2001年フィジー総選挙の分析
~民意はどこにあったのか~
はじめに
本稿では、今回の選挙結果を振り返りながら、フィジー国民の投票行動を検討し、今フィジー国民が何を求めているのかを探った上で、現在のフィジーの状況についての筆者なりの見解を述べてみたい。
1.選挙前の状況
そしてもう一つ登場したのがスペイト事件支持派で結成した保守同盟党(MV)である。スペイト氏自身も身柄拘束中の身でありながら立候補を表明、これが有効か否かで揉める局面もあったが結局立候補は受け容れられ、MVは同氏をシンボルとしながら民族主義的志向のあるフィジー系への浸透を図った。MVはNVTLPと主張的には近いながらも「より旬の」民族主義政党として支持を広げた。同党はフィジー系の過半数確保を目標に掲げて選挙戦に臨んでおり、このMVがどこまで国民、特にフィジー系に受け容れられるかは、今次選挙の大きな注目点となった。
2.総選挙結果の点検
さて、では次にこうした中で行われた総選挙の結果について、詳しく検討を行ってみたい。なおフィジーの選挙制度は1997年憲法の規定により、前回選挙から民族別議席とオープン議席(民族の隔てなく投票する議席)の2つのカテゴリーに分けられ、ひとり2票を投じる制度になっている。また当選者の確定には有効投票数の過半数が要件とされ、それに満たない場合は、順次最下位者の票を有権者が示した優先順位に従って振り分ける選択投票制注6が採用されている。
右派的体質から党を追われたトラ元党首が結成した新党フィジー統治党(BKV)との分裂によって基盤である西部の票をまとめきれず、NVTLPはより新鮮な民族主義政党であるMVの登場によりその命脈を断たれた。
これに対してスペイト事件を評価するMVは、ビチレブ島東部とバヌアレブ島など北部で5議席を獲得した。MVへの票の流れは実質的にスペイト事件をどの地域のどの程度の人々が支持しているのかを見極める上で興味深いものであるが、全国的な支持の広がりは見られなかった。フィジー系全体における得票率は20.2%であり、これを高いと見るか低いと見るかは評価の分かれるところだが、前回選挙でもインド系排斥を主張していたNVTLPが9.1%得票するなど、こうした志向性を持つフィジー系住民はこれまでも少なからず存在しており、チョードリー政権発足以後、さらにはスペイト事件以降の民族主義的風潮の顕在化を考えると、予想された範囲内の数字ではないかと思われる。
今回労働党はインド系の票のじつに74.9%を集めている(前回は65.6%)。インド系住民の労働党への支持はスペイト事件以後も揺るぎなく、逆にますます強固になったものと思われる。
【表2 2001年フィジー総選挙全得票数(第一位選択分) 】
注3: 参考に掲げた「小選挙区制」は小選挙区相対多数制、「比例代表制」はドント式(ともに日本で採用している方式)で計算した。
表2-1 フィジー系選挙区得票数 ★選択進行 ★★逆転
表2-2 一般系選挙区得票数 ★選択進行 ★★逆転
表2-5 オープン選挙区得票数 ★選択進行 ★★逆転
一般有権者注8議席では一般統一党(UGP)、SDL、NLUPが各1ずつを分け合い、ロトゥマ系注9議席では前回同様無所属候補が当選した。前回選挙でUGPが候補者の選定を巡って分裂して以降、「団結して勝ち馬にのり影響力を行使する」政治姿勢を見せてきた一般有権者の動きは大きく変わってきており、上記結果を見ると分裂傾向は今回選挙で決定的になった。大勢には影響はないが、筆者が個人的に注目しているのは、一般有権者東部・北部選挙区で、キリバス系少数民族のランビ島住民が、ヨーロッパ系ベテラン政治家を破り、SDL所属で当選したことである。ランビ島住民がフィジーの国政レベルで議席を得るのは史上初めてのことである注10。
オープン議席では主にSDLと労働党が、時にMV、NFP、NLUPを交えて激戦を繰り広げた。民族別議席では46議席中第一位選択で議席が確定したのが36議席(78.3%)、第一位選択でトップだった候補者が逆転負けをしたのはわずかに2議席(4.3%)だったのに対して、オープン議席では第1位選択ですんなり議席が確定したのは7議席(29.2%)しかなく、逆転劇があったのは全体の3分の1にあたる8議席に達した。その結果、前回オープン議席で18議席を獲得した労働党は8議席に後退し、SDLの後塵を拝することとなった。そしてこれによって民族別議席で拮抗した両党の獲得議席数に差が生じ、最終的にSDLが総獲得議席数で労働党を上回り、第一党としてガラセ党首に組閣の命が下る結果を導いたのである。
3.民意はどこにあったのか ~忌避された労働党~
さて、では上記のような結果を導いた有権者の意向はどこにあったのか。そしてそれは選挙結果に如何に反映されたのか。今回の票の流れから考察できる有権者の投票傾向として、4点指摘してみたい。
ところで、階級政党として1980年代中盤に登場した労働党は、1987年のクーデター以降1990年代を通じてほぼインド系民族政党として機能することを余儀なくされていた。しかし前回1997年憲法に基づく1999年選挙から改めて「オープン議席」が設定されたことと呼応して、再び民族を問わず労働者や農民層の利益を代表する階級政党としての立場をアピールした。そしてそれに成功してインド系のみならずフィジー系の票も集めたことが、前回の大勝利のひとつの要因でもあった。その傾向は今回もまた維持されたのであろうか。表3は前回と今回、第一位選択で労働党が集めた総得票数の対比である。前回選挙では、民族別議席よりもオープン議席で多くの票を集めているが、これは民族別議席で労働党に投票しなかった(候補者不在でできなかった)フィジー系及び一般有権者系国民がオープン議席で労働党を第一位選択したためであろう。ところが今回は逆にオープン議席の方が民族別議席よりも得票数を減らしている。この要因として考えられることは、①非インド系の支持が減った、②選択肢が限られている民族別議席では次善策として労働党に票を投じたインド系が、オープン議席ではより支持したい他政党候補に票を投じた、の2点が考えられる注11。いずれが主要因であるかは数字からは読みとれないが、一見拡大したかに見える労働党への支持は、国民全体で考えた場合は、じつはやや翳りが見られるのではないかと思われる。
