それゆえ、南アフリカ共和国暫定憲法(1994年)第88条の国民統合政府の規定は、フィジー諸島共和国憲法(1997年)第99条の複数政党内閣規定のモデルであるとみて間違いないだろう。
4.2006年総選挙後の「複数政党内閣」の組織と運用
2006年総選挙結果の特徴は、本誌小川論文でも指摘されているとおり、①民族別二大政党の誕生、すなわち先住民系・インド系の二大政党化ないしは二極化と、②選択投票制における逆転当選の減少、すなわち第一順位最多得票者が落選した選挙区はわずか2選挙区にとどまった、という点である。このことは、選挙制度の面からいうと、小選挙区選択投票制の小選挙区制の部分が機能し、選択投票制の部分は実際上、ほとんど意味をなさなかったと評価できよう。
このような結果は、過去二度の総選挙の教訓から、先住民系・インド系それぞれのフィジー国民が、民族的利益を優先した投票行動をとったからであるとすれば、今後、一部国民には容易に理解できない複雑さをもった選択投票制を廃止して、単記投票の単純小選挙区制に移行しても選挙結果はほとんど変わらず、むしろ現行の投票方法の複雑さからくる無効票(今回は投票数の約10%)を減少させるメリットの方が重要ではないかと考えられる。そして、二大政党化が今後も継続するとすれば、複数政党内閣制についても、その運用次第によって、制度自体の改廃を迫られることもあり得ないわけではない。
さて、今回の総選挙後に組織された複数政党内閣についてみてみたい。今回の組閣では、総閣僚数が17名から24名に増員されたなかで、31議席を獲得し第二党となったFLPから9名が入閣し、憲法に定められた複数政党内閣が形成された。1999年のインド系のチョードリー首相の入閣要請を先住民系の政党であるフィジー人党(SVT)が拒否したような入閣要請の拒絶もなければ、2001年の総選挙後のガラセ首相の組閣時のように27議席を獲得したFLPが事実上入閣要請を拒否したとして、1名のインド系閣僚を除いて他はすべて先住民系といった違憲の組閣を行うこともなかった。
2001年の組閣については、その後FLPのチョードリー党首が、憲法99条違反であるとして訴訟を提起し、2003年7月18日に最高裁判所で違憲の判断が下されたという経緯があったため、今回の組閣にあたっては慎重な対応が取られたということであろう。もっとも、FLPが下院議席数に占める割合からすれば、計算上は10名の入閣になるはずであろうが、この点は別段問題にはならなかったようである。
こうして大きな混乱もなく、第2次ガラセ複数政党内閣が発足し、まもなく3か月を迎える。チョードリー複数政党内閣は、インド系首相の下で18名の閣僚の過半数の12名をフィジー先住民系とすることで、先住民系に十二分の配慮を示し国民統合政府の形成を図ったが、それでも僅か1年後に文民クーデタによって政権が崩壊し、国民統合どころか両民族間の亀裂をさらに深める結果に終わった。いくら閣僚数で過半数を占めても、結局は首相のリーダーシップの下に内閣が運営され、その政策はインド系を優遇するものであるとの先住民系の不満がクーデタを惹起したのである。
これに対し、フィジー先住民系が首相を務める第2次ガラセ内閣は、閣僚構成からみて、憲法が予定する形での複数政党内閣が初めて形成されたといえる。しかも、民族別にわかれた二大政党化が進行したなかでの複数政党内閣の形成である。では、このような状況下で、どのような政権運営ないしは政治変動が考えられるだろうか。
第一に、複数政党内閣制という制度が本来予定するような運営の可能性が、たとえそれがきわめて困難ではないかと予想されるとしても、まず検討されなければならない。第二に、第二党であるFLPからの入閣がもたらす閣内不一致、政策の不一致による政権運営の困難の発生の可能性も当然視野に入れなければならないだろう。そして、第三に、本誌小川論文が指摘するように、両民族内で政治分化が起こり民族横断的な政党が登場する可能性も、現に発生しているFLPの内紛を目の当たりにするとあながち根拠のない憶測とも言い切れないだろう。
いずれにしろ、今後、新たなガラセ複数政党内閣がどのように運営されるかは、研究者の無責任な立場からすれば、きわめて興味深い。とはいえ、一外国人研究者がフィジーの新たな混乱の発生をいたずらに待ち望んでいると誤解されては困るので、若干の希望的観測を交えながら、新内閣の今後を展望してみたい。
まず、先住民系のSDLが過半数を確保したという総選挙結果を踏まえてガラセ首相が再任され、かつ第二党となったFLPに憲法規定に従いその獲得議席数相応の閣僚ポストを提供し、複数政党内閣が形成されるまでの過程については、何ら今後の紛争の種になるような問題は存在しない。この点で、過去2回の総選挙後の組閣と決定的な違いがある。
先住民系SDLのガラセ首相の下、閣内及び下院においてSDLが多数を確保した中でおこなわれる政権運営であれば、たとえ政権内にインド系FLP閣僚を擁したとしても、そのことによって政権運営が困難になるとは考えにくい。また、インド系国民の中から文民クーデタを実行したジョージ・スペイトのような人物が出ることもありえないだろう。そう考えると、当面、ガラセ複数政党内閣は安定した政権運営を行うものとおもわれる。
そして、その過程で両民族の協調が促進され、民族主義を基調とする政治が克服されるような状況が5年以内に出現するならば、複数政党内閣制はその歴史的使命を果たしたとして憲法から削除されることになろう。あるいは、その逆に、予想外のなんらかの民族的利益が鋭く対立する問題が新たに発生し、両民族の対立が深まり、複数政党内閣の継続が困難になれば、もともとウエストミンスター型議院内閣制とは両立するはずもない矛盾をはらんだ出来損ないの制度であったとして、憲法から削除されることになろう。
