい。
(*8)ミクロネシア地域は、旧南洋群島の一部をなし、日本とも歴史的な関係が深いミクロネシア連邦・パラオ共和国・マーシャル諸島共和国と、第二次世界大戦後は豪州の施政下に置かれていたキリバス共和国やナウル共和国とでは、政治的・経済的背景においてかなり異なるが、ここでは便宜的なくくりとして扱うこととする。
(*9)「太平洋島嶼地域におけるリン鉱石採掘事業の歴史と現在」『史艸』(日本女子大学史学研究会)39号、1998年、pp.74-94
(*10)「消滅の危機、ナウル共和国のいま」『パシフィックウェイ』(太平洋諸島地域研究所)通巻124号、2004年
(*11) 矢崎総業が1990年代にサモアに進出した経緯や、進出後のサモア社会(とりわけ工場で働く労働者)に与えた影響については、辻田の論文(Tsujita, Masami 2002“Becoming a Factory Girl: Young Samoan Woman and a Japanese Factory”M.A.Thesis, University of Hawaii at Manoa, pp.189)が詳しい。