1999年 | 2001年 | |
インド系 | 108,743 | 108,459 |
フィジー系 | 3,352 | 3,857 |
一般・ロトゥマ系 | 0 | 0 |
民族別小計 | 112,095 | 112,316 |
オープン議席 | 119,787 | 109,381 |
いずれにせよ労働党の得票率は前回以上であった。しかしにもかかわらず今回の選挙で労働党は獲得議席数を減らした。それはすべてオープン議席でのものであり、オープン議席での労働党の獲得議席数は前回の18議席から8議席へと大きく後退した。これはいったいなぜか。それはまさに前回SVTが落ちたのと同じ陥穽、すなわち選択投票制による「忌避」を受けたからに他ならない。
表4 選択制によって逆転した選挙区一覧
【1999年】 | 【2001年】 | ||||
区分 | 選挙区 | 当初首位→当選者 | 区分 | 選挙区 | 当初首位→当選者 |
Fijian | 5 | SVT→VLV | Fijian | 12 | PANU→SDL |
Fijian | 8 | SVT→FAP | Fijian | 13 | BKV→SDL |
Fijian | 10 | NVTLP→FAP | Open | 49 | FLP→SDL |
Fijian | 11 | SVT→FAP | Open | 50 | FLP→SDL |
Fijian | 14 | FAP→SVT | Open | 52 | FLP→SDL |
Fijian | 20 | SVT→FAP | Open | 53 | FLP→SDL |
Fijian | 21 | SVT→FAP | Open | 54 | SDL→NLUP |
Fijian | 22 | SVT→FAP | Open | 63 | FLP→NFP |
Fijian | 23 | SVT→FAP | Open | 65 | FLP→SDL |
General | 24 | UGP→ 無所属 | Open | 67 | MV→ SDL |
General | 25 | UGP→ 無所属 | |||
Open | 48 | SVT→FLP | |||
Open | 55 | SVT→FLP | |||
Open | 65 | SVT→FLP | |||
Open | 67 | SVT→FLP |
注:選挙区番号は表2に対応している。
表4は前回と今回の選挙で、オープン議席において選択投票制による逆転現象が発生したケースをまとめたものである。ここには極めて明瞭に、前回SVTが受けた「忌避」が、今回はFLPの上にふりかかったことが示されている。そしてその結果、労働党は第一位選択ではSDLの1.5倍もの票を集めながら、獲得議席数は逆にSDLに1.5倍の議席を奪われた。そしてこれこそが、労働党が第一党になることを阻んだ要因であった。
他方、SDLは選択投票制の結果、オープン議席で(1名を逆転で失ったものの)6名を逆転当選させ、フィジー系議席でも2議席を逆転で獲得した。そしてこれにより第一党の座を確保して政権党の座に着いた。オープン議席における第一位選択の得票率は、労働党35.5%に対してSDLは24.1%である。結局これは労働党の敗北と表裏をなす関係だが、他の政党の支持者たちの多くが、労働党が再び第一党となってチョードリー首相が再登板することを好まず、「次善の政治集団」としてSDLを選択したということなのではないか。これは西部のフィジー系議席で、第一位選択の際にはいずれも地域に強い基盤を持つ政党であるPANU及びBKVの後塵を拝しながら、結果的にはSDL候補者が当選したことからも窺える。無論、選挙区戦においては各候補者ごとの人気勝負ではあるが、全体的に見て「よりましな政党」として「消極的支持」を集めたことが、SDL勝利の大きな要因であったことは否めないと思われる。
他方、もうひとつ注目したいのは、首都スヴァ及びその周辺地域のフィジー系の票の流れである。このあたりには東部・北部から流入したフィジー系も多く、都市化の進行による経済階層分化によって潜在的に現状に不満を有する層が少なからず存在している。しかしながら彼らの気持ちは、必ずしもそのはけ口として民族主義的志向に向かっているのではなさそうである。これは、タマヴア/ラウザラ選挙区やナシヌ選挙区等、スヴァ周辺のフィジー系有権者がほぼおしなべてSDLを圧倒的に選択したことから明らかである。必ずしもこのことをフィジー全体に敷衍できるわけではないが、同じフィジー系であっても、貨幣経済に依存している層と、生活基盤を「土地」に依存している層との間で、フィジーの進むべき道についてのズレが顕在化したとも読みとれる。無論これはすでに20年以上前から指摘されていたことではあるが。かつてのマラ率いる同盟党、或いはランブカ率いるSVTといった、フィジー系住民全体を代表する統一的な政治集団が解体した現在のフィジーにおいて、こうした利害の調整にはより高度な政治力が要求されることになろう。
結びにかえて ~フィジーの不幸~