すでにみてきたように、複数政党内閣制は、もともと人種的・民族的対立のある国の国民国家形成過程において国民統合を実現する法的・政治的手段として考案された暫定的制度であったのだから、短命に終わる宿命にある。ただそれが、その使命を果たしてフィジー憲法史に名を残すか、それともその目的を理解されぬまま歴史的失敗と評価されて終わるか。すべては為政者の手に委ねられているのである。
主要参考文献
東 裕 「フィジーの国民統合と「複数政党内閣」制」、『憲法研究』第32号、2000年。
「フィジー政治の論理-国民統合政府の理念と現実-」、山本真鳥・須藤健一・吉 田集而編『オセアニアの国家統合と地域主義』JCAS連携研究成果報告6、2003年。
中原精一『アフリカ憲法の研究』、成文堂、1996年。
(1) カミセセ・マラ『パシフィック・ウェイ-フィジー大統領回顧録』(小林泉・東裕・都丸潤子訳)慶應義塾大学出版会、2000年、pp.277-279。この中でマラが言及している「メンバーシップ制度」とは、独立への準備段階の英領植民地で導入されていた制度で、植民地下の立法評議会議員のうち現地人で行政官僚を兼任していない議員の中から選ばれた何人かが、閣僚に準ずる責任を与えられ、それぞれが定められた行政各部を担当し、政策案件を執行評議会にかけ、立法評議会に提出する法案を作成した。メンバーは集団責任を負うことが期待され、執行権はないものの内閣類似の機能を果たした。フィジーでは1964年に導入され、マラ自身も3人のメンバー(他の2人は現地在住のインド人とイギリス人)のうちの一人として、土地・農業・漁業・林業及び鉱物資源担当の「大臣」を経験した。(『同書』、pp.101-110参照)
(2) フィジー1997年憲法99条1項~5項の原文は次の通り。
99. (1) The President appoints and dismisses other Ministers on the advice of the Prime Minister.
(2) To be eligible for appointment, a Minister must be a member of the House of Representatives or the Senate.
(3) The Prime Minister must establish a multi-party Cabinet in the way set out in this section comprising such number of Ministers as he or she determines.
(4) Subject to this section, the composition of the Cabinet should, as far as possible, fairly represent the parties represented in the House of Representatives.
(5) In establishing the Cabinet, the Prime Minister must invite all parties whose membership in the House of Representatives comprises at least 10% of the total membership of the House to be represented in the Cabinet in proportion to their numbers in the House.
(3) この暫定憲法の正式名称は、Constitution of the Republic of South Africa Act 200 of 1993 [Assented to 25 January 1994][Date of Commencement : 27 April 1994] Act to introduce a new Constitution for the Republic of South Africa and provide for matters incidental thereto.
(4) 南アフリカ共和国暫定憲法(1994年)第88条2項の原文は次の通り。
88. (2) A party holding at least 20 seats in the National Assembly and which has decided to participate in the government of national unity, shall be entitled to be allocated one or more of the Cabinet portfolios in respect of which Ministers referred to in subsection (1)are to be appointed, in proportion to the number of seats held by it in the National Assembly relative to the number of seats held by the other participating parties.